たった一つの冴えない才能(古賀コン8 テーマ『孤高の天才未満』)

いつだって、クラスで、いや学年で、1番絵が上手いのは俺だった。
「俺は絶対、絵で食ってく」
いつだったかそう決心して、当然、中学でも高校でも美術部に入って、死力の限りを尽くして作品を作った。絵に関係あるものもないものも、大量の本を読んだ、見識のある人が県内に来たら、絵を見てもらうように努力した。県のコンテストで金賞に選ばれたこともあるし、全国大会で賞を取ったこともある。賞が全てだとも思わなかったが、少なくない人が、自分の絵をいいと思ってくれている事実に少なからず酔いしれていた。動物も植物も人物も風景も静物も写実も抽象もシュルレアリスムもどの領域も、全てにインスピレーションが湧いて、気分がよかった。
友達だって「お前なら絶対いける、今のうちにサインちょうだい」と言って憚らなかった。そのいじりのような信頼が心地よくて、勇気づけられた。
こうして美大に行って、絵で食っていくことになんの疑問も抱かなかった。絵を商売にするのを嫌がる人もいるだろうけど、表紙やパッケージに自分の絵が描かれていて、それが店先に並ぶ光景を想像すると、胸が高鳴った。それがいい、と思っていた。

高校に入って1年半、状況は一変した。父が亡くなった。遺族年金があったから生活には困らなかったけれど、予備校代を稼ぐために、高校に隠れてバイトをした。浪人は許されなかった。わかっている。落ちたら、専門学校どころか、高卒で働きに行くことすら考えていた。
母以外の人と話すことはなくなった。ただ黙々と必要最低限の勉強をして、それ以外の時間は全てバイトと受験対策の絵に充てた。通学や通塾のバスの中でも、休憩時間も、睡眠時間も。鉛筆の日も、ボールペンの日も、水彩の日も、アクリルガッシュの日も。

そうしているうちに、周囲の目が変わった。しかしそれも気にしなかった。気にしていられる余裕がなかった。
「ずっと部室にいる気がするけど、大丈夫? 寝れてる?」
「……お前は気にする暇あるのかよ」
「あぁ、いや、そんなつもりじゃ……」
彼女の声に怯えが混じる。かつては楽しく話していた同学年の美術部員だったけれど、集中できている貴重な瞬間に話しかけられたことに、苛立ちを隠せなかった。
「あの言い方はないよね」と言う声が遠くで聞こえる。そんな心配もビリビリとした痺れる自分の感情で押し潰した。仮に受験に失敗した時、きっとこの人たちに合わせる顔は、どこにもない。誰も気にしないだろうけれど、俺が、俺自身が許せなかった。孤独になりたかった。孤独になることを選んだ。
出来上がった絵は、ただのデッサンなのに、エゴン・シーレに似ている。

***

受かったのは五美大のうち一つだけだった。そして残酷にも、当然に私立だった。私立美大の学費は恐ろしいほど高額なことは、高校生である俺にも理解できた。確かに、半端に収入があるよりは遥かに奨学金は見つけやすかった。貰えるものも、低利子で借りられるものも。自分の立場で受け取れる奨学金の知らせを探して、他の美大まで自転車を走らせることだってあった。

一年目はそうして乗り切った。二年目はどれだけ節約をしても、どれだけバイトをしても、追いつきそうになかった。
これが一発逆転を狙って穴に落ちて一生を棒に振る人の気持ちか。そう実感していた。今、金が欲しい以外に何も考えられなくなっていた。
日に日に食べ物が喉を通らなくなっていき、眠れなくなっていく。ある人がそれに気づいた。奨学金関係の推薦で世話になっていたデザイン関係の教授が、やつれた俺に声をかけてきた。
「出してみたら、このコンペ。実力はあると思う」
スマホで見せられたのは、デジタルアートと広告を組み合わせたコンペティションだった。優勝賞金は、丁度、必要な金額丁度だった。結果発表までに本来の支払い期日は間に合わないけれど、支払猶予がある。
「畑違い、じゃないですか」
「基礎画力あるし、ソフトの使い方はわかってるでしょ。知名度低いけどいいとこ行くと思うけどね」
その言葉を信じて、俺は突き進んだ。
図書館に張り付いて、広告を研究した。ひたすら手を動かした。それでもずっと片隅に、カネの心配が横たわっている。

