【年末年始】冬の沖縄・今帰仁村滞在記:古き良きリゾートを巡る「大人の割り切り」旅
こんにちは、Bell noteです。
今回の旅には、何か特別なきっかけがあったわけではありません。
年末年始が近づき、海外はさすがに高いけれど、家で過ごすには少し物足りない。そんな、この時期特有の曖昧な空気の中で、自然と「沖縄」という選択肢が浮かび上がってきました。
私たちは二人とも沖縄が好きです。ただ、二年前の正月に石垣島を訪れた際、全日程が雨に見舞われ、川平湾で雨に打たれながらグラスボートに乗った記憶が、今も鮮明に残っています。
それでも再び沖縄を選んだ理由は、価格、距離、そして安心感。そのバランスでした。
宿探しには、会社の福利厚生サービスを使いました。年末年始の沖縄は宿泊費が驚くほど高騰しますが、こうした法人向けサービスには、繁忙期でも価格変動が抑えられる「固定料金枠」が設定されていることがあります。
今回の条件は、「できるだけ安く」「部屋は広く」「海が見えて」「朝食付き」。この時期としては、なかなか厳しい内容です。
その条件を、ほぼすべて満たしてきたのが、沖縄北部・今帰仁村にある「リゾートホテル・ベルパライソ」でした。
全室オーシャンビュー、45㎡の客室、朝食付き。4泊2名で46,400円という提示額に、最初は正直、目を疑いました。
ただし、ここで私の妻が動き出します。旅の計画において、彼女は自らを「地雷除去班」と称し、口コミを徹底的に確認する役割を担っています。
「建物が古いって書いてあるよ」「掃除が行き届いてない、浴室にカビがあるっていう声もある」。読み上げられる不安要素は、古い施設ならではの指摘ばかりでした。
一方で、擁護する意見もしっかり拾ってきます。
「でも、目の前のウッパマビーチは本当に綺麗らしいし、『割り切れば最高』って書いてある」。
最終的には、「とりあえず押さえて、後で変えればいい」という私の提案と、「最悪、気になるところは自分が掃除する」という一言で、この宿に決まりました。
移動手段についても、少し揉めました。トイレへの不安や「運転してみたい」という理由からレンタカーを推す妻に対し、私は過去の長距離運転の疲れが頭をよぎり、どうしても消極的になります。話し合った結果、「那覇から北部までは高速バスを使い、必要に応じて現地でレンタカーを借りる」という中間案で落ち着きました。
雨の可能性、古いホテルのリスク、そして移動の不安。いくつかの懸念を抱えたまま、9月7日に予約は確定しました。
あとは、当日の天気と、現地の空気に身を委ねるだけです。
こうして、「不完全さを知識と工夫で楽しみに変える」年末年始の旅が、静かに始まりました。
📢ちょっとだけトラベルノートについて
今回のトラベルノートはシリーズ28回目。もともとnoteを始めるはるか前の2016年から始めたこの活動は、忘れっぽい私が妻との旅行を後で見返すことができるように書き始めたものです。国内外問わずいろいろな場所に足を運び、その時々の風景や出来事を記録してきました。
当然誰かに読んでもらうことを想定していなかったので、文体や文調を整えることもなく、ただ後で読み返したときに「ああ、あの時そうだった」と思い出せればそれで良いだけでした。もちろんこんな導入文もなく、いきなり本編だけを書いていました。
それが、書き溜めたトラベルノートを含め、いまnoteのコンテンツとして公開するようになってからも、その当時の“書き方”はなるべく崩さずに続けています。違うのは、冒頭にだけ導入文を付けるようになったことくらいです。本編部分は、もともとのコンセプトを忘れないためにも、昔のその書き方を続けているので少し読みづらいところもあるかもしれませんが、どうかご容赦ください。
第一章|羽田から「最果てのリゾート」へ
旅の始まりは、冬の澄んだ空気に包まれた羽田空港だった。
自宅から駅まで歩き、モノレールに揺られて第一ターミナルへ向かう。その道中、窓の外を眺める妻と、腕時計と搭乗案内を何度も確認する私。旅に出ると、いつの間にか自然に決まる役割分担が、今回も何事もなく始まっていた。
出発前の定位置はサクララウンジ。
持ち込んだのは「たべっ子どうぶつ」と柿の種。完全に遠足のラインナップだ。ビールとコーヒーで喉を潤しながら、これから始まる非日常のことを考える。この時間が、移動そのものよりも贅沢に感じられる瞬間かもしれない。

