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潮は変わる——イングランド史が教えてくれたこと

ロンドンにいた頃、イギリス史を教えてくれたチューターがいました。
小さな研究室で、床から積み上がった本の山を椅子代わりにしながら、脱線に脱線を重ね、テューダー朝からスチュアート朝にかけての講義をしてくれた人です。
話が本題に戻るまで、いつも三つか四つの余談を挟む人でした。
当時の私は正直、なぜこの国では、正しさがこんなにも歴史的に短いスパンで反転するのか、あまりピンときていませんでした。
教科書的な年号の羅列として、右から左へ聞き流していたように思います。

それから何十年も経って、いま、ふとしたときに「これが今の"普通"なのか、自分の感覚がずれているのか」がわからなくなる時があります。
言葉を選んだつもりでも、思っていたのとは違う形で届いてしまうことがある。誰のせいでもないのに、いつからか、口を開く前にひと呼吸置く回数だけが増えています。

そういう時、私はまず、これに似た構図が過去のどこかになかったかと、探しに行きます。
以前、平家物語と現代の監査制度を重ねて一本書いたことがありました。

今回はその延長線上で、過去に教わったイギリス史で辿り直してみようと思います。
イングランドという一つの国の、記録を辿ると、一つだけ確からしいことが見えてきます。
正しさの頂点は、多くの場合、どこかで反転する、ということです。
それがいつ来るかはわからない。
ただし、反転しなかった例がまったくないわけではないことも、記事の最後で一つだけ示すつもりです。

もっとも、これは考えてみれば当たり前の話でもあります。
十分に長い時間を取れば、変わらないものなどないからです。
だから私がこの記事で本当に辿りたいのは、「変わるかどうか」よりも、「変わる時、決まって何が起きるか」という型の方です。
批判の回路が閉じていく順序、穏健派から先に居場所を失っていく順序、そして反転がどれほど劇的な形でやってくるか——そこに繰り返し現れる型を、イングランド史の中で確かめてみようと思います。

念のため、先に断っておきます。
これから並べるのは、あくまで歴史との類推によるエッセイです。
現代の出来事とテューダー朝や内戦を、因果関係や道徳的な同一性として結びつけるものではありません。型が似ている、というだけの話です。

皆さんの中にも、イギリス史をご存知の方は多いと思います。知っていることも、知らないこともあると思いますが、楽しんで読んでお付き合いいただけたら嬉しいです。

第一章:信仰が、数十年で三度塗り替えられた時代


テューダー朝の反転(1530年代~1560年代)

ヘンリー8世が、離婚を認めないローマ教皇と決別し、自らを首長とする国教会を打ち立てたのは1534年のことでした。
それまでカトリックであることが当然だった国が、王の一存で、ある日を境にプロテスタントの国へと舵を切った。

その息子、エドワード6世の治世(1547~1553年)では、この改革がさらに加速します。
ミサは英語で行われるようになり、聖像は教会から撤去され、修道院はすでに解散させられていました。
この時代に育った子どもたちにとって、プロテスタントであることは「正しい信仰」そのものでした。

ところが、エドワード6世が16歳で早世すると、姉のメアリー1世が即位します。
熱心なカトリックだった彼女は、国をローマ教会へ引き戻そうとしました。
そしてこの過程で、プロテスタントとして生きていた人々が、次々と異端として火刑に処されていきます。
わずか5年ほどの間に、約280人が焚刑台で命を落としました。
後世、彼女が「ブラッディ・メアリー」と呼ばれる所以です。

そして1558年、メアリーの死によってエリザベス1世が即位すると、国はふたたびプロテスタントへと戻ります。
つまり、たった一世代のうちに、同じ国の同じ人々が、三度にわたって「正しい信仰」を強制的に塗り替えられたのです。
20代で成人した人間が、幼少期にプロテスタントとして育ち、青年期にカトリックへの回帰を強いられ、壮年期にふたたびプロテスタントに戻される。信じることそのものが、生存戦略になっていた時代でした。

批判の余地はありませんでした。
異端審問の対象になるのは、教義への疑義ではなく、教義への"忠誠の証明が足りないこと"そのものだったからです。


現代への接続——メイヤ・フォーステイターの事件(2019年)

