「臆病者」と呼ばれた兵士たち。戦争とPTSDの知られざる歴史
ある兵士は、塹壕のなかで叫び続けた。
夜も昼もなく砲弾が飛び交うなか、彼は耳を塞ぎながら名前を呼び続けたという。
またある兵士は、爆発音とともに言葉を失った。

彼は心理療法を専門とする後方の病院に送られる。
(写真:Haywood Magee/Picture Post/Hulton Archive/Getty Images)
戦友の体が一瞬で吹き飛ばされた光景を目の当たりにして以来、彼の口は二度と開かれることはなかった。
彼らは「恐怖に負けた」と断じられ、臆病者として軽蔑され、名誉を奪われた。祖国を裏切ったと非難され、家族からも背を向けられた者さえいた。
しかしそれは、「心の負傷」だったのだ。見えない傷が、骨より深く魂を削っていた。
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第一次世界大戦と「シェルショック」
1914年、第一次世界大戦が始まった。
ヨーロッパ各国の若者たちは「名誉の戦い」へと駆り出され、多くが塹壕戦の泥に沈んだ。兵士たちは、延々と続く銃声と砲撃のなか、地中に築かれた湿った塹壕で生活を余儀なくされ、死臭が漂う空気のなかで日々を送っていた。
彼らの足は常に泥に浸かり、凍傷や感染症が蔓延し、ネズミやシラミといった衛生問題にも悩まされ続けた。

爆発の衝撃で脳が損傷したものだと考えられていた。
極限状態のなか、多くの兵士たちは「原因不明の震え」「無表情」「反応の停止」「幻聴」「夢遊病的な徘徊」など、明らかに心のバランスを崩した症状を示すようになった。
中には、目の前で爆弾が炸裂し、仲間がバラバラになるのを見た瞬間に失禁し、その場に倒れ込んだまま動けなくなる者もいた。
この現象は当時、「シェルショック(shell shock)」と呼ばれた。
直訳すれば「砲弾ショック」だが、これはあくまで「物理的な爆風による脳へのダメージ」という誤解に基づいた命名だった。
医師たちの一部はそれを脳震盪の一種と考えたが、実際には、繰り返される砲撃音や死の恐怖、終わりなき緊張状態といった強烈な心理的ストレスが原因で、心が耐え切れなくなった結果だった。
当時の軍指導部は、これらの症状を「精神的疾患」ではなく「根性の欠如」「弱さ」として解釈した。
軍人は強くあるべきという硬直した価値観のもと、苦しむ兵士たちは「臆病者(coward)」と呼ばれ、軍法会議にかけられた末、銃殺刑に処された者もいた。
実際にイギリスでは300人以上の兵士が「臆病罪」や「命令違反」により処刑されており、その多くが後にシェルショックと診断されるべきだったとされている。
興味深いのは、この時代の医師たちのなかに、「この症状は脳の損傷ではなく、精神の防衛反応ではないか」と考える者がいたことだ。
彼らは、兵士の語る悪夢や幻覚、強迫的な動作を医学的に記録し、心的外傷の存在を仮説として提唱した。
しかし、軍の上層部にとって、兵士の心が壊れるという発想自体が受け入れがたいものであり、そうした声は医療報告書のなかに埋もれ、歴史の表舞台から姿を消すことになった。
精神的外傷への無理解
20世紀前半の医学では、「心の傷」という概念は確立されていなかった。精神医学自体が発展途上にあり、心理的外傷に関する知見も乏しかった。
当時、ヒステリーや神経症といった症状は「女性的な病」とされ、感情の起伏や精神的な不調を訴える男性は「異常な存在」と見なされた。
特に軍という組織の中では、精神の不調は「弱さ」や「忠誠心の欠如」と捉えられ、診断よりも処罰の対象になることが多かった。
戦場の男たちに起こる異常行動は、しばしば「個人の性格の問題」「教育の欠如」「道徳心の低さ」などと結びつけられた。軍上層部は、そうした兵士を「士気を下げる存在」として扱い、仲間への悪影響を避けるため、隔離・排除を優先した。
指導者の多くは、戦場においては肉体の負傷よりも精神の動揺のほうが危険だと認識しており、それゆえ心に異常を来した者は恐れられ、同時に蔑まれた。
兵士たちの心の異常は、しばしば「不真面目」「自己中心的」「意志が弱い」と評価され、精神病院に送られるか、場合によっては懲罰を受けることさえあった。
戦地においては、心の叫びを上げることはすなわち死と隣り合わせだった。助けを求める声は、組織内の沈黙の文化に飲み込まれ、多くの兵士が内面に苦しみを抱えたまま黙殺された。
それでも、前線に配属された一部の医師や看護師たちは、苦しむ兵士たちを「心の傷病者」として捉えようとした。
彼らは表面的な症状だけでなく、兵士の語る夢や記憶、表情や体のこわばりといった身体的サインを丹念に観察し、そこに共通する要因を探ろうとした。
中には、「日常的な人間関係の断絶」「仲間の死」「自分が生き残ったことへの罪悪感」「終わりの見えない任務」などがトリガーとなっていることを見抜いていた者もいた。
しかし、そうした見解はあくまで個人的なレベルにとどまり、軍全体の対応や社会の理解へとつながることはなかった。
第二次世界大戦と「戦争神経症」