JAL915便は定刻通りに羽田を離陸した。
窓の外の景色が徐々に雲に覆われていき、しばらくすると機内はいつもの静けさに包まれる。特別な会話があるわけでもなく、ただそれぞれが本を読んだり、目を閉じたりして過ごす。こういう時間も、悪くない。
那覇空港に到着したのは夕方だった。
空は曇っていたが、寒さはまったく感じない。外に出た瞬間、「ああ、南に来たな」と身体が先に理解する。ここから今帰仁村までの移動が、今回の旅で最初に考えた“戦略”になる。
レンタカーの価格高騰と長距離運転の疲れを避けるため、空港からは高速バスを選んだ。111番か117番。どちらでも名護まで行ける。車内は地元の人がほとんどで思いのほか空いていた。窓の外を流れていく街灯と、遠くに見える暗い海をぼんやり眺めながら、ただ揺られていく。


名護バスターミナルに着く頃には、外はすっかり夜だった。
ここからはタクシーに乗り換える。車は静かな道を北へと進み、街灯の数も徐々に減っていく。ナビに映る現在地が、だんだんと「何もない場所」へ近づいていくのが分かる。
夜の闇に包まれた頃、ようやく「リゾートホテル・ベルパライソ」に到着した。
チェックインを済ませ、部屋の扉を開けた瞬間、まず感じたのは“広さ”だった。45㎡。最近のホテルではなかなか見ないサイズだ。確かに古さはある。壁や設備を見れば、それは否定できない。でも、それ以上に、バルコニーの向こうに広がるウッパマビーチの気配と、この無駄に広い空間が、妙に心を落ち着かせてくれた。

効率を最優先した現代的なホテルとは、まったく違う作りだ。
昭和から平成初期にかけての、「とにかく広く、ゆったりと使わせる」という発想。その名残が、そのまま残っている。
初日の夕食は、外に出る気力もなく、ホテル内のレストラン「サンゴ亭」で済ませることにした。
ゴーヤチャンプルー定食。運ばれてきた皿は、想像していたよりもしっかりした量だった。箸を進めていると、妻がぽつりと一言。
「これ、普通に美味しいね」


その一言で、ここまでの選択が間違っていなかった気がしてくる。
窓の外では、暗闇の中から波の音だけが聞こえていた。移動の疲れもあり、その夜は早めに布団に入る。
明日は、妻の「晴れ女」としての勘が試される一日になる。
そう思いながら、いつの間にか眠りに落ちていた。
第二章|恋の島・古宇利島と「豚の神髄」
朝、カーテンを開けると、空はまだ厚い雲に覆われていた。
ただ、雨は降っていない。視界の先には、ウッパマビーチの穏やかな海が広がっている。

「今日、いけるんじゃない?」

予報は雨だったが、妻は天気図よりも自分の勘を信じるタイプだ。そして、その勘はだいたい当たる。外で動けるうちに動こう、ということで、この日は屋外の予定を優先することにした。
まずは朝食。
前日の口コミで「ビジネスホテル並み」と書かれていたので、少し身構えていたが、実際に行ってみると拍子抜けするほど普通に良かった。派手さはないが、品数もあり、十分だ。妻は好物のパイナップルとミカンを、いつものように大盛りにして並べている。機嫌の良さが、そのまま皿に表れている。

午前10時ちょうど、ホテルの正面玄関にレンタカーが届いた。
利用したのは、本部町にあるスノーブルー。
那覇から長距離を運転せず、必要な日だけ現地で車を借り、しかもホテルで受け渡しと返却ができる。余計な負担がなく、この仕組みは本当にありがたい。
最初の目的地は古宇利島。
車で15分ほど走り、古宇利大橋に差しかかると、視界が一気に開けた。エメラルドグリーンの海が、橋の両側に広がる。
「いいね、ここ」
妻はそう言って、それ以上は何も言わなかった。その一言だけで、十分だった。
島に着いてからは、古宇利オーシャンタワーへ。
自動走行のカートに揺られながら、少しずつ高度を上げていく。頂上からの眺めは、いかにも観光地らしい景色だ。

