【連載小説】第6話(最終話) 白山の蛇 #創作大賞2024#ファンタジー小説部門
第6話(最終話) (約3300字)
外はしんと寝静まっている。積もった雪が星の光を反射して、夜目でも歩くのには抵抗はない。
俺はかつて紫乃の見あげた山の中腹へ向かい歩き出す。俺の踏みしめる雪の音だけがあたりに響く。幸い風も無く、視界が良い。
俺は肩掛けで軽く額の汗を拭き、口元から巻き直す。温かい部屋から急に外へ出たのだ。一気に身体が冷える。だが身体の芯が燃えるように熱い。怒りだ。西園寺に対する怒り。この家の特性に早く気づけなかった俺自身への怒り。紫乃の役目に、またその兆候に気づけなかった怒り。
しめ縄のある横穴の前に、二名立っていた。戦闘向きではない。俺の姿に気づくが、初めに現れたのが戸惑いだった。それから慌てて手にした武器を構える。が、遅い。
俺の飛ばした符が各々へ向かい、効力を発揮する。
声を奪い、身体を縛る。意識は奪わない。気を失えば寒さで凍えるだろう。
俺は棒立ちになった男に近づき、再度符を貼り直す。恨みがましい視線を無視し、しめ縄の先へと向かう。
横穴の中は思いの外深かった。雨風を十分にしのげ、少し温かくも感じる横穴の奥の壁には縞模様に呪が施され、書かれた文字が発光し空間を青白く照らしている。
その前に舞台が設置され、中央に紫乃が座っていた。否、後ろ手に縛られ、目隠しをされている。
「紫乃!」
俺は思わず叫び彼女へ駆け寄る。縄をほどき、目隠しを外してやると、彼女は驚いたような顔で俺を見上げる。
「仁雅……様?」
「紫乃!」
思わず彼女を抱きしめる。はじめて抱き寄せた彼女の身体は想像していたよりもずっと華奢で、壊してしまいそうだった。
「どうしてここに?」
俺は彼女の肩を掴み、目を合わせる。
「ここから出よう。こんなことでお前を犠牲にすることはない」
彼女は戸惑い、首を横に振る。
「できません。これが私の使命なのですから」
「できる! ここから二人で逃げよう」
「どうか、私はここへ置いていってください。それが私の、西園寺のためなのです」
「西園寺なぞ捨てろ! お前はお前のために生きろ!」
彼女はそっと俺の頬に触れ、悲しそうに微笑む。
「仁雅様。どうしてそこまで」
俺はその手のひらを掴む。
「決まっている。愛しているからだ」
彼女の瞳が揺れる。
知っている。西園寺の者は決して傀儡ではない。感情のある人間なのだ。いくら押し殺そうと、西園寺という巨大な一個体の一部として生きようと、人間なのだ。
「愛する女をみすみす騰蛇なんぞに喰わせるつもりはない」
「仁雅様」
俺を見上げる彼女は艶っぽい。香か白粉か、あるいは彼女自身か。甘い香りが脳を刺激する。
紅を引いた唇に思わず口づけた。一瞬逃げかけた彼女の顎を持ち上げ、より深く口内を侵す。同じ息を吸い唾液を共有し舌を絡ませる。彼女の口内を蹂躙する舌に、彼女が応えようとするのが分かる。俺はますます彼女の舌を捕らえ吸い上げすべてを手に入れる。芯から発する熱が次第に身体中に広がっていく。熱が脳髄へ侵食し、意識が揺れる。その熱で身体が蕩けるようだった。蕩けて彼女とひとつになりたい。
一度離すと、彼女は肩で荒く息をする。俺を見上げる顔は紅潮していた。
彼女の頬を両手で包む。紅潮する顔よりも俺の手の熱の方が高い。このまま彼女を燃やし尽くしそうだ。
突如、奥の壁が目映い光を放つ。彼女を庇うように抱え、光を見やる。燃えるような光は大きくうねり、蛇のような形を成す。
これが、神。
俺は符を飛ばし、彼女を壁際へやると、巨大な蛇に向き合う。
大きく歯を鳴らし、大地を踏みしめる。
「朱雀・玄武・白虎・勾陳――」
騰蛇を見据えながら刀印で空を切る。力の弱まる季節といえ、神相手に呪が効くかはわからない。
「帝后・文王・三台・玉女・青龍」
刀印で描かれる格子が目映い光を放つ。
「急々如律令!」
押し出すように解き放つと、光の網が神を捕らえる。騰蛇の光が少し抑え込まれるのが分かる。
「其九道開塞蓑有来追我者従此極棄車来者析其両軸騎馬来者暗目歩――」
