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純粋な人は生きづらいのか。

これは何回かに分けて書きたいかもしれないです。
私の母は、思い込みが強くて盲目な人です。
始めは、宗教を信仰しているからと思っていました。
けれど私自身が純粋すぎて生きにくさが発生している事に気づいてから、母もまた純粋すぎるんだと知りました。

今回気づいたことは、純粋すぎて生きづらいところ。

初めから疑わずに人を信じてしまう。
しかもとてもポジティブに。
悪い人なんていないんだ、と私も母も思い込んで目の前の人と関わる。
そこには、思い込みでいっぱいで偏見だらけ…。
どんな悪人でも人間だから、そこには愛があると。
愛があるからきっと変われる。
悪さをされても自分を傷つけられても、目の前のその人はこんな素晴らしい人なんだよ、と傷つけられたはずのことも表面上なかった事に私の中でなってしまう。

書いただけでも、恥ずかしい。

人の汚さや、ずるさ…うーん、思いつかないくらいまだ知らないけれど。
そんな汚さやずるさを見て目の当たりにしても、悪い人なんていないんだ、何かの勘違いだと人を信じてしまう。
それは、信頼ではなくただの盲信。
盲目に信じてしまう事がどれほど危険か、色々な事件や時代の中でもあったし、母を見ていて一番よく理解できていたけど、今回自分を知り純粋すぎるということには盲目に信じてしまうことがあるんだなと理解しました。

長年診てくださった主治医から言われた言葉がよくよぎるんです。
「生き方上手くなったね!」

今回気づき理解できるようになったことは…
人には色んな顔がある、自分を守るために嘘をついたり隠したり、卑怯さをもって接してきたりする事もあるということ。どれだけすごいなと思う人でも、そういった人間らしい部分がある。
そして、そんな相手を受け手である自分の理解の仕方で認知すればいいということ。
盲目にこの人は素晴らしい人なんだと、ネガティブな悪の要素を削ぎ落として信じなくていい。

ずるかったり、卑怯なことも、悪を好んでいる部分もそれも人間らしさだと、そう純粋にひとつずつ理解してけばいいんだと知れた。

私からみた、ありのままを捉えた理解でいいことなんだと。

純粋さも扱い方次第なのかもしれなくて、真っ直ぐ受け取る力も素直さもまた良さともなるし。
どうやっていったらいいか、これからだと思うのでまた書こうと思います。
こんな自分が今では大好きです。

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