ドストエフスキー「賭博者」を読んだ。
今年はドストエフスキー生誕二百周年。
こないだ書店を歩いていて、おおそうなのか、と。ポスターか、本の帯かで見て。
1821年11月11日生まれだそう。
何か読み返してみようと思い、実家でほこりを被っていた「賭博者」を持ち帰り、久々に読んでみた。(このnoteでは競馬小説は取り上げてきたけど、少し間口を広げてギャンブル枠内ということで紹介させて下さい)。

人間は謎、賭博も謎。
若きドストエフスキーの言葉。(兄への書簡)。
「兄さん、人間は謎です。僕はこの謎を解くことに一生をかけて挑みたい。」
この「謎」の部分を「賭博」に言い換えてもよさそうなほど、ドストエフスキーが賭博狂いであることが伝わってくる、この「賭博者」。
舞台となるのはカジノがある街、ルーレテンブルグ。訳注によると、「ルーレットの町」という架空のドイツの都市だという。19世紀のロシアにもダジャレがあったのかと、変な感慨。。
主人公は将軍家に仕える青年、アレクセイ。
小説は、アレクセイの一人称で語られていくが、とにかくずっと熱に浮かされたような独白調。このアレクセイの賭博に対峙する時の心の動きは、現代のギャンブラーにも通じるものがある。
この晩はまずじっくり様子を見て、真剣な勝負はいっさい始めないことに決めた。今晩かりに何か起こるとしても、ちょっとしたはずみで偶然起るにすぎないーわたしはそう予想した。そのうえ、勝負そのものもとことん研究しつくす必要があった。
作者自身、賭博にハマっていることがわかる描写の連続である。
わたしは、おそらく確実と思われる一つの結論をひきだした。実際、偶然のチャンスの流れの中に、一つの体系とこそ言わぬまでも、なにか一種の順序のようなものがあるのだ。
場の流れを掴むためには「ケン」に周り、冷静な観察を経て、「勝ち筋」を掴む、といった感じではないだろうか。
時代やギャンブルの種類を問わない、賭博の普遍性に触れた描写だと思う。
しかしこのアレクセイ、冷静なのも勝負を始めるまで。いったん勝負が始まってしまうともう止まらない。。こんな具合。
しかしわたしは、一種異様な気まぐれによって、赤が七回つづけて出たことを見てとると、ことさら赤にこだわった。この場合、半ば自尊心だったと、確信している。わたしは無鉄砲な冒険で見物人の度肝をぬいてやりたかったのだ。そしてーああ、異様な感覚ではないかーはっきりおぼえているが、わたしは突然、なんら自尊心に挑発されることなく、実際に、冒険への恐ろしい渇望に捉えられた。ことによると、あまり多くの感覚をくぐり抜けると、魂が充たされることなく、ただ苛立つばかりで、決定的に疲れはてるまで、さらにますます強烈な感覚を要求するのかもしれない。
もはや、求めているのは「勝ち」や「金」ではなく、「強烈な感覚」。
賭博も行き着くところまでいくとこんな感じなのだろうか・・。(福本伸行の漫画を読んでも似たような感じがあるが・・)。
濃すぎる登場人物たち。
賭博のシーンは全編通じて5、6場面だろうか。
アレクセイ以外の周りの人物は、唯一まともそうなのは英国人のミスター・アストリーぐらいで、基本的にみんな、自尊心が恐ろしく高く、欲深い。
アレクセイが仕える将軍はアントニーダ祖母さんという高齢の親族の遺産相続を待ちわびている。将軍だけでなく、周りの人物も。アレクセイが恋焦がれるポリーナも金に困っており、アントニーダ祖母さんの遺産を頼りにしつつ、アレクセイを賭博にけしかける。
物語の鍵を握るアントニーダ祖母さんはといえば、前半では登場せず、危篤に臥している、いよいよ危ない、など噂が流れるが、ところがどっこい、中盤で元気に登場。そして「私をカジノに連れて行ってちょうだい!」と鼻息荒く、ルーレット勝負に挑む。(この辺がもっとも面白いので、お祖母さんの勝負がどうなったかなど、あえて割愛します。)
ドストエフスキーは競馬はやったのだろうか?
新潮文庫版の解説によると、執筆当時のドストエフスキーは危機的な状況。大作「罪と罰」を執筆している時期に、もう一編別の長編を書き上げなければ、九年間もの長期に渡りいっさい印税が入ってこない契約を出版者と結んでしまっていたという。
そこで窮余の策として採用されたのが、速記者を使い、口述筆記により作品を仕上げる方法だった。
「賭博者」は、わずか27日間でできた作品というのだから、驚きの一語。
書かれたのが、1866年の秋だそう。
競馬好きの自分としては、この時代は競馬はどうだったのかと調べてみると、伝統のエプソムダービーは1866年ですでに第87回というから、この時点で今の日本ダービーと同じぐらいの歴史を持っている。さすが。。
ドストエフスキーは競馬はやったのだろうか?
解説を読むと、この時期、ドストエフスキーはイギリスには行っていないが、パリには行っている。フランスでもイギリスには遅れをとるものの競馬は行われており、パリ大賞典が創設されたのが1863年らしい。
やっていた可能性はあると思う。
googleで「ドストエフスキー 競馬」で検索してみたら、こんな情報が。
この名前の馬がいたとは、驚き。
しかもこの記事を書いている時点ではまだ現役。応援しようかな。
ドストエフスキーは競馬をやっていたのだろうか?
こんなオチがついてしまいました。笑。
