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⏱️タイムトラベルフォトブック|振り返り🚃京都週末旅の記録

旅の記憶というのは、時間が経つにつれて輪郭がぼんやりとしてくるものですが、ふと写真を見返すと、その瞬間の風景や空気感、さらには当時の気持ちまで鮮やかに蘇ってくるから不思議です。

この「タイムトラベルフォトブック」では、そんな写真を頼りに、過去の旅をもう一度たどってみる――そんな試みを重ねています。

今回取り出したのは、2007年の10月、出張を終えた京都で妻と合流し、ほんの短い週末を過ごしたときの記録。
写真のフォルダには、その土曜日の夕方、北野天満宮の前で撮った一枚から旅が始まっています。時刻はすでに夕暮れ、旅というにはあまりにもささやかな時間のかけら。

けれど、そんな小さな旅の記憶にも、不思議と残り香のようなものが漂っています。
町家造りの宿、翌日の静かな朝、歩いた石畳の道。
そして、写真の最後に残っていたのは、舞妓姿の妻の写真。観光地らしいサービスとはわかっていても、どこか照れくさくも微笑ましい一枚でした。

今回は、そんな“週末の京都”をめぐる写真とともに、記憶の中の風景を辿ってみたいと思います。


夕暮れの北野天満宮前から始まった旅

写真フォルダをさかのぼっていくと、今回の旅の始まりは2007年10月6日(土)、夕暮れの北野天満宮の前で撮った一枚からでした。

おそらく、この日まで私は京都での出張を終えていて、午後に妻と合流したのだと思います。はっきりとは覚えていないのですが、「北野天満宮の前で撮った」ということは、たぶんこのあたりで待ち合わせをして、そこから一緒に歩き出したのでしょう。

北野天満宮の大門
北野天満宮の前で撮った一枚

写真に写っているのは、正面大門のあたり。西日が差していて、門の屋根が少しだけ金色に輝いていたのが印象に残っています。
当時の私は、小型のデジカメを使っていて、画素数も今見るとやや粗め。それでも、あのときの空気の匂いとか、ちょっと涼しくなってきた秋の気配みたいなものが、画面越しに蘇ってきます。

それから歩いたのは、北野天満宮のすぐ近くにある「上七軒(かみしちけん)」の通り。

写真を見返していて、格子戸が並ぶ町並みや、夕暮れ時の柔らかな灯りが印象的な一枚を見つけました。上七軒というと、花街としての趣を今に残すエリア。まるで時間がゆっくり流れているような、そんな雰囲気が漂っていました。
あのときは「これが京都の“路地の美しさ”なんだな」と、ふたりで静かに感心しながら歩いていたような気がします。

出張終わりで常にキャリーケースを持って移動

その晩は、町屋づくりの宿に泊まったはずです。これもまた記憶があいまいで、宿の名前も残っていません。
ただ、「町屋のような建物で、階段が急だった」ということだけは覚えています。


京都御所と廬山寺、そして腰のお守りの話

翌朝、旅の写真は京都御所の入口あたりから始まっていました。

京都御所の入口あたり

砂利道の向こうにまっすぐ伸びる木立の影。写真にはほとんど人が写っておらず、日曜の朝らしい、少しだけ静けさの残る時間帯だったようです。

記憶としてはあまりはっきり残っていないのですが、歩いていたのはたしか御苑の南側から入って、砂利道をのんびり進んでいったような気がします。
当時はそれほど「京都御所」に対して強い関心があったわけではなかったものの、開けた空の下を歩く気持ちよさと、砂利を踏みしめる音だけが耳に残っているような、不思議な記憶です。

砂利道をのんびり進んでいった

そのあと立ち寄ったのが「廬山寺(ろざんじ)」でした。

ここは紫式部の邸宅跡とされているお寺で、写真を見ると、平庭式の枯山水が美しく手入れされていました。
小さな白砂の庭に、数本の苔むした石がぽつりぽつりと置かれていて、派手さはないけれど、思わず足を止めたくなるような静けさがあります。

