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【第八章:前編】なぜ人は戦争をするのか。

 人類の歴史を振り返ると、そこには必ず「戦争」の影がある。古代の壁画には武器を手にした戦士の姿が刻まれ、中世の叙事詩には戦場で散った英雄が歌われ、近代以降の世界は二度の大戦によって形づくられた。

時代も場所も異なるのに、戦争は常に人類の歩みに寄り添い続けてきた。

それは偶然ではない。

むしろ「なぜ人は戦争をするのか」という問いは、文明史そのものに等しい。平和を希求する思想や制度は繰り返し生まれたが、戦争は消え去るどころか形を変え、時代ごとに新しい姿をまとって現れる。

人間は理性と共感を持つ存在であり、また科学と技術を発展させてきた知的生命体である。にもかかわらず、殺し合いを続けてきたのはなぜだろうか。

進化の過程で組み込まれた本能なのか、それとも社会の仕組みが生んだ必然なのか。あるいは、哲学者トマス・ホッブズが語ったように「人間の自然状態は闘争」であり、平和とは人工的な努力にすぎないのだろうか。

この問いに明快な答えは存在しない。

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しかし歴史と思想をたどれば、人間と戦争の関係がどのように形づくられてきたのか、その輪郭は浮かび上がってくる。

本稿では人類の歩みを追いながら、戦争がなぜ繰り返されるのかを探っていきたい。



▽【第八章:後編】なぜ人は戦争をするのか。

▽おすすめnote


進化の影


戦争は人間だけの行動なのだろうか。


この問いを考えるうえで、まず比較対象となるのが霊長類である。人間に最も近い存在であるチンパンジーの群れは、時に他群れとの間で残虐な衝突を繰り広げることが知られている。

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20世紀後半にジェーン・グドールらがタンザニアで行った長期観察は衝撃的だった。オスたちは集団で隣接する群れの個体を襲撃し、ときには仲間を失った群れを壊滅させるほどの暴力を見せたのである。これは「戦争の原型」がすでに人類以前の段階で存在していた可能性を示す。

さらに考古学的証拠もある。

およそ一万年以上前の狩猟採集時代とされる遺跡からは、矢じりや打撃による傷跡を残した人骨が数多く見つかっている。これらは自然死では説明がつかず、人間同士の争いを物語っている。

小規模な部族社会であっても、資源や縄張りを巡る争いは起こっていたことが推測される。つまり「人は平和な存在で、文明が戦争を生んだ」という単純な図式では説明できないのだ。

進化心理学はさらに踏み込む。

人類は協力しなければ生き残れない一方で、外敵を排除する攻撃性をも備えていた。利他行動と攻撃性は矛盾するものではなく、むしろ表裏一体である。仲間を守るためには敵を攻撃しなければならない。そうした行動が集団の生存確率を高め、結果として「攻撃性を持つ集団」が存続していったと考えられる。

しかし、ここで注意すべき点がある。

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チンパンジーの暴力が観察される一方で、もう一つの近縁種であるボノボは、むしろ性的行動や遊びを通じて争いを回避する傾向を示す。つまり「暴力は避けられない本能」という見方は一面的であり、人類がどのような進化の道を選んだかという問題に帰着する。

戦争は生物学的に可能な行動であるが、それを大規模に制度化し、正当化するに至ったのは人間だけだった。

この事実が示すのは、戦争が単なる遺伝子に刻まれた本能ではなく、本能と文化の相互作用から生まれた現象だということである。

人間は攻撃性を持つと同時に、協力や共感、そして倫理をもつ存在である。その両面性が、のちの文明史において戦争を拡大させる土台となった。


文明の誕生と戦争の制度化

新石器革命、農業

 人類が農耕を始め、定住生活に移行したのは一万年前ほど前の新石器革命の時代である。この転換は、単なる生活様式の変化にとどまらず、人類社会の構造を根底から変えた。

狩猟採集時代には集団の規模は数十人から百人程度にすぎなかったが、農耕は余剰生産物を生み出し、それを蓄えることで数千人、数万人規模の都市を成立させた。

この余剰こそが、戦争の新たな火種となった。作物の収穫地や灌漑用の水源は生存に直結する資源であり、周辺の集団がそれを奪い合うようになる。また、蓄えを管理する者=支配者が現れ、社会は階層化し、国家と呼べる統治体制が芽生えた。国家は外部に対して自らを守り、また拡張するために、戦争を「組織的に行う仕組み」として制度化していったのである。

ウルク遺跡で見つかった円筒印章の陰影。出典:rekishinosekai

メソポタミアの都市国家は、紀元前3000年頃から互いに軍隊を編成し、城壁を築いた。楔形文字の記録には、隣接する都市国家との戦いの様子や戦利品の分配が詳細に記されている。

エジプトの壁画には戦車で戦うファラオの姿が描かれ、中国の殷や周の時代には青銅器の武具が権力の象徴として奉納されていた。戦争は単なる生存闘争ではなく、支配者の権威を高め、国家を正当化するための「舞台」となったのだ。

