⏱️タイムトラベルフォトブック|振り返り🚙大分・別府三連休旅の記録
こんにちは、Bell noteです。
旅の記憶というのは、不思議なもので──
時間が経つほどに輪郭はあいまいになっていくのに、ふと写真を見返すだけで、そのときの風景や空気感、さらには自分がどんな気持ちでそこにいたのかまで、思いがけず鮮やかによみがえってくることがあります。
この「タイムトラベルフォトブック」では、そんな写真の力を頼りに、過去の旅をもう一度たどりながら、そのときどきの風景や心の動きを、ゆるやかに綴っていけたらと思っています。
今回ページをめくったのは、2008年の1月──
妻のふるさと・大分を訪れた、寒い季節の小さな旅。
妻の祖母に会うことを兼ねて、連休を使って出かけた2泊3日の道のりは、あたたかさと懐かしさが入り混じった、そんな記憶のかけらに満ちていました。
海老のオブジェから始まる旅(2008年1月12日)
旅の最初の写真といえば、たいていは空港の出発ロビーだったり、機内から見た空だったり──そんなものを思い浮かべがちですが、
この旅では、ちょっと違っていました。
2008年1月、妻のふるさと・大分を訪れた2泊3日の旅。その一枚目は、大分空港の手荷物受取所で見かけた、巨大な海老のオブジェでした。

皿に乗った握り寿司のかたちをした海老が、無言でぐるぐるとターンテーブルを回っている。
写真のタイムスタンプは16時1分。ああ、このときだったなと、今もそのまま思い出せる一枚です。
あとで調べてみたところ、あの海老は空港の観光PRのために設置されたオブジェで、大分名物の車海老をモチーフにしたものだそうです。
ツヤツヤとした見た目で、サイズもかなり大きく、はじめて見る人はたいてい驚くと思います。けれど、見ようによってはちょっと愛嬌もあって、旅のはじまりに笑いをくれるような存在でした。
空港を出たあとはレンタカーで、妻の祖母の家へ向かいました。
場所は海沿いを走る山あいの町で、夕方の光が少しずつ傾くなか、小さな交差点の看板や、地元のスーパーの前を通りながら、静かに車を走らせたのを覚えています。
その晩は祖母の家に一泊。
写真は残っていませんが、食卓で食事をいただいて、のんびりと過ごしたような記憶があります。特別な会話があったわけではないけれど、落ち着いた空気やあたたかさは、ちゃんと印象に残っています。
そんなふうにして、旅の初日は、移動と再会で静かに終わっていきました。
宇佐神宮と、機関車と(1月13日・日曜日)
2日目の朝は、妻の祖母の家を出て、宇佐神宮へ向かいました。
宇佐神宮は、このときがはじめての訪問でした。名前は昔から耳にしていましたが、実際に足を運ぶのはこれが初めて。
写真を見返すと、大きな鳥居をくぐったところから始まっていて、参道、手水舎、本殿前でのお参り、そしておみくじ……と、いつになく順を追って撮られていました。






どうやら初めて訪れる場所に対して、それなりに気持ちが入っていたのだと思います。
あとになって、宇佐神宮について少し調べてみたところ──
全国に4万社以上ある八幡宮の総本社で、創建は8世紀ごろ。八幡神は武家の守護神としても信仰されてきた存在で、特に源氏や足利氏など歴代の武士たちにとっては特別な神社だったそうです。
そんな背景を知らずに歩いていたわけですが、境内にはどこか静けさと気配のようなものがあって、
「なんとなく、ここはちゃんと手を合わせたほうがいいな」と思わせるような空気がありました。
おみくじの写真も残っていますが、結果はまったく思い出せません。たぶん、吉か末吉あたりだった気がします。


そして、そんな一連の神社の写真の合間に、唐突に紛れ込んでいたのが
──蒸気機関車。
小さなSLのような車両が写っていて、初めて見返したときは「これ、どこで撮ったんだっけ?」と自分でも不思議でした。