撮影から1ヶ月後に戦死(1944年2月)
1939年に勃発した第二次世界大戦では、第一次大戦で得られたシェルショックの教訓が部分的には反映されたものの、依然として精神的外傷に対する理解と支援体制は大きく遅れていた。
戦場では依然として「勇気」「男らしさ」「無感情でいること」が美徳とされ、心を病むことは恥とされ続けていた。
この時代には「バトル・ファティーグ(戦闘疲労)」や「戦争神経症」と呼ばれる診断名が登場し、前線の兵士たちの異常行動や無気力状態に名前が与えられるようにはなった。
しかし、その診断はあくまで「一時的な消耗」として扱われることが多く、十分な治療や心理的支援が行われることは稀だった。
多くの兵士が、心のバランスを崩しながらも再び戦地に戻され、やがて完全に精神を崩壊させるという悪循環に陥っていた。

引用:https://www3.nhk.or.jp/news/special/senseki/article_121.html
特に長期間にわたり最前線で戦い続けた兵士たちのなかには、帰還後も戦争の記憶から逃れられず、夜な夜な悪夢にうなされ、些細な物音に過敏に反応し、敵の幻影におびえる者も多かった。
家族と共に暮らしていても、戦場の記憶が家庭のなかに入り込むようになり、感情を押し殺す生活を強いられた結果、家庭内での孤立や暴力、アルコール依存に陥るケースも増えていった。

引用:https://www3.nhk.or.jp/news/special/senseki/article_121.html
日本でも「戦争神経症」や「ノイローゼ」といった表現が用いられたが、その扱いは欧米諸国と比べてもさらに限定的だった。
戦中においては「精神的に弱ること」は非国民の烙印を押される行為とされ、「耐え忍ぶことこそ忠義」「死ぬことが美徳」とする価値観が精神的ケアの発展を阻んだ。
終戦後も、そうした価値観が社会に根深く残ったことで、心に傷を負った元兵士たちは「敗戦国の敗残兵」として冷遇され、社会復帰のための制度もほとんど整備されていなかった。
結果として、多くの元兵士が苦しみながらも沈黙を守るしかなく、自ら命を絶ったり、孤独な老後を過ごしたりした。
PTSDという名前が誕生したのは1980年
戦争によって心を病んだ人々に、ようやく「名前」が与えられたのは1980年のことだった。きっかけとなったのは、ベトナム戦争である。
この戦争は、米国民にとってかつてないほど長期化し、帰還兵の多くが深い心の傷を抱えて祖国に戻った。戦場での極限状況に加えて、帰還後の冷遇や社会からの無理解が、彼らの精神状態をさらに悪化させていた。

アメリカ精神医学会(APA)は、こうした帰還兵たちの深刻な精神的後遺症を受けて、1980年に発表された『DSM-III(精神障害の診断と統計マニュアル 第3版)』において、新たな診断名「PTSD(心的外傷後ストレス障害)」を精神疾患の分類に正式に追加した。
この診断名は、戦争経験者だけでなく、レイプ、虐待、災害、交通事故、誘拐、人質事件など、さまざまな強烈なストレス経験を経た人々にも適用されるようになった。

PTSDという言葉の登場は、精神医学の歴史における転換点だった。人々はようやく、「心が戦争で傷つく」「恐怖が記憶として身体に残る」という現象を、医学的・社会的に語るための言葉を得ることができた。
苦しむ者を単なる「弱者」や「怠惰な者」と見なすのではなく、明確な診断と治療の対象として受け止める土壌が生まれたのである。
この概念の普及により、各国の軍隊や医療機関、さらには一般社会においても、「トラウマ」という言葉が日常的に使われるようになり、心のケアの必要性が広く認識されるようになった。
帰還兵のための心理療法プログラムや、トラウマ専門の臨床心理士の育成も進み、心的外傷への理解と対応は徐々に進化を遂げていく。
さらにこの概念は、戦場に限らず、家庭内暴力や性的虐待、被災地支援、難民支援など、さまざまな場面に応用されるようになり、心の健康という視点が医療や福祉の中心に据えられる流れを加速させたのである。
現代の戦争とPTSD
現代の戦争では、PTSDに対するケアが重要視されている。帰還兵のメンタルサポート、カウンセリング、治療プログラムは国家レベルで整備されつつある。
とはいえ、PTSDを抱える兵士の自殺率は依然として高い。

PTSD=心的外傷後ストレス障害の患者の数が侵攻前と比べて4倍に増加している。
引用:https://www3.nhk.or.jp/news/html/20250218/k10014726041000.html
2021年、アメリカでは現役軍人・退役軍人の自殺数が過去最多を記録した。
また、無人機による戦闘や監視任務に従事する兵士たちも、直接戦地に赴いていないにもかかわらず、精神的ストレスを抱えるケースが増えている。
「敵を遠隔で殺す」という行為に対して道徳的なジレンマを感じることも多く、「離れた場所で行う戦争」が新たな心の傷を生んでいるのだ。
そして現代の研究では、「戦地に行っていない者」でも、映像や報道で心に傷を負う「二次的PTSD」や「複雑性PTSD」も注目されている。
SNSを通じて戦争の映像が瞬時に広がる現代では、一般市民ですら深刻な精神的影響を受けうる時代に突入している。
「心の負傷者」を、私たちはどう見るのか
100年前、「震えて動けない兵士」は処刑された。 今、同じ状態の兵士は「PTSD」と診断される。
時代が変わったからこそ、あらためて問いたい。
私たちは今、心の傷を抱えた者に対して、どれほど寛容でいられるのだろうか?
PTSDとは、過去の出来事に心を縛られながら、それでも生きていこうとする人間の姿だ。 それは弱さではなく、むしろ極限の経験を経たからこそ生まれる"生き延びた証"である。
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