【人物月旦 #07】😁キングスクロスで響いた歌声のはなし
はじめに
このエッセイでは、登場人物のプライバシーを守るため仮名を使用しています。物語や感情は真実に基づいていますが、名前にとらわれず、本質や物語そのものを楽しんでいただけることを願っています。
👇本編要約
シドニー郊外での生活を経て、キングスクロスのドミトリーで多国籍の旅行者と過ごした筆者は、初めは慣れない英語に戸惑いながらも、歌手志望のオーストラリア人女性モニークとの交流を通じて異文化に溶け込んでいきます。彼女の澄んだ歌声や夢を語る姿に触発され、筆者も自らの殻を破り、前向きに行動する力を得ます。モニークが次の旅先へ向かう別れは寂しいものの、彼女との時間が筆者にとって大切な成長のきっかけとなったことが深く描かれています。
P/S:いつも温かい「スキ」をありがとうございます。気に入っていただけたら「スキ❤ボタン」で執筆を応援してもらえると心強いです。これからもよろしくお願いします!
今回の人物月旦7回目はシドニー郊外ベラウラでの生活を経て、日本人コミュニティから完全に離れた暮らしに慣れてきた頃、シドニーのキングスクロスにあるドミトリーへ移り住み、そこで多国籍の旅行者たちに囲まれながら過ごした日々を綴ります。(背景について詳しくは人物月旦#04)
ドミトリーの住人は、さまざまな国からやって来た旅人たち。食堂で同じテーブルを囲むと、初対面の彼らから話しかけられることもしばしばありました。しかし、各国のアクセントや独特の言い回しに戸惑い、慣れない英語での会話に四苦八苦していたのも事実です。それは、否応なしに自分を異文化の世界に放り込むような日々でした。
そんな混乱の中で出会ったのが、ある歌手志望のオーストラリア人の女の子でした。彼女との交流を通じて、私は次第にドミトリーでの生活に馴染み、多様な背景を持つ人々との会話を楽しめるようになりました。そして、彼らの生き方や考え方に触れる中で、自分自身も少しずつ成長していくのを感じる事ができるようになっていきました。
それでは、本編をどうぞ。
キングスクロスへ
ベラウラでの生活は、英語だけで過ごす日々の中で少しずつ自信をつける時間となりました。静かな街での暮らしは穏やかで心地よいものでしたが、次第に現実的な問題が私を追い詰め始めました。それは「お金」の問題です。持ってきた貯金は底を突きかけており、このままでは語学学校の学費はおろか、生活そのものが立ち行かなくなる状況でした。
アルバイトをして収入を得る必要がありましたが、ベラウラのような郊外では仕事の選択肢が限られており、求人情報もほとんど見つかりません。このままここに留まるのは現実的ではないと判断し、私はシドニーの都心部に移る決断をしました。生活費を抑えるため、宿泊先にはキングスクロスのバックパッカーズホステルを選びました。多くの旅行者が集まるこのホステルは、1泊あたりの費用が安く、当時の私にとって最も現実的な選択肢でした。
当時、キングスクロスは、「南半球最大の歓楽街」とも呼ばれるほど賑やかな街でした。夜になるとネオンが輝き、キャバレーやナイトクラブから音楽や笑い声が溢れてきます。しかし、その華やかさの裏には、ドラッグの売人や路上生活者が潜む一面もありました。この街での生活は、ベラウラの静けさとは対照的で、どこか混沌とした空気に満ちていました。
バックパッカーズホステルには、さまざまな国からやって来た旅人たちが集まっていました。広い食堂で食事をしていると、自然と会話が始まりましたが、相手の英語はそれぞれの国特有のアクセントや癖が強く、聞き取るのに苦労することも多々ありました。それでも、そこで出会う人々とのやり取りは新鮮で刺激的でした。
そんな中で、私の印象に残った一人が、ブリスベンからきたモニークという女性でした。彼女との出会いは、私のシドニーでの生活をより豊かなものへと変えていくきっかけとなりました。
モニークとの出会い
モニークは、ホステルの食堂で出会った女性でした。ある夜、彼女がギターを抱えて現れ、ぽつりと歌い始めたのです。曲はマドンナの『Like a Virgin』。その歌声は、澄み渡るような透明感があり、私の心を瞬時に掴みました。彼女の声には、ただ上手いだけではない、聞く人の感情を揺さぶる特別な力がありました。