平庭式の枯山水

廬山寺という名前だけは、あとから写真を見て調べ直して思い出しました。当時はきっと、「なんとなく風情があるから」といった軽い気持ちで立ち寄ったのだと思います。
でも、今あらためて見てみると、京都らしい落ち着いた空間で、旅の中の小さな宝物みたいな場所だったんだなと感じます。

再び京都御所のほうに戻り、「京都御苑」という看板の前で一枚撮影。

京都御苑前

そしてそのまま歩いて「蛤御門(はまぐりごもん)」へ。

蛤御門前

このあたりは、歴史好きな人なら幕末の話が自然に出てくるのでしょうが、当時の私たちにはそれほど意味のあるスポットでもなく、ただ気ままに歩いていた、というのが正直なところでした。

そのあと訪れた護王神社では、意外な“ご縁”がありました。

鳥居の前で撮った写真のすぐ後に、和気清麻呂(わけのきよまろ)の絵巻を眺めている様子が写っていました。

塀沿いに和気清麻呂(わけのきよまろ)の絵巻

実はこの護王神社、足腰の守護神として知られているそうで、あとから知ったのですが、まさに当時の私たちにはぴったりでした。

というのも、当時の妻はちょうど腰を痛めていて、階段を昇るのも少し大変そうにしていたんですね。
そんな中で見つけたのが「腰のお守り」。
思わず「これ、今の私にぴったりじゃない?」と笑いながら買っていたのを思い出します。
そのときのお守りの写真が一枚、しっかり残っていました。

腰の御守

思えば、観光というよりも、こうしたささやかな出来事こそが旅の記憶を形作っているのかもしれません。


一條戻橋と清明神社、ミステリーの風が吹く場所

護王神社をあとにして、私たちはそのまま西へ歩いていたようです。
次の写真は「一條戻橋」の前を通りすぎているカット。

一條戻橋を渡りながら

一條戻橋――名前からして何やら意味ありげで、実際、伝説や逸話に事欠かない場所。

当時はその歴史的な背景について深く知っていたわけではありませんでしたが、ただ、この橋が“京都ミステリー”によく登場するということだけは、妻がよく話していました。

山村美紗や西村京太郎といった作家たちの小説に、何度もこの橋が出てくるそうで、「あ、ここがあの現場…!」とでも言うように、妻は感慨深そうに眺めていました。
観光地で写真を撮るときとは少し違って、立ち止まり、じっと橋の欄干に視線を落とすその姿が、いまでも妙に記憶に残っています。

橋を渡った先には、晴明神社がありました。

言わずと知れた陰陽師・安倍晴明を祀る神社。
鳥居をくぐるとすぐに「五芒星」の紋が目に入り、境内の空気がほんの少しだけ張り詰めているような、独特の雰囲気がありました。

清明神社前

こちらも、正直なところ当時の私はそこまで関心を持っていなかったのですが、妻は妙に楽しそうに境内を歩いていたように思います。
「こういう不思議な気配が残ってるところ、やっぱり好きなんだよね」と言いながら、おみくじを引いていた気もします。
何が出たのかまでは、さすがに覚えていません。

神社を出たあと、再び一條戻橋の前に戻って写真を撮っていました。
今思えば、最初は通過しただけだったのが、もう一度立ち寄って写真を撮るというのは、よほど妻の中で印象に残っていた場所だったのでしょう。

こうしてみると、この旅の中でいちばん“物語の気配”があった時間だったのかもしれません。
実際の京都の街を歩きながら、頭のなかではフィクションの世界が重なっていたのだと思います。


八坂通りから清水寺へ。王道の中にある旅のかけら

清明神社と一條戻橋をあとにして、私たちはたぶん市バスに乗って、東山のほうへ移動したのだと思います。
そのあたりの移動経路については写真が残っていないのですが、次に登場するのが、すでに八坂通りを歩いているところ。

石畳の坂道沿いには、いかにも京都らしい土産物屋が並んでいて、ちりめん細工やお箸、扇子などが彩りよく吊るされていたのを、なんとなく覚えています。
写真には、観光客らしい人たちの姿と一緒に、ちょっと照れたように立っている妻が写っていて、「人混みのなかで写真を撮るの、ちょっと恥ずかしいよね」と言いながらシャッターを切ったような気がします。

