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ギレルモ・デル・トロが描く“哀しき怪物”。新生『フランケンシュタイン』、15分間の喝采

2025年8月30日、第82回ヴェネツィア国際映画祭。

会場のスクリーンに浮かび上がったタイトルは「Mary Shelley's Frankenstein」。観客は最初こそ息をひそめていたが、ラストシーンが終わり、静寂が訪れた瞬間、嵐のような拍手が巻き起こった。

その熱狂は、やがて14分間に及ぶスタンディングオベーションへと変わっていった。

ギレルモ・デル・トロ監督は深々と頭を下げ、主演のジェイコブ・エロルディは涙をこらえきれず、そっと顔を覆った。オスカー・アイザックが彼の肩に手を置き、二人は抱擁を交わす。

スクリーンの中だけでなく、現実世界でも“創造者と被創造物”の関係が象徴されるような光景だった。

海外メディアはこぞってこの夜を大きく報じた。

モンスター的に美しい(Monstruosamente bella)
心を揺さぶる寓話(A tear-jerking fairy tale)

SNSでは上映直後から、ジェイコブ・エロルディの涙を切り取った写真が爆発的に拡散され、映画ファンたちは「デル・トロが再びやってのけた」と興奮を隠せなかった。

ただし、この喝采は単なる“映画的快感”に対するものではなかった。

本作は、ホラーでもスリラーでもなく、現代を生きる私たちに「創造とは何か」「生きるとは何か」を突きつける寓話なのだ。


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▼ギレルモ・デル・トロの怪物の館 映画・創作ノート・コレクションの内なる世界


デル・トロ版“フランケンシュタイン”の再解釈

写真:ステファニア・ダレッサンドロ/WireImage

 ギレルモ・デル・トロは、この物語を単なるホラーとしては描かなかった。原作『フランケンシュタイン』は200年以上も前に誕生したが、その中核にあるテーマ「人間の傲慢」「孤独」「創造の代償」は、現代においてむしろ鋭さを増している。

デル・トロはそのテーマを現代的に翻案するにあたり、これまでの映像作品が作り上げた「怪物像」から意識的に距離を置いた。

過去の映画では、クリーチャーはボルトを首に埋め込まれた巨大で無表情な存在として描かれてきた。だが、デル・トロは言う。

「私は“恐怖”ではなく、“共感”を描きたい。」

AP News(2025年8月)

彼にとって、この“怪物”は恐れるべき存在ではない。
むしろ愛と知識を求め続ける、極めて人間的な存在なのだ。

主演のジェイコブ・エロルディも、その哲学を深く理解していた。

役作りの過程で、彼はこう語っている。

「クリーチャーは“僕自身”なんです。彼は生まれたばかりの赤ん坊のように純粋で、世界を必死に理解しようとしている。痛みや孤独を知っていく過程で、僕自身の心も揺さぶられました。」

出典:People「Jacob Elordi Opens Up About His Transformation into 'Frankenstein' Monster at Venice Film Festival」(2025年8月30日)

この視点は、観客にとっての“怪物像”を一変させる。

恐怖の対象から、共感すべき存在へ。デル・トロは観客の感情構造を根底から書き換え、フランケンシュタインという古典を「現代の寓話」として再生させたのだ。

さらに興味深いのは、テクノロジーとの関係性である。
インタビューでデル・トロは、よくあるAI批判的な視点を否定した。

私はAIを恐れていません。
私が恐れているのは、自然の愚かさです。

出典:Reuters「Del Toro's 'Frankenstein' shuns horror for humanity at Venice」(2025年8月30日)

この発言は意味深だ。

「創造主の傲慢さ」「人間の不完全さ」、そして「知識を求め続ける存在の孤独」。デル・トロは200年前のテーマを、現代のテクノロジー論や人間存在の問いと重ね合わせながら再構築したのである。


