【人物月旦 #23】😶知らなかった顔のはなし
はじめに
このエッセイでは関係者のプライバシーを保護するため、「結城 哲也」という名前を仮名としているほか、その他の登場人物、企業名、特定の業種に至るまで、物語の骨格を損なわない範囲で別の設定に置き換えています。しかし、現場で起きた事実と、私が抱いた感情の揺れはすべて真実です。肩書きや設定の裏側にある、人間の複雑な本質そのものを味わっていただければ幸いです。
本編要約
かつて私が心底嫌っていた男が、50代で亡くなっていました。
二十数年前、彼は出版社のデジタル化構想に入り込み、新設された子会社の中心人物として莫大な資金を動かしていました。私は出向者としてその現場に立ち会い、組織の熱狂と混乱の中で、少しずつ崩れていく会社を見ていました。
半年も経たないうちに、資本金のほとんどが消え、去っていく社員たち。現実を直視できない経営陣。そして、静かに姿を消した結城氏。
私にとって彼は、人の信頼を利用し、組織の隙間に入り込む危うい人物でした。
しかし死後、偶然見つけた「送る会」の記録には、まるで別人のような結城 哲也がいました。
「人と人を繋げるのが得意だった」
「みんなで楽しくやろう、が口癖だった」
「悔しいけど、かっこ良すぎるぜ」
そこには、長年の友人たちに愛され、人の輪を作り続けた一人の男の姿がありました。
私が知っていた結城 哲也と、彼らが知っていた結城 哲也は、同じ人間だったのだろうか…。
善人だったのか、山師だったのか。
あるいは、その両方だったのか。
嫌いだった男の死後に触れた“知らなかった顔”を通して、人間という存在の複雑さと、自分自身の認識の限界について考え続ける記録です。
第一章 名前をみかけた夜
結城 哲也が亡くなったことを知ったのは、偶然でした。
仕事の調べ物をしていて、検索結果の中に見覚えのある名前が混じっていました。
「結城 哲也を送る会」
最初は同姓同名かと思いました。しかし開いた先に表示された写真を見て、すぐに分かりました。二十数年前、私が心底嫌っていた男でした。
開催は数年前。都内のクラブで行われたとあり、百人を超える人たちが集まっていたそうです。
しばらく画面を見つめていました。
結城 哲也。その名前を最後に見たのがいつだったか、もう思い出せません。ある時期、毎日のように顔を合わせていた人間でした。それなのに、彼が私の前から消えたあと、私は意識的にその名前を遠ざけていた気がします。
亡くなっていたのか、と思いました。
ただ、不思議なことに、すぐには感情が動きませんでした。
安堵でもなければ、怒りでもない。もっと輪郭の曖昧な感覚でした。昔よく知っていたはずの人間が、いつの間にか「理解できなかった存在」として記憶の奥に沈んでいたことに気づかされたような感覚でした。
興味半分で、関連する文章をいくつか開いてみました。
その中に、長年の親友だという人物のブログがありました。
「湿っぽいのが苦手なヤツなので、彼の大好きなディスコソングをガンガンかけて明るく送り出そう」
そんな一文が書かれていました。
さらに読み進めました。
「悔しいけどかっこ良すぎるぜ、テツヤ」
「人と人を繋げるのが得意で、“みんなで楽しくやろう”が口癖だった」
私は少し戸惑いました。
私が知っている結城 哲也と、そこに書かれている結城 哲也が、うまく重ならなかったからです。
もちろん、人にはいくつもの顔があります。そんなことは分かっていました。しかし、それにしても距離が大きすぎる気がしました。
私にとっての結城 哲也は、組織の隙間に入り込み、人の信頼を巧みに利用していた人物でした。
一方で、長年の親友にとっての彼は、人の輪を作り、場を明るくし、死後にも百人以上を集めるような男でした。
どちらが本当なのだろう、と思いました。
あるいは、人間はそう簡単に一つでは括れないかもしれないとも感じました。
その夜、私は十数年ぶりに、結城 哲也という人物について考え始めていました。
第二章 最初の違和感
結城 哲也が私の前に現れたのは、私がいまの会社に転職して2年ほど経った頃でした。
会社にもようやく慣れ始め、自分なりに業界の輪郭が見え始めた時期でした。
勤め先は、企業動向や経済ニュースを扱う老舗の出版社でした。
もともとは紙の雑誌やビジネス書を主体として成長してきた企業で、当時は本格的なデジタル化への転換を模索していました。
そこへ、「面白いコンサルタントがいる」と紹介されてきたのが結城 哲也でした。
紹介したのは、社長の古い知人。大手銀行出身の人物で、社長もかなり信頼を置いていた方のようです。長年の付き合いの中で繋がった紹介だったこともあり、経営陣は最初から結城氏を歓迎していました。
実際、彼には人を惹きつける空気がありました。
話し方は滑らかで、いかにも頭の回転が速そうだった…。
難しい話を分かりやすく整理して見せるのも上手かったし、「これから時代がどう変わるか」を語る時には妙な説得力がありました。
特にオーナー一族の人間たちは、かなり強く影響を受けていたように見えました。
ただ、私は最初から少し苦手でした。