記念撮影も二箇所あり、「記念だしね」と言いながら、結局どちらも購入した。こういうところは、あまり迷わない。
世界中の貝が並ぶシェルミュージアムを一通り見て、


「幸せの鐘」を鳴らした後、島の北側にあるティーヌ浜へ向かった。
ここは、嵐が出演したJALのCMで一気に有名になった場所だ。ハートロックと呼ばれる二つの岩は、波の侵食を長い年月受けて、重なり合うことで確かにハート型に見える。

ただ、そこへ行くまでが少し大変だった。
駐車場から砂浜までは舗装されておらず、足元はかなり不安定だ。砂に足を取られながら、慎重に進む。楽に見られる景色ではないが、それでも実際に目の前にすると、「恋の島」と呼ばれる理由は分かる気がした。
続いて向かったのは、チグヌ浜。

人類発祥の伝説が残る場所で、沖縄版のアダムとイブが暮らしたとされている。浜へ降りる階段はかなり急で、足場も良くない。撮影を終えて崖の上に戻ったところで、妻が転ぶという小さなアクシデントがあったが、持ち歩いていた絆創膏で事なきを得た。
景色は確かに美しい。
ただ、その美しさには、ちゃんと準備が必要だ。スニーカーのありがたみを、ここで実感することになった。
夜は名護市へ移動し、島豚七輪焼の店「満味」へ。

ここは、「豚は足跡以外はすべて食べられる」という沖縄の食文化を、そのまま形にしたような店だ。

最初に運ばれてきたモツ入りチャーハンから、すでに完成度が高い。

米一粒一粒に、豚の旨味が染み込んでいる。
続くホルモンの焼肉は、臭みがまったくなく、七輪の上で弾ける音までごちそうだった。


豚のしゃぶしゃぶと、スーチカーのしゃぶしゃぶを交互に食べ比べる。


柔らかな島豚と、塩漬けによる深いコク。どちらも主張が違い、飽きる隙がない。最後は、すべての旨味が溶け出した出汁で雑炊。鍋の中に残ったものを、きれいに締めくくる。


「これ、正解だったね」
妻は何度も頷いていた。
この一言で、今回の「割り切り」は、単なる節約ではなかったと分かる。価値を置く場所を間違えなければ、旅はちゃんと豊かになる。
天気に恵まれ、伝説に触れ、豚の神髄を味わった一日。
計画と直感、そして少しの下調べ。その積み重ねが、旅を一段深いものにしてくれた気がしていた。
第三章|歴史の石積みに触れ、サーターアンダギーに執着する
沖縄滞在三日目。
窓の外は昨日よりも明るく、予報の「曇り時々雨」を裏切るように、雲は高い位置にあった。
「今日、外いけるよね」
妻はそう言い切る。天気予報ではなく、空の色と自分の感覚を信じる判断だ。この一言で、屋外の予定を前倒しすることに決めた。
この日の運転は妻が担当する。

久しぶりの運転らしく、最初は少し慎重すぎるくらいだったが、今帰仁の穏やかな道を走るうちに、徐々に感覚を取り戻していくのが分かる。目的地は宿からほど近い今帰仁城跡。世界遺産に登録されている城跡だ。

車を降り、城内へ入ると、ちょうどボランティアガイドの案内が始まるところだった。せっかくなので、そのまま一緒に歩かせてもらう。
ガイドの説明を聞きながら進むと、目の前の石垣が、ただの「古い石の集まり」ではなくなっていく。


特に印象に残ったのは、緩やかな曲線を描く城壁だった。
自然石をそのまま積み上げる野面積みという技法で造られた城壁は、荒々しいのにどこか優美で、近くで見るほど不思議な迫力がある。万里の長城を思わせる、という言葉にも納得がいった。




