「海外に置いてきた若気の至り」-ジップロックの未来の君へ-
今思うと、何のために海外へ行ったんだろう。
僕はただ、若く浮ついた思いをカナダまで持っていっていただけだったのかもしれない。
でも今では、とても良い思い出として残っている。
長時間のフライトは退屈だった。
MDウォークマンで音楽を聴いたり、仮眠したり、座席のモニターで映画をぼんやり見ているうちに、飛行機は着陸態勢に入った。
入国審査で止められたらどうしよう。
頭の中では、ずっと “Study abroad” を繰り返していた。
自分の番になり、パスポートを差し出して、満を持して言った。
“Study abroad.”
すると審査官は何かペラペラと話し始めた。
もちろん、ほとんど聞き取れない。
なんとなく慌てた僕は、
“Sightseeing!”
と被せ気味に言った。
すると彼は笑いながら、
“OK. Enjoy Vancouver.”
みたいなことを言って、通してくれた。
そんな拙い英語で、僕の留学生活は始まった。
空港にはホストファミリーが迎えに来ていた。
車で向かったノースバンクーバーの街は、知らない国なのにどこか静かで、少しだけ安心したのを覚えている。
ホストファミリーは、母、娘、そして猫の三人家族だった。
初日は娘が「友達の家に行こう」と連れ出してくれて、乾杯をしながら談笑した。
もちろん何を話しているのか、ほとんど分からない。
それでも、雰囲気で笑ったり頷いたりして、その場をほろ酔い気分で楽しんだ。
翌日からは語学学校が始まった。
通学にはSeaBusという船を使うらしく、それだけで少し海外っぽく感じた。
船を降りると波止場には小さなマーケットがあり、異国の匂いと潮風が混ざっていた。
マックを見かけて少し落ち着いた気もする。
学校には、ヨーロッパ、南米、アジア、いろんな国から人が来ていた。
みんな片言の英語なのに、なぜか楽しそうで、僕もなんとなくそこに混ざっていた。
僕は一番下のクラスからのスタートだった。
授業中、日本語が出るたびに先生から、
“English please.”
とか、
“No Japanese.”
と言われていた。
その先生は昔、日本の学校で教師をしていたらしく、日本人の扱いに慣れていた。
授業後には二人でバーに行き、分からない単語を教えてもらいながら英語でなるべく会話した。
ただ、僕が好きだったアメリカのプロレスだけは、
“That’s stupid.”
と言われ、最後まで分かり合えなかった。
当時はイチローがマリナーズにいたので、
「そんなの見ずにイチロー見た方がいいよ」
とも言われた。
ホストファミリーとの生活にも、少しずつ慣れていった。
僕が返答に困ってあたふたしていると、娘は笑いながら、
「ここでは、YesかNoではっきり言った方がいいよ。
イエスじゃないなら “No, thank you. That’s OK.” って言えば問題ないから」
と言われた。
ついでに、
「たまに会話本見ながら喋るの、やめた方がいいよ」
とも言われた。
たしかに僕は、便利な英会話集を片手に必死で会話していた時があった。
今思うと、かなり滑稽だったと思う。
娘とは歳が近かったこともあり、毎日のようにウォーキングやプールに付き合った。
彼女はダイエット中らしかったけれど、運動の帰りにはスタバで甘いものを食べ、時にはマックも買っていた。
たぶん、カロリー的には完全にオーバーしていたと思う。
僕はというと、日本のプールと違って急に深くなっている場所に気づかず、足を攣って溺れかけた。
必死に腕だけでプールサイドへ這い上がった時、
「海外で死ぬかもしれない」
と少しだけ思った。
それでも翌日には、また娘に付き合って街を散歩していた。
ノースバンクーバーを歩いていると、すれ違う人たちが普通に、
「今日どこでカナックスの試合やるの?」
みたいな話をしていた。
アイスホッケーが本当に生活の一部なんだな、と少し驚いた。
僕はそこまで興味がなく、部屋でNBAを見ていた。
当時のレイカーズは、僕には本当に“リアルスラムダンク”みたいに見えていた。
すると突然、部屋のドアが開き、
「何見てるの? アイスホッケー見るよ」
と言われ、半ば強制的にリビングへ連れて行かれた。
それでも毎日は楽しかった。
ただ途中から、いや元々最初からだったかもしれないが英語を学ぶことより目の前の生活に夢中になっていった。
そんな中、春休みを利用して、日本から高校生の女の子たちが短期留学でやってきた。
その中の一人を見て、
「めちゃくちゃ可愛いな」
と思った。
日本に彼女がいることも、全く連絡していないことも少し忘れかけていた。
今思えば、かなり最低だったと思う。
僕は観光地へ行くわけでもなく、語学学校の仲間やホストファミリーと飲んだり食べたりする毎日を過ごしていた。
そして学校の最終日、僕は気がつけばその女の子を食事に誘っていた。
二人でご飯を食べ、マーケットを歩き、取り留めのない話を僕が夢中でしていた。
思い返すと、僕だけが浮ついていたのかもしれない。
帰り際、僕が、
「日本帰っても、また遊べないかな」
と言うと、彼女は関西弁で、
「うち、気が変わるの早いから君のこと忘れると思うよ。
でも君が帰国して冷静になってもうちのこと気になるなら連絡してきて」
と言って、キャリアメールのアドレスを手書きで渡してくれた。
彼女のことも完全黙秘し、僕は完全に浮かれていた。
SeaBusに乗る前、近くにいた人に頼んで二人で写真を撮ってもらった。
今思えば、あの頃の僕は、海外で何かを掴んだ気になっていただけだったのかもしれない。
にやけた顔で帰宅すると、ホストファミリーに、
「なんかあったの?」
と聞かれた。
「いや、なんもないよ」
と取り繕っていたけれど、多分かなり分かりやすかったと思う。
娘からは、
「学校お疲れさま。明日は最後だから観光に行こう」
と言われた。
最終日は、お土産を買いに色々な場所へ連れて行ってもらった。
「これは日本に持って帰った方がいいよ」
「カナックスのグッズも買いなよ」
そんなことを言われながら、一緒に昼食を食べた。
少しのんびりしていると、娘が、
「小腹空いたからお土産のやつ一箱開けない?」
と言った。
僕は彼女に薦められて買ったお土産を開けて、お菓子を差し出した。
それを嬉しそうに食べていた姿を、今でもなんとなく覚えている。
空港へ向かう車の中では、少しだけ寂しかった。
ゲート前では、下手な英語で書いた手紙を読んで渡し、
“Thank you… I’ll come back again.”
と伝えると、ホストファミリーは泣きながらハグをしてくれた。
僕も胸が熱くなった。
結局、僕はカナダで何か特別なものを掴めたわけではない。
英語が劇的に上達したわけでもないし、
人生が変わったわけでもない。
それでも、知らない国で誰かと暮らし、
拙い英語で笑い合った時間は、今でもちゃんと記憶に残っている。
海外に行ったからこそ、逆に日本の便利さや、日本の夜の安心感みたいなものにも気づけた。
世界を知りたいと思って行った留学だったけれど、
振り返ってみると、あの頃の僕は、まだ自分のことすらよく分かっていなかったのかもしれない。
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