何が嫌だったのかは、今でもうまく説明できません。
胸元の大きく開いたシャツのような外見的な印象もあったのかもしれません。
しかし本質的には、もっと別のところだった気がします。
話は整然としているのに、なぜか手触りが薄い。
上手く説明できないが、そんな感覚がありました。
ただ一方で、今振り返ると、当時の私は彼を最初から警戒しすぎていた気もします。
私はもともと、ああいう「人を巻き込むのが上手いタイプ」の人間が得意ではありませんでした。
だから彼の魅力を、魅力として受け取れなかった部分もあったのだと思います。
彼が持ち込んだのは、「ビジネスリーダー向けポータルサイト」の構想でした。
当時すでに似たようなサービスは存在していて、少なくとも私には、それほど新鮮なものには見えませんでした。
しかし、経営陣は強く期待していました。
時代が変わる。
出版だけでは生き残れない。新しい事業が必要だ。
そういう空気が会社全体にありました。
そして結城氏は、その「変わらなければならない」という焦りに入り込むのが上手かった…。
第三章 新会社
話は、驚くほど早く進みました。
新規事業のための子会社が設立されることになり、結城氏はその中心人物として迎えられました。
私は本社から、その子会社への出向を命じられました。
正直に言えば、気は進みませんでした。
ただ、完全に拒絶するほどの確信があったわけでもありません。まだ20代だった私は、自分の違和感が偏見なのか直感なのか、はっきり言語化できていなかったと思います。
ただ漠然と、「何かが噛み合っていない」という感覚だけがありました。
新しいオフィスは立派でした。ガラス張りで、いかにも当時のITベンチャーらしい内装でした。
しかし、その時点で売上はまだ1円もありませんでした。
私は妙な居心地の悪さを感じていました。
結城氏によって外部から集められたメンバーも、どこか不思議でした。
「一流の立ち上げチーム」と説明されていましたが、実際には経歴の輪郭が曖昧な人間が多かった。
ずいぶん後になって知ったことですが、
そこにいた営業責任者として紹介された男は、実質的に個人で営む零細企業の社長にすぎませんでした。
インフラ担当だという青年は前年までただの大学生だった人物でした。
広報畑のプロだという人物に至っては、ここへ来る前日までマンガ喫茶の受付でアルバイトをしていたと聞きました。
いずれも、プロフェッショナルとは程遠い存在でした。
ただ、今振り返ってみれば、彼ら全員が明確な悪意を持っていたとも言い切れません。
結城氏の語る壮大な話に、本気で夢を乗せていた人間もいたのだと思います。
実際、あの頃はまだITバブルの余熱がわずかに世間に残っていました。
大きな言葉と勢いさえあれば人が集まり、実態のないところへ金が動いていく。
そんな奇妙な時代の空気が、まだ存在していました。
問題だったのは、金の流れでした。
支払いの多くが、結城氏のコンサルティング会社を経由していました。
ブランド戦略。企画費。派遣費用。展示会費用。
数字を見ていると、資金がひとつの方向へ集まっていく感覚がありました。
私は徐々に、自分の違和感が単なる好き嫌いでは済まないものなのかもしれない、と思い始めていました。
第四章 出向者の立場
今振り返ると、当時の私は「正義感に燃えていた若手社員」などではなかったと思います。
むしろ必死でした。
会社の空気も、人間関係も、立場の差も見えていました。
真正面から「これはおかしい」と叫んでも、何も変わらないことくらいは分かっていました。
結城氏は、オーナー一族から強く信頼されていました。
特に若い役員たちは、彼が語る「新時代」の話に魅了されていたように見えました。
だから私は、感情ではなく数字で話すしかないと思いました。
経理に相談し、支払いの流れを確認しました。システム部門にも協力を求めました。少しずつ状況を整理し始めました。
しかし、時間が足りませんでした。半年も経たないうちに、資本金のほとんどが消えていました。
その頃には、現場の空気も崩れ始めていて、
他の出向者たちは次々に会社を去っていきました。
結城氏たちも、ある時期から徐々に姿を見せなくなりました。
ただ、不思議なことに、経営陣は最後まで完全には現実を受け止めきれていなかったように見えました。
「結城氏は忙しくなったのだろう」
「事業が軌道に乗れば戻ってくる」
そんな空気が、どこかに残っていました。
今思えば、あれは盲信というより、「失敗を認められない心理」に近かったのかもしれません。
やがて、関与していた親会社側の役員たちも引き上げていきました。
残ったのは、ほとんど空洞になった会社と、数人の人間だけ。
私自身も転職活動を始めていました。
当然だったと思います。
しかしそんな時、本社の専務が私のところへやって来ました。
「お前まで辞めたら、この会社は終わる」
その言葉を聞いた瞬間、私は妙な感覚になりました。
責任を押し付けられている気もしたし、同時に、初めて現実を直視する人間が現れた気もしました。
専務は続けて聞いてきました。