調べてみると、これは参道の近くに展示されている旧国鉄のD51蒸気機関車で、宇佐市にゆかりがある鉄道遺産として今も保存されているそうです。
たぶん、参拝のあとにたまたま目にして、「お、珍しいな」と思って何気なく撮った一枚だったのでしょう。
こうしてあらためて見返してみると、旅先の写真というのは「記録」と「衝動」が入り混じった不思議な存在です。
しっかり思い出したい場面もあれば、なぜ撮ったのかよく分からないのに妙に印象に残っている場面もありますよね。
宇佐神宮をあとにして、次に向かったのははじめての別府でした。
言わずと知れた温泉地ですが、この日訪れたのは、観光名所としても知られる「地獄めぐり」。
名前のインパクトに反して、実際はのどかな風景の中に、ぐつぐつと湯けむりが立ち上る“地獄”が点在しています。
写真の並びを見ると、まず出てくるのは「血の池地獄」。
写真には、赤茶けた湯面が湧き立つ様子が写っていて、その鮮やかな色合いと湯けむりの眩しさは、言葉にできない迫力でした。






その後、足湯に浸かっている自分たちの写真が数枚。
寒い季節に足元だけ温まる心地よさは、旅の小さな贅沢。

そして迎えたのが、ちょっと意外な“動物園タイム”。
「山地獄」という場所は、血の池地獄などと同じ地獄めぐりの一環ですが、その名とは裏腹に、敷地内にはミニ動物園が併設されているんです。湯気がもくもく立ち上る岩場のそばで、カピバラやヤギ、ウサギ、フラミンゴとふれあえるという、まさに“地獄×動物”の一風変わったコンボ。一瞬、自分の旅のセンサーがショートしたような、妙な多幸感があったのを覚えています



動物園といえば、本格的な飼育施設を思い浮かべますが、ここはほんとうにミニ。
でもそれがかえっていいハズしになっていて。「こんなところでカピバラにニンジンあげられるんだ」と、少しくだけたように笑いながらシャッターを切っている自分たちがいました。

この「地獄」と「動物園」が隣り合っているという、ある意味での“別府らしさ”。写真を並べると不思議な違和感があるのですが、それこそが非日常の旅の醍醐味もあります。
温泉宿の夜と翌朝の余韻(1月13日〜14日)
地獄めぐりのあとは、そのまま別府の温泉宿へ。
正直なところ、どの宿に泊まったのかは思い出せません。写真も残っておらず、予約メールのような記録ももうどこかへいってしまいました。
けれど、数枚だけ残っていた写真が、その夜の雰囲気をなんとなく思い出させてくれます。
まず1枚目は、夕食の写真。
木のテーブルの上に並んだ料理を撮ったものですが、よく見ると、器の柄や湯気の立ち方から、ちゃんとあたたかいものが供されていたことが分かります。

もう1枚は、部屋でくつろいでいる様子。浴衣姿でぼんやりテレビでも見ていたのか、特にポーズを取っているわけでもなく、ただ旅の一日を終えたあとの、素の表情が写っていました。

このあたりから写真の枚数がぐっと減っているのは、たぶん、スマホではなくデジカメだったからという理由だけではなく、
単純に「もう撮らなくていいかな」と思えるくらい、その時間が満たされていたからかもしれません。
もちろん、温泉にも入りました。
どんなお湯だったか、広さや泉質はまったく覚えていないのに、湯気の立ちこめる静かな空間で、黙って湯に浸かっていた時間の“感覚”だけは、ちゃんと残っています。
音がこもって、外の冷たい空気がどこか遠くに感じられて、肌だけがぬくぬくと温かかった──そんな漠然とした記憶です。
祖母との記念写真、そして旅の終わり(1月14日・月曜日)
最終日は、別府・鉄輪にある「ひょうたん温泉」からスタート。
駐車場の入口に、ひょうたんの形をした大きな石碑がどんと立っていて、まずはそこで記念撮影。