この構造に近いものが、現代のイギリスにも現れています。
ただし、焚刑や処刑と、契約更新や辞任を、被害の大きさとして並べるつもりはありません。
見ているのは、あくまで「批判の回路がどう閉じ、どう開くか」という力学の型です。

2019年、税務コンサルタントのメイヤ・フォーステイターは、SNS上で「人は生物学的な性別を変えることはできない」という趣旨の発言をしたことを理由に、勤務先のシンクタンクから契約を更新されませんでした。
彼女は不当解雇だとして訴訟を起こしますが、最初の雇用審判では「その信条は民主的な社会において尊重に値しない」とまで判断され、敗訴しています。

この時期、イギリスに限らず英語圏全体で、ジェンダー・アイデンティティをめぐる発言が、職を失う直接の理由になる局面が相次ぎました。
テューダー朝の異端審問が信仰の証明を求めたように、この時期に求められたのは、特定の立場への忠誠の証明でした。
発言の妥当性ではなく、発言そのものの有無が、審査の対象になっていたのです。

フォーステイターは後に控訴審で逆転勝訴し、2021年、雇用控訴審判所は「彼女の信条は保護に値する」と判断を覆しました。
この逆転自体が、すでに小さな反転の兆しでした。

ここで、一つ立ち止まっておきたいことがあります。この構造は、決して一つの立場だけに起きるものではありません。同じイギリスで、方向を逆にした事例が、そう遠くない過去にあります。


逆方向の事例——セクション28(1988年~2003年)

1988年、サッチャー政権下で成立した地方自治法第28条、通称セクション28は、地方自治体が学校で同性愛を「肯定的な家族関係」として教えることを法律で禁じました。

アングリア・ラスキン大学教授のキャサリン・リーは、このセクション28が法律として存在した15年間、一貫して教師として学校に立っていた人物です。
彼女は後に、当時の日記をもとに『Pretended: Schools and Section 28』という著書をまとめています。

その中で彼女は、生徒がいじめに遭っているのを見ても、自分がレズビアンであることが知られれば職を失いかねないという恐れから、正面から介入できなかった日々を綴っています。

リー氏自身の経験も、この恐れの具体的な中身を物語っています。
当時同居していたパートナーの存在は、職場では一貫して隠し続けました。
管理職への昇進の打診も、自分から遠ざけたといいます。
校長という立場に伴う可視性が、レズビアンの教師である自分にとって、耐えがたいほど恐ろしいものに感じられたからです。
廊下で同性愛を理由にいじめられている生徒を見かけても、セクション28の下では踏み込んだ声かけができず、忙しいふりをしてやり過ごすほかなかった、と彼女は振り返っています。

彼女自身の調査によれば、セクション28時代に教員になった同性愛者のうち、職場の同僚に自分の性的指向を明かしていた人はわずか20%でした。
廃止後の2003年以降に教員になった世代では、この数字は88%まで跳ね上がっています。
この60ポイント超の差そのものが、批判の回路がどれほど強く閉じていたかを示す数字です。

この法律は、2000年にスコットランドで、2003年にイングランドとウェールズで廃止されました。
批判の回路が閉じていた側は、この時代には性的少数者の側だったのです。

つまり、この30年ほどの間だけを見ても、「批判の回路を閉じられる側」は一度、反対の陣営に立っていました。
私がこの記事で辿っているのは、特定の立場が最終的に正しかったという話ではありません。
批判の回路がどちらの方向であれ閉じられ、そしてどちらの方向であれ、いずれ開き直される——その反復そのものです。

ただし、ここまでの二つの事例は、どちらも最終的に開き直された規範です。
反転しなかった規範もあり、それは第五章で扱います。

第二章:穏健派から、先に排除される


プライドの粛清(1648年)

信仰の反転から一世紀ほど下ると、イングランドは内戦の時代に入ります。
国王チャールズ1世と議会の対立が武力衝突に発展し、議会派が勝利を収めました。

第一次内戦の終結後、議会の中には「国王と和平を結び、立憲君主制の形で決着させたい」と考える穏健派が多くいました。
長老派と呼ばれる勢力を中心に、彼らは国王との交渉を模索していました。
しかし、軍を率いる急進派はこれを許しませんでした。