***

結果は準優勝だった。喜びは、これからを憂う目眩で消えた。
受賞パーティーなんて心底どうでもよかったが、準優勝以上の仕事の機会が欲しくて、徹夜でポートフォリオを作って、印刷してボロい鞄の中に入れた。
ずっと待たされた挙句に、ステージ上で何だかよくわからない一言を言わされて、すぐに地面に降りた。
「すみません、何だか」
地面に降りた自分に喧嘩を売るように会釈をしていったのは悠然と歩く黒い髪の女だった。何だっけ、たまに見かけるこのメイク。もう忘れた。彼女が登壇していく。それを俺はぼうっとながめていた。司会の女が問う。
「このたびは受賞おめでとうございました。特にどのような意図を持って作成されたんですか?」
「……やっぱり、アートを見るにも作るにも、精神的な余裕が必要だと思いました。飢えや怒り、そういったものをモチベーションに今までは何かをしていたんですけれど、これって限界があるんですよ。貧すれば鈍するっていうか」
正論を言う、美しい女だった。流行りの姿をしている癖に、言葉に自分が在った。その言葉が今の自分に突き刺さってしまった。憎くて、憎くて、仕方なかった。その後の言葉は、耳に入らなかった。

***

暗い道中で、呆然としながら歩き続ける。これから、相当額の奨学金以外の借金を背負うことになる。そうでないと、生きていけない。生活費が足りない。
勿論、まだ人生が詰んだわけじゃない。しかし3年も、4年もきっと同じ隘路に入る。休学も選択肢に入る。
そんなことしか考えられなくて、絵のことなど一つも考えられそうになかった。「精神的な余裕が必要──」確かにあの女が言っていた事は正論だと思った。今の自分に良いものが書けるわけがない。それでも、その余裕がどこから生じるのか、まるでわからなかった。

……さて準優勝でもらった金額も、普通にバイトしていたら稼ぐのに制作時間以上の時間がかかる額だ。そう考えると、たまに、自分を許そうと思えた。久しぶりに外食をしようと思った。朝から何も食べていなくて、今にも昏倒しそうだった。
そう思った途端、目に入った喫茶店が、何故か空いていた。そっけないコピー用紙のメニューには、手の届く値段が書かれている。思わず戸を開いた。
着席と注文からどれほどの時間が経ったのか、さっぱりした20代くらいの男性が、ナポリタンを持ってくる。この隙間時間にすら絵を描かなかったのは、久しぶりのことだった。
その鮮やかな香りを、フォークで巻き取って口に入れる。
「美味しい……」
そうだった、こういう、目を喜ばせるようなものが好きなんだった。本当は。無味なものばかり食べていたから、忘れていた。
食べ終わるまでの間に、俺は決心していた。

「あの、実はこういう絵を描いてるんですけど」
「よければメニューとか、描かせていただけませんか」
取り出したのはポートフォリオだ。今日の授賞式で、いつかその瞬間が来たときのために、ずっとこれを持っていた。鉛筆画も、ボールペン画も、水彩画も、アクリルガッシュ画も、このA4数十枚の中に収まっている。
「え、ヤッバ。これ描いたんですか。めちゃくちゃ最高ですね」
先程のウェイターの男性が、作品を捲りながら軽い口ぶりでそう語る。ヒラヒラと紙束が、彼の手の中で踊る。それが恩寵のはためきに見えた。
「いい返事もらえるかはわかんないですけど、店長に渡しときます」
彼はにっこり笑う。ぼんやりしていた俺は、その言葉に訳もわからず頷いた。
「でも先に俺からお願いしたいっす。いい感じのフライヤー描いてもらうのっていくらかかりますか」
霹靂だった。彼の指のそのペンだこは、ギターできたものだったのか。あ、俺に足りなかったのはこれなんだ。世間からの隔絶が努力に必要なものだと思っていたけれど、人に近づかないと、努力しても問題は解決しないんだ。そう思うと、ぼろぼろと頬が濡れた。
「わ、ちょっと、あー、これよかったら……」
彼から差し出されるティッシュを、ぼやけた視界で掴み取る。
「すんません……」
「色々あったんすね。インスタあります? あとでまた連絡しますから」
彼はまた笑った。凍りついて動かなくなっていた俺のタイムラインが動き出した。いや、元々、孤独ではなかった。孤独にしていただけだった。
絵を描くことを、また思い出せそうだった。



偶然このコンペを拝見して、初めて参加いたしました。ご開催誠にありがとうございました。

25/03/11 追記
努力する才能はあるけれど、それによって視野狭窄になる。天才未満の才能なので、その狭窄を他人と出会うという外圧で孤独を解消しないと、才能として発揮されない。そんなつもりでテーマを使わせていただきました。そういうのももう少しわかりやすく書けるといいなあと思うのですが、1時間でとなると難しいですねえ。
お読みくださりありがとうございました。

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