八坂通で

道の途中、「ようじや」の店舗前でも一枚。

白地に黒い筆文字のシンボルマークが目立つあの看板は、今でも記憶に残る京都のアイコンのひとつです。
何を買ったのかまでは覚えていないけれど、「あ、ここが“あの”ようじやなんだ」と、小さなテンションの上がり方をしたのは確かでした。

やがて視界の先に、清水寺の大門が見えてきます。

このあたりはまさに観光の“ど真ん中”。
写真には人の列と、朱塗りの門、そして階段を昇る私たちの後ろ姿。
「やっぱり来ちゃうよね、定番だけど」というような言葉を交わしながら、ゆっくりと本堂へ向かいました。

清水寺の大門

境内では、よくあるガイドブックの写真とほとんど同じような構図で、清水の舞台を背景に記念撮影。

典型的なフォトスポット

そして、お参りを済ませて、舞台から見下ろす京都の街を少しのあいだ眺めていました。

お参りして


10月の陽射しはまだ優しくて、空は思ったよりも青く、見下ろす街並みに秋の色が少しだけ混じりはじめていたように思います。

京都の街を少しのあいだ眺めていました

観光地としては定番中の定番だけど、それでもやっぱり――そこには“あのときの京都”がありました。
日常のなかにはない空気の流れ方、時間の感じ方。
今振り返ると、あのときの清水寺は、旅の中の“ハレの舞台”のような存在だった気がします。


舞子姿の記憶、そして写真に映らなかったもの

清水寺をあとにしたあとの写真は、少し時間が飛んでいます。
次に登場するのは、舞子姿になった妻の写真――どうやら観光客向けの舞子体験に立ち寄ったようです。

舞子さん姿

はっきりとした場所までは思い出せないのですが、おそらく清水坂や八坂通りのあたりだったのでしょう。あの界隈には、そういったサービスの看板が並んでいたのをぼんやりと覚えています。

写真の中の妻は、慣れない白塗りの化粧にちょっと緊張したような笑みを浮かべていて、普段とはまるで違う雰囲気。
その場では照れていましたが、いま見返すと、やっぱり旅の思い出としてはとびきりユニークな一枚になっています。

この写真が、この旅で残っている最後の一枚です。
そのあとの行動や帰り道の記録は何も残っていませんが、たぶんそのままどこかで軽く食事をして、夕方の新幹線で東京に戻ったのだろうと思います。

――と思いながら、ふと気づいたことがあります。
今回の写真フォルダには、食事の写真が一枚もないんです。これは、我が家の旅としてはちょっと珍しいことでした。

というのも、私たちにとって旅の楽しみの半分以上は「食」にあると思っているほど、食事の記録はいつも何かしら残しているのです。
朝ごはんのパンでも、喫茶店で飲んだコーヒーでも、ついシャッターを押してしまうのがふたりの旅の癖。
それなのに今回は、なぜかどこで何を食べたのか、さっぱり思い出せません。

もしかすると、出張終わりという背景もあって、ちょっと気が抜けていたのかもしれませんし、当時の私たちには「旅の記録をちゃんと残す」という意識がまだそこまで強くなかったのかもしれません。
それでも、不思議とこの旅の印象はよく覚えている。
たった一泊の週末旅なのに、まるで数日かけて旅したような感覚があるのです。

それはきっと、記憶の中に“写真に写っていない余白”がたくさん残っているからなのかもしれません。
撮っていないからこそ、逆に想像の余地があり、懐かしむ気持ちが膨らむ――そんなことを感じさせてくれる旅の記録でした。


旅の記録は、つい写真の枚数や情報量に目が行きがちですが、こうした“抜け落ちたもの”の存在が、かえって記憶を豊かにしてくれることもあるのかもしれません。
次に京都を訪れたときには、今度こそ、あのとき何を食べたかを“取り返す”ような気持ちで歩いてみたいと思います。


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