1648年12月6日、トマス・プライド大佐率いる兵士たちが議事堂の入口を封鎖し、国王との和平を支持していた議員たちを、実力で締め出したのです。
約230人の議員が排除され、45人が拘束されました。
残ったのは、わずか200人ほどの、急進派だけの議会。これが「ランプ議会」と呼ばれるものです。
この一月後、チャールズ1世は処刑されました。

私がこの事件を読むたびに考えるのは、最初に排除されたのが、王党派ではなく、穏健な議会派だったという点です。
敵対する陣営ではなく、"バランスを取ろうとした側"から、真っ先に居場所を失っていく。
これは、あらゆる急進化の過程で繰り返されるパターンのように思えます。


現代への接続——キャスリーン・ストックの辞任(2021年)

2021年、サセックス大学の哲学教授キャスリーン・ストックが、大学を辞任しました。
彼女はいわゆる過激な立場の持ち主ではありません。
ジェンダー・アイデンティティの法的定義については慎重な見解を持ちつつも、トランスジェンダーの人々への差別には明確に反対していた、穏健な立場の学者でした。
しかし、学生たちからの抗議運動が激化し、キャンパスに彼女を批判する横断幕が掲げられるまでになったことで、彼女は大学を去らざるを得なくなりました。

興味深いのは、彼女自身が繰り返し「自分は過激派ではない」と説明していた点です。
しかしその説明は、ほとんど届きませんでした。
プライドの粛清が、王党派ではなく穏健な長老派から始まったように、この時期のキャンパスでも、両極ではなく、真ん中に立とうとした人間から、先に発言の場を失っていきました。

同じ力学は、方向を逆にしても現れていたはずだと私は考えています。
セクション28の時代、学校の中で「同性愛を否定はしないが、教育の中で扱うことには慎重でありたい」という中間的な立場は、賛成派・反対派の双方から「結局どちら側なのか」と迫られやすい位置にありました。

ただし、この一段落はキャサリン・リーの記録のような個人の証言や統計に基づく話ではなく、プライドの粛清とストックの事例から推測される一般論です。
それでも、"真ん中に立とうとする者から先に居場所を失う"という順序は、陣営を問わず起きやすい構造だろうと、私は考えています。

第三章:規範を維持するコストが、便益を超えていく


共和政の疲弊(1649年~1660年)

チャールズ1世の処刑後、イングランドは共和政、そしてオリバー・クロムウェルによる護国卿体制へと移行します。
清教徒的な道徳観に基づく統治が敷かれ、劇場は閉鎖され、クリスマスの祝賀は禁止されました。
日曜日には、教会に行くこと以外のほとんどの娯楽が禁じられていました。

当初、これは「腐敗した王政からの解放」として歓迎された部分もあったはずです。
しかし十年ほどが経つ頃には、この道徳的な厳格さそのものが、社会に重くのしかかるようになっていました。
娯楽を禁じられた民衆の不満は静かに積み重なり、クロムウェルの死後、後継者たちが体制を維持できなくなるのに、それほど時間はかかりませんでした。
規範を維持するコストが、規範が守ろうとしていた便益を、明確に上回り始めていたのです。


現代への接続——BP社の「リセット」(2025年)

ここでは、これまでの三章とはあえて違う領域の事例を置きます。テーマの偏りを避けるためでもありますが、それ以上に、この「維持コストが便益を超える」という力学が、ジェンダーをめぐる論争に限らず、あらゆる規範に等しく作用することを示したいからです。

2020年、英国の石油大手BP社は、当時のCEOバーナード・ルーニーのもとで、2050年までのネットゼロと、2030年までに石油・ガス生産を40%削減するという、業界でも突出して野心的な目標を掲げました。
以後、再生可能エネルギーへの投資が急速に拡大されていきます。

しかし2025年2月26日、BPは「リセットBP」と題した戦略転換を発表しました。エネルギー転換事業への年間投資額を、従来計画から大幅に削減し、15億~20億ドルとする。
一方で石油・ガスへの投資は、従来の約85億ドルから2割ほど引き上げ、年間約100億ドルとする。
CEOのマレー・オーキンクロスは、この5年間の急進的な方針転換について、「行き過ぎた、急ぎすぎた」「グリーンエネルギーへの過信は見込み違いだった」と述べています。株価の低迷と投資家からの圧力が、この転換の直接の引き金でした。