俺は早口で続ける。勝てるとは思っていない。逃げる時間を稼ぐためだ。
「仁雅様!」
彼女の切り裂くような声が聞こえた瞬間、俺は吹き飛ばされていた。
光の網が一瞬で破られたのだ。
圧倒的な力の差。神相手に神の力を借りる呪など通じない。
「逃げろ! 紫乃!」
俺は渾身の力を絞り叫ぶ。壁際にいた彼女は俺と目を合わせ、その視線を振り切る。
そして、騰蛇のいる舞台の前へ対峙した。
「紫乃!」
彼女と騰蛇が見つめ合うと同時に、二人は完全に止まった。
二人に一歩でも近づくだけで稲妻に打たれたような衝撃が走る。何が起こっているのかわかる。調伏だ。
「止めろ!」
知っている。以前紫乃から聞いたのだ。調伏が始まれば失敗しても途中で止めても身体が砕け散ると。それでも、叫ばずにはいられなかった。
彼女の口へ騰蛇の光が飛び込んでいく。やがてすべてが飲み込まれると、彼女の身体は目映い光を放つ。
その光は騰蛇の光だ。わかっている。だが光を放つ彼女は神のように美しかった。今の状況を忘れ、見惚れていた。
彼女は目と口を閉じたまま、肩で荒い息をする。
「紫乃!」
彼女のそばへ近づこうとすると、やはり稲妻のような衝撃がある。
彼女の額に玉のような汗が浮かぶ。下着を越え白衣まで汗をかいているのがわかる。
「紫乃! 紫乃!」
俺には呼びかけることしかできない。それが少しでも力になるのなら、いくらでも叫ぼう。何度でも、いつまででも。
「紫乃!」
椿の花のそばで微笑む彼女を思い出す。外の世界の話に驚き、興味深そうに身を乗り出す彼女を思い出す。俺の言葉に嬉しそうに頷く彼女を思い出す。
「紫乃!」
彼女のすべてが愛おしかった。その表情から髪の先まで。周囲を包む空気も。
彼女がいれば世界さえ愛おしかった。あれほど憎んでいた血統も家柄も、すべて彼女に出逢うためだったのだと思えば快く受け入れることができた。
「紫乃! 愛している!」
彼女の身体から放たれる光は少しだけ収まってきている。
「愛している! 俺と一緒に生きてくれ、紫乃!」
目映い光が収斂する。漏れ出していた光がすべて身体の中へ閉じ込められる。
「下れ!」
聞いたことがないほど、強く冷たく響く彼女の声。
開いていた腕で、自らを抱きしめるように両肩を抱く。
「西園寺紫乃が命ずる! 我が影に下れ、汪毅!」
刹那、光が弾けた。
彼女の身体がその場に崩れ落ちる。思わず駆け寄り抱きとめる。
全身、滝に打たれたように濡れていた。顔色が悪く憔悴しきっている。
「紫乃」
俺の呼びかけに、うっすらと目を開く。俺の顔を見ると安心したように笑う。
俺は強く抱き寄せた。涙が止まらなかった。
「仁雅様」
柔らかな彼女の声が、俺の名を呼ぶ。俺は抱き寄せたまま、返事をする。
「ありがとうございます」
俺は力を抜き、彼女の顔を再度見つめる。
「仁雅様から頂いた護符のおかげで、顕現することができました。さらには調伏まで。すべて仁雅様のおかげです」
「俺は、紫乃の役に立ったのか」
「はい」
花が開くような彼女の笑顔。額に貼りついた彼女の髪をそっと払い、額に口づけをする。
「良かった」
もう一度、俺は彼女を抱きしめた。もう、放したくなかった。
「紫乃」
「はい」
「俺と二人で暮らさないか? 西園寺の外、ずっと田舎の、陰陽師なんて誰も知らないような土地で。畑を耕し野菜をつくり、良く実るようになったら、野菜を売って。ああ、飯屋をしようか。紫乃の腕ならすぐに評判になる。そうして子が産まれたら、近所の子と遊ばせて、子どもの成長を見守って、時々孫を抱かせてもらうんだ」
「仁雅様」
「ああ」
「そんな……私は、そんな幸せを望んでいいのでしょうか」
「当然だ。俺と一緒に生きてくれ、紫乃」
彼女がゆっくりと意識を手放すのを感じる。次に目が覚めるまで、俺は彼女を放さなかった。
早朝、国内の或る山中より一条の光が放たれた。
深い霧の中、翼の生えた巨大な蛇のような影が空へ飛び立ったと、目撃者は語る。
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