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社会人2年目の春、母が亡くなった

わたしのことを、少しだけ
これは、わたしの話です。
大好きな母のこと、そして母になったわたしの話。

母が亡くなったという知らせが入ったのは、明け方だった。
遠方に住むわたしが混乱しないようにと、母が夜中に亡くなったことを知らされたのは朝だった。

約10年前のあの日のことを、今でも鮮明に覚えている。

その当時のわたしは、喪服を持っていなかった。
朝から近くのスーツ屋さんへ、車を走らせた。
社会人2年目の春に、初めての喪服を、母の葬儀のために買う。
そんな未来を、いったい誰が予想していただろう。

母が亡くなったことが信じられなくて、
それなのに、試着をしながら店員さんに
「母の葬儀で急遽必要で」と説明できてしまうくらい、
頭はなぜか冷静だった。

そのあと、ぼーっとしながら新幹線に乗って帰省した。

実家で母と対面したとき、
母の顔がとても穏やかだったこと。
それだけが救いだった。

冷蔵庫には、亡くなる前に母が作ったご馳走がたくさん入っていた。
胸がいっぱいではち切れそうになりながら、そのご飯を食べた。

本当は、アメリカから実家にホームステイに来ていた子が、
すぐに遊びに来る予定だった。
それくらい、母の死は突然だった。

それからの記憶は、もう曖昧だ。
憔悴しきった父と、年の離れた兄と姉、
たくさんの未就学児の甥と姪に囲まれての母の見送りは、
あっけなく終わった。

葬儀にはたくさんの方が来てくださり、
母の優しさや人望を、あらためて実感した。

アメリカから来てくれた彼女も、
母に最期のお別れをすることができた。
葬儀場で食べた、
彼女が持ってきてくれたカラフルで、とてつもなく甘いクッキーの味を、
わたしは今でも忘れられない。

本当に、夢なのか現実なのか、
ちぐはぐな時間だった。

わたしは、母が大好きだった。

父と母、そして一回り年の離れた兄と姉。
母が40歳のときに、わたしは生まれた。
母は自宅でピアノの先生をしていた。

小さい頃、たくさんの絵本を読んでくれた。
絵本を読むのが大好きな母と、
甘えん坊だったわたしは、いつも一緒で、くっついていた。

どこに行っても、わたしは一番小さくて、
たくさんの大人たちに可愛がられて、
家族にも愛されて育った。

母がピアノを弾き、
一緒に歌う時間が、とても楽しかった。

母は、わたしがピアノを習いたいと言い出すのを、
ずっと待っていた。
強制することはなかった。

物心ついたわたしは、
楽譜が読めず、音楽が苦手で、
結局ピアノを習うことはなかった。

でも今なら思う。
母が「先生」ではなく、
ただ「母」でいてくれたことが、どれほどありがたかったか。

そのおかげで、
わたしの中に残っているのは、
母とのあたたかい思い出ばかりだ。

怒られることはほとんどなく、
高校時代の留学も、県外の大学進学も、
全国転勤のある就職も、
「あなたが決めたことだから」と、いつも応援してくれた。

そして母は、
周りの人に、わたしのことをいつも自慢していたそうだ。

そんな母が亡くなったとき、
わたしは漠然と、ひとつの夢を抱いた。

わたしもいつか、
母のような、あたたかい母親になりたい。

子どもを産んで、あらためて思う。
40歳で、また一から始まった子育ての大変さ。
それでも、いつもわたしを包み込んでくれた、
あの偉大な愛。

怒ることもなく、
いつも微笑んで、穏やかでいた母の姿が、
どれほど尊敬できることだったのか。

本当は、夫にだって、紹介したかった。
結婚式で晴れ姿を見てほしかった、
大好きな母と家族への感謝の気持ちを伝えたかった。
母からおめでとうと言われたかった。
孫にも会わせたかった。
わたしが小さい頃、どんな娘だったのか、
思い出話も聞きたかった。

子育てで大変なとき、
話を聞いてほしかった。

こんなことが叶わないなんて、
思ってもいなかった。

ただもう一度、抱きしめてほしかった。
そして、
「あなたが決めた道なら、大丈夫」
そう言ってほしかった。

これは、わたしの話で、
同時に、息子との話でもあります。

次は、そんな日常のことを。

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