理念そのものへの賛否とは別に、「維持するコストが、株主が許容できる水準を超えた」という一点が、方針転換の決め手になりました。
共和政下の民衆が、理念そのものより先に、日々の不便さに疲弊していったのと同じ構造です。
規範は、それが「間違っている」と証明されて終わるのではなく、多くの場合、それを支え続けるコストが誰かの許容量を超えた瞬間に、静かに終わっていきます。

第四章:反転は、最も劇的な形でやってくる


王政復古と、死者への処刑(1660年~1661年)

1660年、チャールズ2世がイングランドに帰還し、王政が復活します。
劇場は再開され、クリスマスは復活しました。
そして翌1661年1月30日——奇しくも、チャールズ1世が処刑されたのと同じ日付です。
すでに世を去っていたクロムウェルの遺体が、墓から掘り起こされました。遺体は絞首台に吊るされ、斬首され、その首は長きにわたってウェストミンスター・ホールの屋根の上に掲げられ続けました。

生きている人間を処刑するのではなく、すでに死んでいる者の遺体を、あえて掘り起こして処刑する。
これほど象徴的な反転の儀式を、私は他に知りません。
規範の頂点にいた者そのものが、反転の日には、最も激しくその象徴として扱われるのです。


現代への接続——ネットゼロの撤回(2023年9月)

第三章に続き、ここも気候・エネルギー領域の事例です。
反転の"型"を、記事の一番劇的な位置でこそ確かめておきたいからです。

遺体を掘り起こして処刑する暴力性と、政策発表の重みを同列に扱うつもりはありません。
ここで見ているのは、あくまで反転が訪れる"型"だけです。

2020年、当時のボリス・ジョンソン首相は、2030年までに新車のガソリン車・ディーゼル車の販売を禁止するという、欧州でも際立って野心的な目標を掲げました。
家庭用ガス給湯器から電気ヒートポンプへの移行義務化も、同様に強い姿勢で打ち出されていました。

しかし2023年9月20日、後任のリシ・スナク首相は、この方針を大きく転換します。ガソリン車・ディーゼル車販売禁止の期限を2030年から2035年へ5年間先送りし、ヒートポンプへの移行義務も大幅に緩和、賃貸住宅の省エネ基準強制化計画も撤回しました。
スナクはこれを「より現実的で、身の丈に合った」政策への転換と説明しましたが、報道は「グリーン政策における大転換」と伝え、前任者ジョンソンが打ち出した看板政策の多くを、自らの党の首相が正面から覆す形になりました。
気候変動対策の独立諮問委員会の委員長はこの演説を「希望的観測」と切り捨て、野党側は「子どもたちの未来への裏切り」と非難しました。

ある陣営にとっては現実路線への軌道修正であり、別の陣営にとっては、まさに"塗り替えられた"日でした。

一つの方針が、政権交代を経て数年間、国の看板政策として掲げられ続けた後、後継の首相によって、ある日を境に公式に撤回される。
私には、クロムウェルの遺体が掘り起こされた日と、このネットゼロ撤回の日は、360年以上の時を隔てながらも、「頂点にあった規範が反転する瞬間」という点で、共通した構造を持っているように見えます。
頂点にあったものほど、反転の日には、最も劇的な形で扱われるのかもしれません。

そして、この型に例外を認めないのであれば、私は一つ、公平でなければなりません。
この2023年の撤回自体も、いずれ別の政権のもとで、また反転する側に回る可能性を、原理的には否定できないということです。
王政復古で戻ってきたものが、永遠に続いたわけではなかったように。

第五章:反転しなかった規範もある


ここまで四つの章で、反転した規範だけを扱ってきました。
しかし、これは公平ではありません。
十分に長い時間を取れば規範は反転する、という主張は、反転した事例だけを集めれば当然のように成り立ってしまう類のものです。
だから最後に、時代の枠を外れて、反転しなかった——あるいは、反転を試みられたが押し返された——規範を、ジェンダーと気候・環境の両方から一つずつ置いておきます。

同性婚合法化(2013年)

2013年、当時のデーヴィッド・キャメロン首相が同性婚を認める法案を推し進めた際、与党保守党内では賛成127票に対し反対136票と、自らの党の過半数が造反しました。
地元の党員がキャメロンの目の前で党員証を破り捨てる場面もあったといいます。
党内では「保守主義内の内戦」とまで呼ばれました。それでも法案は、野党労働党と、連立を組んでいた自由民主党の支持を得て成立しています。