実はこの「ひょうたん温泉」、あとで調べてみたところ、けっこう歴史のある温泉らしくて──
創業は大正時代、もともとは創業者が奥さんのリウマチの療養のために湯を掘ったのがはじまりだそうです。
名前の由来も、ひょうたんの形をしたお風呂があったから、とのこと。なるほど、名前そのまんまなんだな、とちょっと親しみが湧きました。
施設も思っていた以上に立派で、家族風呂や蒸し湯に砂湯まであって、外国人観光客にも人気らしい。
そういえばどこかで「ミシュランの星を取った」とかも見かけました。
入った当時はそこまで詳しく知らなかったけど、あのぬるめで長く入れる感じ、すごく気持ちよかったのを覚えています。
お風呂から上がってベンチに腰かけた妻が、髪をかき上げながら、ふうっとひと息ついていた。

隣には、買ってきたばかりのペットボトル──「ねじめ びわ茶」と書いてあったのが写真にしっかり写っていました。

びわ茶ってそんなにメジャーな印象はなかったけど、あとでちょっと調べてみたら、鹿児島県の南大隅町、根占(ねじめ)ってところで作られているそうです。
びわの葉100%で、ノンカフェイン、体にやさしい系のお茶。なんでも焙煎の仕方に特許があるとか。
そのときは知らずに選んでいたけど、湯上がりの体にはちょうどよかったんだと思います。
もう一枚、印象に残っているのが、妻が柄杓で温泉を飲んでいる写真。
飲泉できる湯があって、「せっかくだから」と試してみたのだけれど、表情がなんとも微妙で──
たぶん、あまり口に合わなかったんでしょう。でも、それも含めて旅らしい体験でした。

そのあと、祖母の家にもう一度立ち寄って、家の前で記念写真を撮りました。

言葉にしたかどうかは定かじゃないけれど、「また来ようね」と自然に思っていたような、そんな空気が写っていました。
帰りの道すがら、ぽつんとあったセブンイレブンで立ち寄った写真も残っています。

旅の終わりにコンビニに入ると、ちょっとだけ現実に引き戻されるような、でも妙に安心するような、あの独特の感覚。
妻がホットドリンクを手に車へ戻ってくる後ろ姿を、何気なく撮った一枚──いま見ると、あのときの空気まで一緒に写っている気がします。
そして最後は、大分空港。
出発ロビーでのんびりと座っている写真。

特にドラマもない、ただ時間をつぶしているだけの一場面なのに、旅の終わりというのは、いつもそんなふうに静かにやってきます。
改めて、タイムトラベルフォトブックとはなにかー写真が記憶に与える不思議な作用
旅からしばらく経つと、細かいことは曖昧になっていきます。
どの順番でどこに行ったか、何を話したか──そのときはちゃんと覚えていたはずなのに、いつの間にかぼやけてしまう。
でも、写真を見返すと、ふとしたきっかけでいろんな場面がよみがえってくるんですよね。
別府のひょうたん温泉の石碑のかたちとか、柄杓でびわ茶を飲む妻の顔とか、祖母の家の前で撮ったあの一枚とか──
ちゃんと覚えていたわけじゃないのに、写真があることで「あ、そういえばこんなだったな」と思い出せる。
思い出って、いつも順番どおりに戻ってくるわけじゃないけれど、
写真があると、そこから糸をたぐるように、あちこちに繋がっていく感覚があります。
大きなことじゃなくて、些細なこと──温泉の湯気とか、セブンイレブンの駐車場の静けさとか、そういうものまで思い出させてくれるのが、写真の面白いところかもしれません。
この「タイムトラベルフォトブック」は、そんなふうに昔の旅を、写真というきっかけからもう一度たどってみる試みです。
たった2泊3日、しかももう十数年も前の旅なのに、写真が残っていたことで、こんなふうに記憶を組み立て直せるのは、ちょっとした驚きでもあります。
もし読んでくださった方が、ご自身の古いアルバムをちょっとだけでも開いてみようかな──
そんなふうに思っていただけたら嬉しいです。
写真があると、順番なんて気にしなくても、思いがけず記憶の景色がふっと戻ってくる。
そんな時間を、私はこれからも「タイムトラベルフォトブック」として、ゆるやかに綴っていけたらと思っています。
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