妻はガイドの話に熱心に頷きながら歩いていたが、途中、敷地内に実っていたシークワーサーを、ガイドさん公認で一つもがせてもらっていた。思いがけない体験に、少し誇らしげな顔をしている。


見学を終えたあと、売店で「シュシュが欲しい」と言い出した。
黒をベースに沖縄らしい柄が入ったものを選ぶと、「自分じゃ選ばないやつだけど、いいね」と言いながら、すぐに髪に結んでいた。旅先では、こういう小さなものが妙に似合う。

城跡を後にしたあとは、妻の「古宇利大橋を自分で運転してみたい」という希望を叶えるため、再び古宇利島へ向かった。
橋に差しかかると、「緊張するけど楽しい!」と声を上げる。その様子を横で動画に収めながら、こちらまで少し楽しくなってくる。


午後はそのまま古宇利ビーチへ。
波と戯れ、特別なことは何もしない。ただ海を眺め、足元を濡らして過ごす。穏やかな時間だった。


──が、それもここまでだった。
この日の後半、私たちは「サーターアンダギーの洗礼」を受けることになる。
目指したのは、道の駅・許田にあるサーターアンダギーの名店「三矢」。妻がテレビ番組でみてずっと食べたがっていた。
だが、到着したときにはすでに「完売」の文字が出ていた。

看板商品の三矢ボールは、午前中で売り切れることも珍しくないと聞いてはいたものの、実際に目の前でそれを突きつけられると、妻の落胆ぶりはかなりのものだった。
仕方なく、おっぱ乳業のソフトクリームと天ぷらで一度は腹を満たす。



しかし、彼女の中の「サーターアンダギー欲」は、まったく収まっていなかった。
ここから、私たちの「サーターアンダギー比較調査」が始まる。
「沖縄のファミマのやつが一番美味しい」という、彼女の持論を検証するため、コンビニを巡ることになった。セブン、ローソン、と立ち寄り、ようやく一軒のローソンで、沖縄ローソンオリジナルのロングサーターアンダギーを見つけた。
さっそく車の中で実食。
彼女の評価は容赦がない。
「美味しいけど、これはバターが効きすぎてる。洋菓子っぽい。サーターアンダギーとは違う」
この一言を皮切りに、揚げ方、生地の密度、甘さ、香り。
旅の後半は、各社のサーターアンダギーを比較する、執念の食べ比べへと発展していくことになる。
歴史の石積みに触れた満足感と、完売に泣いた悔しさ。
そして、それを埋めるためのコンビニ巡り。予報外れの天気にも助けられながら、旅はどんどん個人的で、濃密なものになっていった。
第四章|ジンベエザメの悠久と「ラーメンに近い」沖縄そば
沖縄滞在四日目。
気がつけば、大晦日だった。
朝、目を覚ますと窓の外は重たい色をしている。強く降る雨ではないが、細かく、粘るような湿り気が空気にまとわりついている感じがした。いかにも沖縄らしい、逃げ場のない曇り空だ。
朝食は、いつものようにホテルのレストランへ向かう。
派手さはないが、毎日ほんの少しずつ内容が変わっていて、連泊でも不思議と飽きない。最初は口コミに書かれていた「ビジネスホテル並み」という言葉が頭をよぎっていたが、今では「この価格なら十分すぎる」という感覚に変わっていた。期待値がきちんと修正されると、人は案外素直になる。
この日の目的地は美ら海水族館。
那覇空港で事前に買っておいたチケットを手に、車を走らせる。年末で、しかも雨。案の定、駐車場はかなり混んでいた。それでも、不思議と気持ちは落ち着いていた。
理由は単純で、事前に『プロジェクトX』で、この水族館ができるまでの話を見ていたからだ。
巨大なアクリルパネルをどうやって運び、どう固定したのか。現場の人間たちの執念を知った上で向き合うと、ここは「観光施設」ではなく、ひとつの到達点のように見えてくる。
巨大水槽「黒潮の海」の前に立つと、自然と足が止まった。