法案成立当時、世論調査では賛成54%・反対37%でした。
それが10年後の2023年には、賛成77%・反対15%まで動いています。
この10年間、トランスジェンダーをめぐる議論——本稿の第一・二章で扱ったジェンダー・アイデンティティの領域は、キャンパスでの排除と揺り戻しを繰り返してきました。
しかし同性婚という制度そのものは、この間、一度も本気で廃止が議論されたことがありません。

つまり、同じ「ジェンダー・性的少数者をめぐる規範」という大きな括りの中に、反転した規範(セクション28、フォーステイター)と、反転しなかった規範(同性婚)が同居しているのです。


大気浄化法とULEZ拡大(1956年/2023年)

同じことは、ジェンダー以外の領域でも起きています。
1952年、ロンドンを覆った「グレート・スモッグ」は、公式統計で約4,000人、近年の推計では1万2,000人もの死者を出しました。当時、家庭や工場での石炭燃焼は英国経済の根幹であり、暖炉の石炭を電気やガスに切り替えることへの抵抗は根強く、政府自身も対策に長らく及び腰でした。
それでも1956年、大気浄化法が成立します。
この法律は1968年にさらに強化され、以後一度も後退することなく、ロンドンの大気規制はこの70年間、一貫して強化され続けてきました。

現代側にも、よく似た構図があります。
2023年、ロンドン市長サディク・カーンが超低排出ゾーン(ULEZ)をロンドン全域に拡大した際、地元選挙区アクスブリッジでの補欠選挙ではこの政策への反発が最大の争点となり、与党労働党が予想外の敗北を喫しました。
党内からも撤回を求める声が上がっています。
それでもカーン市長は拡大を強行し、翌2024年の市長選では、ULEZ撤回を公約に掲げた保守党候補に11ポイント差をつけて再選されました。

ただし、ここは文脈を正直に添えておく必要があります。
この同じ時期、国政ではスナク政権が反ネットゼロを全国的な争点として掲げ、ネットゼロ政策そのものが後退していました。
ULEZが反転しなかったのは、気候規範全体が押し返されなかったからではありません。
ロンドンという一つの自治体の中で、市長という一人の政治家が押し返されなかった、というのが正確なところです。
同じ気候領域の中でも、国政と地方政治という異なる舞台では、反転の型が逆方向に働いていたことになります。

それでも、第三・四章で見たBP社の方針転換やスナク首相のネットゼロ後退が、気候・環境をめぐる規範のすべてを覆う一枚岩の物語ではないことは、この大気浄化法とULEZの事例が示しています。

つまり、ジェンダーの大枠(セクション28・フォーステイターと同性婚)だけでなく、気候・環境の大枠(BP・ネットゼロ後退と大気浄化法・ULEZ)でも、反転した規範と反転しなかった規範が同居しているのです。
この二つを分けているものが何なのか、私にはまだ明確な答えがありません。
ただ、少なくとも一つ言えるのは、反転しなかった例は稀ですが、確かに存在するということです。
「規範は必ず反転する」という単純化は、この記事自体の中で、慎重に留保されるべきものになりました。

終章:潮目は、渦中にいる者には見えない


ここまで、テューダー朝の信仰の反転から、内戦、共和政、王政復古までを辿ってきました。
この一連の流れに、私は一つの共通点を見出します。渦中にいる者には、それが頂点なのか、まだ途上なのか、決して分からない。

メアリー1世の治世下で焚刑を待つ人々は、自分たちの信仰がまもなく国教になることを知らなかった。
プライドの粛清で議会を追われた穏健派は、自分たちの排除が、十二年後の王政復古への遠い伏線になることを知らなかった。
すべては、後から振り返って初めて、一つの弧を描いていたことが分かるのです。

私は今、自分の身の回りで起きていることが、この長い弧のどのあたりに位置しているのか、正直まだわかりません。
もしかしたら、まだ頂点にすら達していないのかもしれない。
もしかしたら、すでに反転は静かに始まっているのかもしれない。
それを判断できる立場に、私はいません。