豪華キャストと制作の舞台裏

ジェイコブ・エロルディ、新作映画『フランケンシュタイン』に出演。
クレジット :フランコ・オリリア/ゲッティ:Netflix

オスカー・アイザックが演じる“創造主”

 ヴィクター・フランケンシュタイン役を務めるのは、名優オスカー・アイザック。デル・トロ監督とのディスカッションの中で、ヴィクター像は「狂気の科学者」から一歩進んだ複雑なキャラクターへと昇華した。

アイザックはインタビューでこう語っている。

「デル・トロは“ヴィクターは科学者であると同時に、ロックスターのようなカリスマ性を持つべきだ”と言ったんです。」

出典:Entertainment Weekly「Oscar Isaac on creating 'Frankenstein’s doctor — and giving him a ‘rock star’ quality」」(2025年9月4日)

ヴィクターは単なる“知識欲に溺れた男”ではない。その魅力と危うさが、観客にとって彼をより人間的で立体的な存在にしている。

ジェイコブ・エロルディが挑んだ“身体”と“心”の役作り

2025年8月30日、ヴェネツィア国際映画祭に出席したジェイコブ・エロルディ。

エルネスト・ルシオ/ゲッティ

 クリーチャー役のジェイコブ・エロルディは、文字通り身体を削りながら役を生きた。特殊メイクは毎回10時間以上を要し、皮膚の質感、傷跡の深さ、筋肉のラインまで徹底的に再現したという。

しかし彼にとって最も困難だったのは、見た目ではなく内面の構築だった。

「彼は怪物ではありません。愛されたいと願い、世界を知ろうとする、最も“人間らしい存在”なんです。」

People「Jacob Elordi Opens Up About His Transformation into 'Frankenstein' Monster at Venice Film Festival: 'He's More Me Than I Am'」(2025年8月30日)

この言葉の通り、エロルディはクリーチャーの孤独や渇望を、自身の経験と重ねながら演じた。映画祭での涙は、役から抜け出せないほどに深く共鳴した証拠だったのかもしれない。

Netflixの“1億2千万ドル”戦略

 本作に投じられた制作費は、およそ1億2千万ドル(約180億円)。Netflixは近年、大型実写作品への投資を積極的に行っているが、その中でも本作は突出した規模を誇る。

興味深いのは、その投資先が映像技術ではなく“美術”や“実物セット”に偏っている点だ。

デル・トロは、CGIを極力避けた。
彼の信念はこうだ。

「観客が“触れられる”世界を作りたい。現実に存在する空気、匂い、質感を映し出すためには、本物のセットしかない。」

出典:Reuters「Del Toro's 'Frankenstein' shuns horror for humanity at Venice」(2025年8月30日)

そのため、ロンドン郊外に巨大な撮影スタジオを新設し、ヴィクトリア朝時代の街並みを丸ごと再現。湿った石畳、蝋燭の揺らぎ、木製の扉の軋み。映像から伝わる空気感は、この徹底したこだわりによるものだ。


創造と破壊、そして現代への問い

 『フランケンシュタイン』は、単なるホラーでもSFでもない。ギレルモ・デル・トロ版では、この物語は“人間とは何か”を問う寓話として昇華されている。

創造主ヴィクター・フランケンシュタインは、生命を生み出すという神に近しい力を手にした。しかし、その創造物であるクリーチャーは「愛されたい」という根源的な欲求を抱きながらも、世界から疎外され、孤独の深淵に沈んでいく。

デル・トロは、この悲劇を現代社会と重ね合わせる。

人間はかつてない速度でテクノロジーを発展させ、AIやバイオ技術を手に入れた。だが同時に、創造された存在に対する「責任」や「共感」をどれほど持てているのか。

その問いを、この映画は突きつけている。


公開スケジュール

  • ヴェネツィア映画祭プレミア:2025年8月30日

  • 限定劇場公開(米国ほか):2025年10月17日

  • Netflix世界同時配信:2025年11月7日

  • 9/6時点の内容となります。

  • Amazon広告を含みます。


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