「どうすれば立て直せると思うか」
私は少し考えてから答えました。
「一人では無理です。気心の知れた人間が必要です」
数日後、本社から5人の出向辞令が出ました。
その時ようやく私は、「逃げる」のではなく、「立て直す」という方向を現実として考え始めていました。
後になって思います。
もし結城 哲也が現れなければ、あの会社は存在していませんでした。
そして、あの廃墟のような場所がなければ、その後の私の仕事人生も、おそらく別の形になっていました。
それを「感謝」と呼ぶ気には、今でも当然なれません。
ただ、自分の人生に大きな影響を与えた人物の一人であることだけは、否定できませんでした。
第五章 死後に見えたもの
「結城 哲也を送る会」のページを閉じる前に、私はもう少しだけ関連する文章を読んでみました。
長年の友人たちによる追悼文。
昔話。写真。音楽。酒席の記憶。
そこに書かれていた結城 哲也は、私の知っている結城 哲也とは、かなり違っていました。
長年の親友だという人物は、学生時代のことを書いていました。
当時、彼だけが別の学校に通っていて、周囲から少し浮いた存在だったらしい。そんな彼を仲間の輪に引き入れたのが結城氏だったそうです。
「ひとりだけ別の学校だった僕を、仲間たちと繋げてくれたのも彼だった」
そう書かれていました。
さらに、
「それから35年も経っているのに、彼が死んだことで、また旧友たちの輪が繋がっていく」とも。
私はその文章を読みながら、奇妙な感覚になっていました。
人を繋げる。
その言葉自体は、私にもよく分かる気がしたからでした。
実際、結城氏にはそういう力がありました。
人をその気にさせる。輪を作る。場を動かす。初対面同士を自然につなぐ。そういうことが非常に上手い人間でした。
だからこそ、経営陣も彼を信用したのだろうと思います。
そしておそらく、それは人を欺くためだけの演技ではなかったとも思います。
別の場所では、本気で誰かを励まし、本気で誰かを助けていたのかもしれない。
若い起業志望者の相談に親身に乗ってくれた、という話も読みました。
「人柄がよく、こんなに親身に話を聞いてくれる人はいなかった」
そう書かれていました。
私は少し考え込んでしまいました。
もちろん、私が見た現実は消えません。
数字も、資金の流れも、崩壊した現場も、全部現実でした。
しかし同時に、彼を慕っていた人たちの記憶も、おそらく嘘ではないのだろうと思いました。
では、結城 哲也とは何だったのだろう。
ただの山師だったのか。 心優しい好漢だったのか。
あるいは、その両方だったのか。
私は答えを出せないまま、しばらく画面を眺めていました。
終章 着地しない問い
結城 哲也は、50代で亡くなりました。
都内のクラブに百人を超える人たちが集まり、ディスコソングを流しながら送り出されました。
私は、その場にはいませんでした。
呼ばれる理由もなかったし、もし誘われていたとしても、行かなかったと思います。
それでも、こうして二十数年ぶりに彼の名前をインターネットでみつけ、当時のことを書いています。
その理由を、自分でもまだうまく説明できないでいます。
ただ一つ分かるのは、私は長い間、結城 哲也という人間を「理解したつもり」になっていたのだ、ということだけです。
私にとっての彼は、人の信頼の中へ入り込み、莫大な金を動かした人物でした。
その認識は今も変わっていません。
ただ、それだけでは説明しきれない何かが、死後に残された言葉の中にはありました。
人は、一つの顔だけでは生きていないのかもしれません。
ある場所では誰かを傷つけ、別の場所では誰かを支えている。同じ能力が、ある場面では人を救い、別の場面では人を破壊する。
結城 哲也という人間には、そういう危うさがありました。
そして私は長い間、その一面しか見ようとしていなかったのかもしれません。
もちろん、それで彼を許そうという話ではありません。
実際に失われた金があり、壊れた現場があり、辞めていった人たちがいた。それは現実として存在しています。
ただ、それでもなお、人間は単純には割り切れない。
人物月旦というこのシリーズでは、これまで主に「私に良い影響を与えた人たち」を書いてきました。
結城 哲也は、その中ではかなり異質な存在だと思います。
私は彼のことが嫌いでした。
おそらく、向こうも私を目障りな人間だと思っていたと思います。
それでも、もし彼が現れなければ、私はあの混乱の現場に立つこともなかったし、その後の仕事人生も違うものになっていたはずです。
結城 哲也が何を考えていたのか、今となってはもう分かりません。
確かめる術もない。
ただ、死後に残された人々の言葉を読んだ夜、私は初めて、「嫌いだった人間」という言葉だけでは片付けられない感覚を持ちました。
その感覚の正体を、私はまだ言葉にできていません。
だからたぶん、この文章も結論ではない。
整理の途中なのだと思います。
人間とは、本当に分からないものです。
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