悠々と泳ぐジンベエザメ。その向こうにあるのは、海だけではなく、人間の無茶と工夫の積み重ねだ。
「これ、作るの本当に無理だよね……」
妻がぽつりと呟く。
そのまま、しばらく言葉がなくなる。時間を忘れる、というのはこういうことかもしれない。
水族館を出たあとは、妻がどうしても行きたいと言っていた備瀬のフクギ並木へ向かった。
雨に濡れた並木道は、しっとりと静まり返っていて、南国の観光地とは思えない落ち着きがあった。派手さはない。ただ、一歩ずつ砂の感触を確かめながら歩く。その時間が、自然と一年の区切りを作ってくれる。


早めの年越しそばは、今帰仁村仲尾次にある「うっちや〜」へ。
ここで食べた沖縄そばは、これまでの印象を軽々と裏切ってきた。
スープは、鰹出汁の香りが立ちながら、動物系のコクと塩味がしっかり効いている。
思わず顔を見合わせる。

「これ、ラーメンに近くない?」
麺は中太の平打ちで、もちもちとした食感。
濃厚なスープをしっかり受け止めて、どこにも逃がさない。沖縄そばというより、「沖縄そばという名前の別ジャンル」と言った方がしっくりくる。
店を出るとき、満足した客が鳴らすという店内の鐘が目に入った。
鳴らしたくなる気持ちが、よく分かる。正直、これまで食べた沖縄そばの中で、一番かもしれないと思っていた。

19時の返却時間に合わせ、スノーブルーのスタッフに車を返す。
事故もなく、今帰仁の道をよく走ってくれたハスラーに、心の中で礼を言う。こうして、今回の足は役目を終えた。
夜はホテルの部屋で紅白歌合戦。
テレビから流れる歌声に、妻が時々反応する。その横で、私はうとうとしながら、静かに年の終わりを迎えていた。
不完全な天気も、混雑も、すべてがこの一日の中で溶けていく。
濃厚な出汁のように、じわじわと味が残る。そんな、大晦日だった。
第五章|那覇・国際通り —— フィリピンの風と旅の締め括り
旅の最終日、1月1日の朝は、予報通りの雨音で目が覚めた。
ここまで四日間、妻の「晴れ女」としての勘に助けられてきたが、最後にきっちりと帳尻が合ったらしい。
それでも、朝食会場に入った瞬間、その雨を少し忘れることになった。
料理台の様子が、これまでと明らかに違う。味噌汁はお雑煮風で、丸餅とかまぼこが浮かび、伊達巻や紅白かまぼこ、数の子まで並んでいる。元旦限定の正月仕様だ。

事前に口コミをいくら読んでも、こんな話は見かけなかった。
だからこそ、余計に嬉しい。派手な演出ではないが、「あ、ちゃんと正月なんだな」と思わせてくれる、ささやかな心遣いだった。
雨脚が思ったより強く、予定していたナゴパイナップルパークは見送ることにした。
「もう那覇に行っちゃおう」
妻の判断は早い。こういう切り替えの良さに、これまで何度も助けられてきた。
今帰仁を後にし、タクシーで名護バスターミナルへ。
そこから高速バスに揺られて、那覇へ戻る。窓の外を流れる景色を見ながら、旅が確実に終わりへ向かっているのを感じていた。

那覇に着いてから向かったのは、国際通りの喧騒から少し外れたパラダイス通り。
旅の最後に残していた「甘いミッション」の場所だ。
店の名前は SUN SUN沖縄。
フィリピンの伝統スイーツ「タホ」を出す、知る人ぞ知る小さな店で、妻が事前にしっかりチェックしていた。
ここで食べたのが、フィリピンのスイーツ、タホ。
本来は温かい豆乳豆腐に黒蜜をかけるものらしいが、SUN SUN沖縄では観光の合間でも食べやすいよう、冷たいスイーツとして提供されている。今回はマンゴー味を選んだ。豆乳のやさしい甘さに、ぷるんとした食感、タピオカのもちもち感が重なる。甘いが、重くない。歩き疲れた身体に、ちょうどいい。

