「壊れたら直して使う」生き方
何気ない会話の中で、その国の文化が垣間見えることがある。先日、イタリアのエンジニアの同僚たちとの食事の際、2人が自分たちでレストアしたヴェスパの話をしてくれた。一台は70年代ものの赤、もう一台は60年代ものの青。それぞれ見事に蘇ったヴェスパの写真をスマホで見せながら、「時間はかかったけど、よくできた。町乗りで使ってるよ」と嬉しそうに語っていた。筆者と同年代のスクーターが活躍していると知ると元気が出る。
イタリアには、古いものや壊れたものを直して使い続ける文化が日常に根づいている。日本にも金継ぎや着物の仕立て直しなど古くから修繕の文化はあり、本質は似ているが、体感としてはイタリアのほうが「壊れても直して長く使う」、「古いものとうまく付き合う」といった感覚が生活に染み付いている気がする。
壊れたものに遭遇する機会も多い。先週、借りたレンタカーで、タイヤ空気圧の異常警告がすぐに点灯した。エンジニアの同僚に見せると、「タイヤを点検して、空気圧に問題がなければセンサーの不具合だよ。僕の車もずっと点きっぱなしだし」と笑っていた。「実質的に問題なければ大丈夫」、そんな姿勢は何ともポジティブだ。モデナのエンツォ・フェラーリ博物館では、たくさんのスーパーカーやエンジンの完璧な美しさに魅せられ、我を忘れたが、最後に入った博物館のトイレの個室4つのうち2つが壊れていて、一気に現実に引き戻された。ご縁はないが、スーパーカーも、その機能を発揮し続けるには、なかなかメインテナンスが大変だと聞く。
サステナビリティが叫ばれる中、新しいものを欲しがったり、すぐに買い替えるのではなく、「多少問題があっても折合いを付けて付き合っていく」、「直して使う」というのは、時代にも合っている。完璧を求め過ぎず、うまく使い続けることは、成熟した社会のひとつのあり方と言えるのではないか。
そんなことを考えていたら、2001年の映画『冷静と情熱のあいだ』を思い出した。主人公は、大学卒業後にフィレンツェで絵画修復士を目指して働いていた。根気強く丁寧に修復に向き合う姿が印象的で、当時ちょっと憧れたものだ。実際、美術品の世界でイタリアは屈指の修復大国でもある。文化財修復士は国家資格で、ローマのISCR(中央修復研究所)やフィレンツェのOPD(修復保存機構)では、科学と芸術を融合させた高度な教育が行われているそうだ。美術館や博物館を訪れると、よく美術品の修復の様子とそれを支えるスポンサー名を知らせる展示があり、修復の文化が確立していると実感する。
昔、ペルージアで下宿をした狭いアパートは、大聖堂に繋がった築400年の石造りの家だった。今日、訪れたバルサミコ酢醸造家の建物は、17世紀の貴族の館で、暫く使っていなかった建物を修復して使っていると言う。このような事例は枚挙にいとまがない。町で骨董品屋をよく見かけるし、大きな市が立つと、必ずと言って良いほど骨董品が出ている。壊れたら直す。それには手間も時間もかかる。でも、ものを使える範囲でうまく使い、簡単に手放さず、付き合い続けることで愛着が生まれ、むしろ人を豊かにするのだろう。我が物欲を省みつつ、同僚の素敵なヴェスパや、歴史の重みを感じる貴族の館を思い出し、直して使う大切さをしみじみと感じた夜である。