ただ一つだけ、確かなことがあります。
イングランドの歴史を通覧する限り、反転する規範には、驚くほど共通した型がありました。
信仰も、政治体制も、道徳律も、頂点に達したものの多くは、どこかで潮目を変えている。
それがいつ来るかは、誰にも予測できません。
数年で来ることもあれば、一世代かかることもあります。
もっとも、第五章で見た同性婚、大気浄化法・ULEZのように、反転しなかった規範、あるいは反転を試みられても押し返された規範も確かに存在します。
だから私が言いたいのは「必ず反転する」ということではありません。
反転するかどうかは、渦中にいる者には分からない。もし反転するなら、そこには決まった型がある——これだけが、私が言い切れることです。

批判の回路が閉じる時の空気、穏健派から先に居場所を失っていく順序、維持コストが誰かの限界を超える瞬間——ここまで辿ってきたのは、その型の反復です。
だから、今この瞬間の閉塞感に、明確な終わりの期日を示すことは、私にはできません。
ただ、もしこの型を通るのだとしたら、その先に何が起きるかは、もう分かっています。
あの研究室で教わった歴史が私に残してくれたのは、結論ではなく、この型の記憶です。

なお、この記事が現代の例として選んだのは、いずれもジェンダー批判的な立場に立たされた側の経験です。批判の回路が閉じられる経験は、同じ時期、反対の立場——トランスジェンダー当事者の側——にも確かにあったはずです。それを本稿が十分に描けていないこと自体、私がどこに立って歴史を読んでいるかを示しているのかもしれません。

また、今回は現代の補助線として、ジェンダーをめぐる論点(第一・二章、第五章)と、気候・エネルギー政策をめぐる論点(第三・四章、第五章)という、二つの領域を並べました。
この二つの領域それぞれの中に、反転した規範(セクション28・フォーステイター、BP・ネットゼロ後退)と、反転しなかった規範(同性婚、大気浄化法・ULEZ)が同居しています。
教育の現場でも、SNSの上でも、エネルギー政策の現場でも、規範が頂点に達し、批判の回路が閉じ、維持コストが誰かの限界を超え、やがて反転する——この弧は、人間が集団を作る限り、形を変えて何度でも現れます。
ただし、それがどの規範にも等しく当てはまるとは、私は言えません。

潮は、渦中にいる私たちには気づかれないまま、もう静かに向きを変え始めているのかもしれません。


主な参考・出典
◉メイヤ・フォーステイター事件の経緯

2021年の控訴審勝訴を報じるITV News記事 
PA通信配信、2023年の賠償金支払いまでの経緯をまとめたIrish News記事

◉セクション28時代の教員可視化率統計
https://www.aru.ac.uk/news/why-lessons-still-need-to-be-learned-from-section-28-nov23(著者キャサリン・リー氏本人による寄稿。20%→88%の数字の出所)

◉プライドの粛清の人数
英国議会公式サイトによる事件の解説

◉キャスリーン・ストック氏のサセックス大学辞任
辞任当時の経緯を報じるTimes Higher Education記事

◉2020年当時のBPのネットゼロ目標
ルーニーCEO体制下での目標発表を報じる業界誌記事

◉2025年「リセットBP」の投資額とCEO発言
AP通信配信、投資額の変更点をまとめた記事
オーキンクロスCEOの発言を詳しく報じるEnergy Voice記事

◉クロムウェルの遺体処刑(1661年1月30日)
研究サイトolivercromwell.orgによる経緯の解説

◉スナク首相のネットゼロ政策転換(2023年9月20日)
発表当日のITV News記事 
シンクタンクInstitute for Governmentによる政策分析

◉大気浄化法(1956年)とグレート・スモッグの死者数
National Geographicによる経緯の解説。死者数の推計(公式統計約4,000人、近年の推計1万2,000人)を含む

◉ULEZ拡大をめぐるアクスブリッジ補欠選挙(2023年)
補選直後のカーン市長の対応を報じるLBC記事

◉カーン市長の2024年再選(11ポイント差)
再選結果を報じるITS International記事

◉同性婚法案をめぐる保守党内の造反(2013年)
採決結果を報じるNew Statesman記事

◉同性婚をめぐる世論の10年間の変化(54%→77%)
法案成立10周年を機にした世論調査データを含むHuffPost UK記事

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