そして、もう一つの主役が、SUN SUN沖縄の揚げたてサーターアンダギー。
外は軽くカリッと、中は驚くほどふわふわで、どこかシフォンケーキに近い。揚げる時間まで調整して出してくれるらしく、「揚げたて」を食べるためにここに来た、という感覚がきちんと残る一品だった。


店を出たあとは、屋根のある市場本通りを中心に、正月の国際通りをぶらぶら歩く。
人は多いが、どこかのんびりしている。南国の正月らしい空気だ。

その途中で、妻がトラベルノートに書き留めていた、この旅の裏テーマがここで完結した。
「サーターアンダギー勝手に比較ランキング」。
1位は、結局 ファミリーマート。
「レンジで温めたときの、あのもっちり感は反則」とのこと。
2位は、備瀬のフクギ並木周辺で食べたもの。
味だけでなく、並木道の空気や歩いた時間も含めての評価らしい。
3位が、SUN SUN沖縄。
「揚げたての軽さと、ちゃんとお菓子として成立してる感じがいい」。
ローソンは、
「美味しいけど、これはもう洋菓子。サーターアンダギーとは別枠」
という理由で、惜しくも圏外だった。
評価基準は相変わらず厳しいが、妙に一貫している。
空港へ戻る前、セブンとファミマに立ち寄り、沖縄限定のハムタマゴおにぎりを買い込む。
那覇空港のサクララウンジは便の遅延で混雑していたが、なんとか席を見つけ、オリオンビールと一緒におにぎりを食べ比べた。最後まで、食べて終わる旅だった。
羽田行きの機内は、20分遅れで離陸した。
窓の外を眺めながら、この五日間を振り返る。雨に悩まされ、古いホテルに戸惑い、移動にはずいぶん頭を使った。それでも、終わってみれば、晴れ間は思ったより多く、妻はよく笑っていて、私はそれをよく見ていた。
それだけで、十分すぎるほど贅沢だった。
不完全さを、知識と工夫で楽しむ。
それが、いまの自分たちにちょうどいい旅の形なのだと思う。
エピローグ
自宅に戻り、静まり返った部屋で荷物を解きながら、この五日間のことを思い返していた。
出発前に気にしていた「古い設備」や「雨予報」は、終わってみれば旅の邪魔をするものではなく、輪郭をはっきりさせるための背景のような存在だった。
今回の旅で、特別なことをしたわけではない。
不完全さを前提にして、知恵と工夫で楽しみに変えていっただけだ。福利厚生やマイルを使って移動と宿の負担を軽くし、浮いた分を「満味」の島豚や、「うっちや〜」の一杯に注ぎ込む。節約というより、何に時間と気持ちを使うかを、二人で選び続けた結果だった。
「地雷除去班」を名乗る妻が、最初は警戒していたベルパライソの部屋は、気づけばこの旅の拠点として、これ以上ない居場所になっていた。45㎡という広さは、ただ寝るための空間ではなく、波音を聞きながら考えごとをしたり、何もしない時間を受け止めてくれる余白だった。
妻が執念を見せたサーターアンダギーの食べ比べも、気づけば単なる好みの話を超えていた。
揚げ方、生地、甘さ、その土地の空気。SUN SUN沖縄で食べたタホのやさしい甘さや、元旦の朝に突然並んだお雑煮は、「計画通りにいかないこと」を面白がれたからこそ、強く記憶に残っている。
今帰仁城跡の野面積みの石垣は、何百年も前に積まれたとは思えないほど、今も滑らかな曲線を描いていた。
古いものには、時間を重ねたからこそ出せる厚みがある。今回の旅も、快晴でも最新設備でもなかったが、二人で笑いながら困りごとを工夫に変えていった時間が、静かに積み重なっていった。
振り返ると、この旅は、使い込まれたヴィンテージの地図を広げて航路を探すような時間だった。
印刷された線は古く、ところどころ滲んでいて、先が見えなくなることもある。けれど、だからこそ、自分たちだけの入り江を見つけたときの手応えは、はっきりと残る。
明日からまた日常が始まる。
それでも、ウッパマビーチの波音と、どこかで鳴らした「幸せの鐘」の余韻は、しばらくのあいだ、二人の中で静かに鳴り続けている。
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