ビジュアルで理解する「ガン・ジャンピング規制」
(注)この記事は2024/03/03のコラムの再現バージョンです。
海外が絡むM&A案件に携わる際に、国内ディール以上に細心の注意を要するのが「ガン・ジャンピング」規制です。クロスボーダーのM&A取引はもちろんのこと、日本企業同士の取引であっても、当事者が海外で事業を展開している場合には、日本の独占禁止法に加え、各国・地域の競争法に基づくガン・ジャンピング規制への対応が求められます。近年は、この規制への違反を理由として巨額の制裁金が課される事例が増加傾向にあり、実務上の重要度はますます高まっています。
今月のコラムでは、このガン・ジャンピング規制について、できる限りわかりやすくご説明します。
1. ガン・ジャピング規制とは
「ガン・ジャンピング」(Gun Jumping)という言葉は、もともと陸上競技などにおいてスタートの合図となる銃声を待たずに走り出してしまう行為、日本では「フライング」として知られる違反行為を指します。

M&Aの世界では、企業結合取引が正式に完了する前の段階において、買い手と売り手の間で行われる情報交換や事業活動の調整が、独占禁止法をはじめとする競争法上の問題を引き起こす行為の総称として用いられています。
ガン・ジャンピングは一括りに語られることが多いですが、その内容を整理すると、大きく2つの類型に分類されます。

ひとつは「手続的ガン・ジャンピング」です。これは、各国の競争法が定める企業結合の届出義務に違反する類型です。法定の届出期限を守らず取引を実行したり、当局の審査完了前にクロージングを強行したりする行為が該当します。この類型は、弁護士の指導のもとで各国の届出要件を正確に把握し、期日を遵守する体制を整えることで比較的確実に回避できます。
もうひとつは「実体的ガン・ジャンピング」です。こちらは届出手続きの問題ではなく、カルテル規制などの実体法に抵触しうる類型です。取引完了前の段階で、当事者間において不当に事業活動を調整したり、競争上センシティブな情報を共有したりする行為がこれにあたります。
手続的ガン・ジャンピングと比較して、実体的ガン・ジャンピングは「どこからが違反か」の境界線が曖昧になりやすく、実務において判断が難しい場面も少なくありません。以降では、この実体的ガン・ジャンピングに焦点を当てて解説を進めます。
2. 実体的ガン・ジャンピングが問題となる理由
M&Aの実務においては、売買契約の署名(サイニング)からクロージングまでの間に、さまざまな準備活動が行われます。統合後の事業計画の策定、人員体制の検討、ITシステムの移行計画など、いわゆる「プレPMI」と呼ばれる準備フェーズが本格化するのもこの時期です。
しかしながら、取引当事者が「もう一緒の会社も同然」という感覚のまま情報交換や意思決定を進めてしまうと、競争法上の問題が生じます。なぜなら、取引が正式に完了するまでの間、両社は依然として法的に独立した競争事業者であり続けるからです。

ガン・ジャンピング規制が競争法に根ざしているのは、市場における公正かつ自由な競争を守ることを目的としているためです。取引完了前の段階で買い手が売り手の事業をコントロールし始めたり、競合する立場にある両社が事業上の行動を調整したりすることは、取引が最終的に規制当局に否認された場合であっても、その間の市場の競争環境を歪めてしまうおそれがあります。こうしたリスクを未然に防ぐために、ガン・ジャンピング規制が機能しているのです。


3. Does & Don`t actions
では具体的に、クロージング前の期間において何が問題となり、何が許容されるのでしょうか。以下に、実務上特に意識すべき「Don't Actions(避けるべき行為)」と「Does Actions(求められる行為)」を整理します。
まずは、Don't Actions ― 避けるべき行為です。
1. 既に買収企業が被買収企業をコントロールしているかのように振る舞うこと

取引完了前であるにもかかわらず、買い手が売り手の経営判断に介入したり、人事や予算の決定に影響を与えようとしたりする行為は、実質的な支配の先取りとみなされます。両社が独立した事業体であることを形式的にも実態的にも維持することが求められます。
2. 当事者で両者の事業活動を時期尚早に調整すること(顧客や資産の移管含む)


顧客や取引先の振り分け、資産・拠点の移管、価格設定や営業方針の統一など、クロージング前に両社の事業活動を一体的に運営しようとする行為は、ガン・ジャンピングの典型例です。たとえ当事者間で合意があったとしても、第三者から見て「すでに統合が始まっている」と判断される状況は避けなければなりません。
3. 必要以上の競争機微情報(特に被買収企業の企業秘密等)を買い手企業に共有すること

競争機微情報とは、価格情報・入札情報・マーケティング戦略・生産・販売・売上データ・顧客情報など、競争上の優位性に直結する企業秘密を指します。特に同業界内でのM&Aにおいては、こうした情報の共有が市場の公正な競争を歪める行為とみなされるリスクが高くなります。

デュー・ディリジェンスの過程でターゲット企業の情報にアクセスすること自体は正当な行為として認められていますが、取引目的に必要な範囲を超えた情報へのアクセスや、クリーンチーム等の適切な管理体制を設けない無制限な情報共有は問題となりえます。
4. 競争関係を回避しようとする行動