「ブリスベンから来ました。歌手になりたくて旅をしています」と控えめに自己紹介をした彼女。その言葉の裏側には、どこか緊張と不安、そして何より歌うことへの強い情熱が感じられました。その夜の歌声は、食堂にいた全員を聞き入っていて、曲が終わると同時に自然と拍手が巻き起こったのを覚えています。私もその中に混じりながら、彼女の歌に魅了さていました。
けれど、私は彼女に話しかけることができませんでした。どう声をかければいいのかもわからず、ただ遠くから彼女を見つめるだけ。けれど、その歌声が私の中に残した強烈な印象は、消えることがありませんでした。
そんな私を見ていたのが、ホステルで仲の良かったカナダ人のヴァルリという女性でした。彼女は姉御肌で明るい性格の持ち主。初対面の時からどこか頼りがいのある雰囲気を感じていました。彼女は、私がモニークの歌声に魅了され、けれど何も行動に移せないでいる様子を見透かしているようでした。
「あの子のこと気になってるんじゃないの?」と、ある日突然ストレートに言われ、思わずドキッとしました。図星を突かれた私は、否定も肯定もできず、ただ苦笑いを返すしかありませんでした。それでも彼女は、「こういうのは、動かないと始まらないのよ」と言いながら、まるで背中を押すように笑っていました。
その後も、ヴァルリは「さっきの歌、どうだった?」とか「話しかけなよ」とさりげなく話題を振り、私を前向きにさせようとしました。とはいえ、それでも実際にモニークに話しかけるには、まだもう少し時間が必要でした。
イナズマのソリコミ
そのヴァルリは、私が自分の興味をなかなか表に出せない性格なのを見抜いていました。ある日、彼女は私に向かってこう言いました。
「今日は私がイメチェンしてあげるよ。もっと自分を出したほうがいい。旅先なんだから、ちょっとくらい見た目を大胆にしてみたら」と。そして私を近くの美容院へ連れていきました。
美容院についていくと、私を席に座らせて、彼女は「思い切りが大事」と言いながら、美容師に大胆な注文をしました。「ベリーショートにして、もみあげは取って、こめかみ辺りから後ろに向けてイナズマのソリコミを入れてほしいんです」と。私は驚きつつも、抗えず、どこか流される気持ちで承諾してしまいました。
鏡に映った新しい自分の姿に、最初は戸惑いました。普段の自分とはかけ離れたスタイルに「意外といいかも」と思ったのを覚えています。隣でヴァルリが満足げに笑いながら、「これで見た目は十分」と背中を押してくれました。
その夜、私はついに思い切ってモニークに話しかけました。食堂でギターを手にくつろいでいた彼女に向かい、「今日も歌、とてもよかった」と声をかけると、彼女は少し照れくさそうに微笑みながら「ありがとう」と返してくれました。その返事にほっとしたのを覚えています。
そのまま少しぎこちなく会話を続けていると、彼女がふと私の髪型に目を向けました。「髪型、変えたよね?前よりかっこよくなった!すごく似合ってる」と言われ、一瞬驚きましたが、その言葉が妙に嬉しく感じられました。それは単に髪型を褒められたからではなく、彼女が私を見ていてくれたことがわかったからでした。
その後は自然に話が弾みました。彼女がギターを持つようになったきっかけや、好きな曲について話してくれるうちに、私も自分の話を少しずつできるようになりました。気づけば、私たちは食堂の片隅でずっと話し込んでいました。彼女の気さくな笑顔と穏やかな語り口が、緊張していた私の心をほぐしてくれたのです。
その夜、食堂から自分の部屋へ戻る足取りは、これまでよりも軽く感じられました。新しい髪型はただの外見の変化ではなく、自分に少しの自信と、変わろうとするきっかけを与えてくれたのだと気づきました。モニークとの会話を通じて、「誰かと交流すること」の楽しさや、自分から一歩踏み出すことの大切さを実感した瞬間でした。
日本食が食べたい
その後は気楽に話せる友人としてお互いにアルバイト終わりを待ち、近くのカフェでお茶をするようになりました。彼女は「今日も忙しかった!」と笑いながら紅茶を頼み、私は節約のために一杯のコーヒーで長居をするのが常でした。テーブル越しに交わす会話は、私にとって何より楽しい時間でした。
「今は忙しくて練習する時間があまり取れないけど、ホステルに戻ったらギターを弾くのが唯一の息抜き」と語る彼女の言葉からは、歌への強い思いが感じられました。忙しい日々の中でも彼女は歌を諦めていない。それを聞くたびに、私も彼女に対して自然と応援したい気持ちが強まっていったのです。