宗教もまた、戦争の制度化に深く関わった。

出典:hateblo

神々の名のもとに戦うことは、人々を動員する強力な装置であった。旧約聖書には「主の戦い」としてイスラエルの民が戦う姿が描かれ、メソポタミアやエジプトでも王の戦勝は神意の証とされた。戦争は単に資源を奪う手段ではなく、「正義」や「使命」を帯びる行為へと変わっていったのである。

さらに軍事技術の発展も戦争を不可逆的に拡大させた。青銅から鉄器への移行は、武器をより安価で大量に生産することを可能にし、大規模な軍隊を組織する基盤を整えた。馬と戦車の導入は移動と攻撃の範囲を広げ、戦争を国家規模へと押し上げた。

この時代の戦争を振り返ると、それは単なる「暴力の発露」ではなく、国家権力の誕生と不可分であることが分かる。戦争は社会を組織化し、権力を集中させ、文明を拡張する推進力となった。

皮肉なことに、私たちが「文明」と呼ぶものの多くは、戦争を通じて生まれ、強化されてきたのだ。


名誉と正義の時代

 文明が成熟し、国家や宗教が力を増すと、戦争はますます「理念」をまとい始めた。単なる生存や資源の争奪ではなく、「名誉のため」「正義のため」という言葉で戦いは正当化され、人々は自ら進んで命を投じるようになったのである。

古代ギリシアはその典型だ。

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ポリスと呼ばれる都市国家は、市民自身が武装し戦場に立つ共同体だった。戦争は市民の義務であり、同時に名誉でもあった。ホメロスの『イリアス』には、戦場で勇敢に戦うことが英雄の生き様として描かれ、戦死は恥ではなく栄光だった。

こうした思想は、後世の西洋戦争観の基盤となっていく。

トイトブルク森の戦い(Otto Albert Koch)

ローマ帝国もまた、戦争を「市民の義務」と位置づけた。ローマ軍団は強大な組織力で知られるが、その根底にあったのは「ローマに尽くすことこそが栄誉」という価値観である。戦勝は市民権を広げ、敗北は恥辱とされた。軍事と市民生活は不可分であり、戦争は帝国のアイデンティティそのものを支えていた。

中世に入ると、宗教が戦争を新しい次元へと引き上げた。

エルサレム攻囲戦

最たる例が十字軍である。エルサレムを「聖地」と定め、キリスト教世界は「神の名のもと」に遠征を繰り返した。これは単なる領土戦争ではなく、戦いそのものが「救済の行為」と位置づけられた点に特徴がある。異教徒と戦うことが「信仰の証」とされたとき、戦争は人間の精神世界の深部に食い込んだ。

同じように日本の戦国期においても、戦争は「名誉」と「義理」の舞台であった。

第四次川中島の戦い(1561年)

武士は「主君への忠義」と「家の名誉」を守るために戦い、死を恐れぬ姿勢が「武士道」として後世に理想化された。勝敗だけでなく、「いかに戦い、いかに死ぬか」が重視されたのである。

ここで注目すべきは、人間は戦争を単なる暴力としてではなく、文化や倫理の枠組みの中に組み込んできた点だ。

戦士の栄光、宗教的使命、忠義や義務。それらが人々を動員し、戦争を「大義あるもの」として社会に定着させた。

だが、これこそが皮肉でもある。

本来は破壊と死をもたらす戦争が、名誉や正義と結びついたとき、人々はむしろ積極的にそれを選び取るようになったのだ。この時代、人間は「戦う理由」を美化する術を学んでしまったといえるだろう。


前編の終わりに

ウェルケラエの戦い、紀元前101年(ジョヴァンニ・バッティスタ・ティエポロ - Metropolitan Museum of Art)

 人類の歴史を俯瞰すると、戦争は単なる暴力や本能の発露から始まり、やがて文明の制度へと組み込まれ、さらに名誉や正義といった観念をまといながら拡大していった。

戦争は外敵を排除するための行為であると同時に、国家を組織し、人々を団結させ、社会を形づくる推進力となってきたのである。

しかしその過程で、戦争は一層根深いものとなった。

本能としての攻撃性に加え、宗教的使命や名誉、忠義といった文化的・倫理的価値が重なり、人類は「戦う理由」を自ら進んで作り出すようになった。戦争は恐怖と破壊の源であると同時に、文明を育む矛盾した装置でもあったのだ。

だが歴史はここで終わらない。

近代に入ると、火薬と銃が戦争の姿を変え、国民国家の誕生は「総力戦」という新たな段階を生み出す。そして20世紀には、二度の世界大戦と核兵器が人類の未来を根底から揺るがした。

「なぜ人は戦争をするのか」という問いは、次の時代においてさらに深刻な意味を持つことになる。

後編では、近代国家から現代の情報戦争に至るまで、戦争の姿がどのように変貌し、そして私たちに何を突きつけているのかを探っていく。


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