取引完了前の時点では、両社は依然として市場における競争関係にあります。その競争関係を取引完了前に意図的に緩和・回避しようとする行為、たとえば特定の入札への参加を互いに控えたり、営業エリアを事前に棲み分けたりすることは、カルテル的行為として認定されるリスクがあります。
5. 独立企業としての協調を超えた共同での交渉や取引の実行

サプライヤーや顧客に対して、まるで一体の企業として共同で交渉・取引を行うことも問題となります。取引完了前は、各社が独自の判断のもとで契約関係を維持・運営することが原則です。
6. 取引完了後を見据えた準備段階としての統合計画策定を超えて、PMI自体を実施すること

クロージング前の準備として、統合に向けた計画の策定を行うこと自体は許容されます。しかし、計画の域を超えて実際の統合作業(システムの統合、組織変更の実施、ブランドの切り替えなど)に着手することは、ガン・ジャンピングに該当します。「計画する」と「実行する」の間の線引きを常に意識することが重要です。
上記を踏まえると、Does Actions ― 求められる行為として、クロージングまでの期間に求められる行動は、自ずと以下の3点に集約されます。
1. 当事者がそれぞれのビジネスを独立した事業体として取り扱い、適正な距離感で業務を継続する

取引の進捗に関わらず、両社はそれぞれの事業を独立した主体として運営し続けることが基本原則です。日常的な意思決定においても「まだ別会社である」という意識を組織全体で共有することが重要です。
2. 当事者間で会話を行う際は慎重に行い、競争機微情報に触れないようにする

両社の担当者間で行われる会議や情報交換の場においては、競争機微情報に触れないよう事前にアジェンダを精査し、必要に応じて弁護士を同席させることが望ましいです。また、やり取りの内容を記録・管理しておくことも、万一の際の証跡として有効です。
3. 統合に向けたPMIの本格稼働は取引完了後まで我慢し、計画策定のみに留める

統合に向けた準備は計画策定の段階に留め、実際の統合実務はクロージングの完了を待って開始することが原則です。焦る気持ちは理解できますが、規制リスクを考えれば、「準備万端でクロージングを迎える」という姿勢が結果的に最も合理的な選択といえます。
まとめ
今から7年以上前の2017年の記事になりますが、ビールメーカー大手のアサヒグループホールディングスのM&A案件に関連するガン・ジャンピングへの対応が、日本経済新聞で紹介されていました。買収完了後に初めてチェコの買収先企業の経営陣と販売計画を話し合えたと振り返った担当者が、「買収完了までは顧客の『こ』の字も交わさないよう気を使った」と語ったとされるこの記事は、ガン・ジャンピング規制の実務上の緊張感を端的に表す事例として、今も広く引用されています。
「やっと一緒に販売計画を描ける」。
4月3日、チェコの最大手ビールメーカー社長らとの会合のため同国に赴いた、アサヒグループホールディングスの鈴木義昭・国際部門シニアマネジャーは胸をなでおろした。数日前にこの会社の買収を終えたばかりだった。
先方の社長らと話したのは初めてではなかったが「買収完了までは顧客の『こ』の字も交わさないよう気を使った」(鈴木氏)という。
念頭に置いていたのはガンジャンピング規制。M&Aの完了前に買い手と売り手が競争に影響する情報を交換したり、工場の統廃合を進めるなど統合を先取りしたりする行為を禁じる競争法(日本では独占禁止法)上の規制だ。
『買収完了前の先取り行為に網 営業情報交換や工場統廃合 欧米では多額の制裁金』
このエピソードが示すように、海外が絡むM&Aにおいては、ディール成立前の期間こそ、最も神経を使うべき局面です。デュー・ディリジェンスの過程でターゲット企業の財務情報や事業情報にアクセスすることは、株式価値の算定やシナジーの評価のために正当な行為として広く認められています。過度に萎縮する必要はありませんが、「踏み込みすぎ」と外部から見られることのないよう、節度ある距離感を保つことが何より重要です。
ガン・ジャンピング規制は各国の法制度によって内容や運用が異なるため、具体的な対応にあたっては、各国の競争法に精通した法律専門家と緊密に連携することを強くお勧めします。M&Aの成否は、クロージング後のPMIだけでなく、クロージングに至るまでのプロセスの質によっても大きく左右されます。ガン・ジャンピング規制への正しい理解と適切な対応が、健全なディール推進の礎となることを、改めて強調しておきたいと思います。
<参考文献>
Business Lawyers 「ガン・ジャンピングとは」(2019/10/10)
Business Lawyers 「ガン・ジャンピング規制と海外における執行例」(2020/11/11)
日本経済新聞 2017年8月14日 2:30 Web記事
『買収完了前の先取り行為に網 営業情報交換や工場統廃合 欧米では多額の制裁金』Richard Liebeskind, “Gun-jumping: Antitrust Issues Before Closing the Merger”, 2003//8/8
Freshfields Bruckhaus Deringer, “M&A and antitrust: ‘gun jumping’”, 2017/03
公正取引委員会「独占禁止法の概要」