ある日、食堂で朝食を一緒にとっていると彼女がふと「いつか日本食を食べてみたい」と言ったのです。その言葉を聞いて、私は真っ先にこの近くにある「はらどけい」という定食屋を思い浮かべました。「はらどけい」は、私自身も何度か通ったことのある、日本人夫婦が営む小さな定食屋でした。
「はらどけい」のメニューは、ハンバーグ定食やレバニラ定食、野菜炒め定食といった、日本の街角にありそうなごく普通の定食屋を思わせる内容でした。豪華さや特別な料理はありませんでしたが、その「普通の味」が当時のシドニーではとても希少だったのです。現地でよく目にする日本食風の店とは違い、出汁の効いた味噌汁や醤油の香りが漂う料理は、日本人にとって家庭の味を思い出させる特別な存在でした。値段も、日本で食べるのとそれほど変わらず、気軽に通えるのも魅力の一つでした。
さらに、「はらどけい」には日本のマンガ雑誌が一週遅れで置かれていました。日本のマンガの存在は、インターネットもない当時、現地で日本の今に触れられる貴重な手段でした。そのため、「はらどけい」はただの食堂ではなく、長期滞在している日本人にとって情報交換の場や心の拠り所でもあったのです。
そんな場所に、彼女を連れて行こうと思い切って誘ってみることにしました。「ここなら、本物の日本の味が楽しめるかもしれないよ」と伝えると、彼女は目を輝かせて「行ってみたい!」と答えてくれました。その反応に、嬉しくなり、彼女と一緒に「はらどけい」を訪れる日を楽しみに待ったのを覚えています。
店内に入ると、どこか懐かしい日本の雰囲気が広がっていました。木のカウンターや手書きのメニュー、温かみのある空間に、彼女は興味津々の様子で店内を見回しながら、「日本ってこういう感じなの?」と小さな驚きを交えた声で言いました。その様子を見て、私は連れてきて良かったと思いました。
「はらどけい」での食事をしながら、私たちは普段よりも少し深い話をすることができました。彼女の夢は、歌手として本物のステージに立つこと。しかし、その夢は家族には受け入れられておらず、「もっと現実的な仕事を探しなさい」と言われ続けてきたそうです。それでも彼女は「歌うことが私のやりたいことだから」と、決して諦めるつもりはないと話していました。
「いつか本物のステージで歌いたい」と語る彼女の表情には、迷いよりも希望がありました。その姿を見ると、私も心を動かされるものがありました。自分の夢を素直に語り、それに向かって進もうとする彼女の姿が、私にはとても印象的でした。
彼女と過ごす時間は穏やかで、心に残るものでした。彼女の夢に触れたことで、私自身も少しずつ自分の内面を見つめるようになっていったのかもしれません。
モニークとの別れ
ある日、モニークは「次の旅先に行く」と静かに言いました。彼女は続けて「キャンベラで知り合いに歌の仕事を紹介してもらったの」と教えてくれました。突然のことで驚きましたが、彼女は静かに微笑みながら「新しい土地で歌手としての道をもっと追いかけたい」と語りました。その言葉には彼女らしい前向きさがあり、迷いがないように見えました。
私は何を言えばいいのかわからず、結局「頑張って」とだけ伝えました。彼女は「ありがとう」と返してくれましたが、それ以上の言葉を交わすことはありませんでした。彼女が荷物をまとめてホステルを出て行く姿を見送りながら、私はなんとも言えない寂しさを感じていました。
モニークが去った後、ホステルの食堂は少し静かに感じられました。彼女のギターの音や、あの歌声が聞こえないのは不思議なもので、ふとした瞬間に彼女が座っていた席に目が向いてしまうこともありました。彼女が歌っていた姿や、話していた声が何度も頭の中に浮かんできました。
当然、寂しさもありましたが、彼女が夢に向かって進む姿を思い出すたびに「自分ももっと素直に行動してみよう」と思えるようになったのです。
この時、特別な何かを成し遂げたわけではありませんが、彼女と過ごした時間や彼女の言葉が、私の中に何かを残していったのは間違いありません。彼女のいないホステルでの日々が、少しだけ前向きに感じられるようになったのは、そのおかげだったのかもしれません。
🔔Bell
いいなと思ったら応援しよう!
いただいたサポートは、noteの有料記事の購入や他のクリエイターの方へのサポートなど、何かしらnoteに還元する形で使わせていただきます。