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白薔薇の巨星と孤独|エドワード4世、愛が招いた王冠の代償

1461年3月29日、ヨークシャーのタウトン。吹き荒れる猛吹雪の中、イングランド史上最も多くの血が流された戦いが決した。

雪原を赤く染め上げたのは、ランカスター家の敗北と、ヨーク家の若き当主の凱旋である。身長193センチという当時としては驚異的な巨躯、黄金の髪、そして圧倒的なカリスマ。

タウトンの戦い、リチャード・ケイトン・ウッドヴィル・ジュニア(1922年)

19歳のエドワード4世は、まさに「燦然たる太陽」そのものであった。

中世の王に求められる武勇と美貌を完璧に備えたこの若者は、腐敗したヘンリー6世の治世を終わらせ、新たな黄金時代の到来を告げる救世主としてロンドン市民に迎えられた。

タウトンの戦いでのエドワードの勝利を記念したタウトン十字架

しかし、その輝きの裏には、彼自身すら制御しきれない情熱という名の暗い種火が既に燻っていたのである。



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王冠よりも重い指輪

リチャード・ネヴィル

若き王の即位を演出したのは、従兄弟であり「キングメーカー」の異名をとるウォリック伯リチャード・ネヴィルであった。ウォリック伯は、フランス王家との婚姻を通じて不安定なヨーク朝の基盤を磐石にしようと画策していた。

当時の王にとって結婚とは、最大の外交カードであり、個人の感情が介入する余地など微塵もない国家事業である。

ボナ・ディ・サヴォイア

フランス王ルイ11世の義妹ボナ・ディ・サヴォイアとの縁談が大詰めを迎えていた1464年、エドワード4世は側近たちの前で信じがたい事実を口にした。

「私は既に結婚している」


相手はエリザベス・ウッドヴィル。

エリザベス・ウッドヴィル

ランカスター派の騎士の未亡人であり、二人の子持ち、そして何より王族ではない一介の貴族の娘であった。

それは前代未聞の不釣り合いな結合であり、中世の王権概念を根底から覆すスキャンダルであった。エドワードは森の中で彼女を見初め、その美貌に溺れ、極秘裏に挙式を済ませていたのである。

エドワード 4 世とエリザベス・ウッドヴィルの結婚、装飾写本『アンシエンヌ・クロニク・ダングルテール』より、ジャン・ド・ワヴラン作

この瞬間、彼は同盟国フランスを侮辱し、最大の功臣ウォリック伯の顔に泥を塗った。愛欲を優先し政治的合理性を放棄したこの決断こそが、後の薔薇戦争を泥沼化させ、ヨーク朝の寿命を縮める決定的な転換点となった。

エリザベスの一族であるウッドヴィル家は、王の外戚として急速に権力を拡大し、古くからの貴族たちの反感を買うこととなる。

愛が招いたのは、甘い生活ではなく、終わりのない宮廷闘争であった。


裏切りと鋼鉄の帰還

エドワード4世(左)がテュークスベリーで第4代サマセット公爵エドマンド・ボーフォートの処刑を見守る(1471年)

「キングメーカー」のプライドを傷つけられたウォリック伯の復讐は苛烈を極めた。彼はエドワードの実弟であるクラレンス公ジョージを抱き込み、反乱の狼煙を上げる。

かつての恩人が最大の敵となり、王は1470年、命からがらネーデルラントへと亡命を余儀なくされた。

栄光の座から一転、無一文の逃亡者へ。しかし、ここからエドワード4世の真価が発揮される。彼はただの女好きの放蕩児ではなかった。類稀なる軍事的天才であったのである。

ブルゴーニュ公の支援を取り付けたエドワードは、翌1471年、少数の兵を率いてイングランドへ再上陸する。裏切り者の弟クラレンス公を巧みな弁舌で再び味方に引き入れると、ロンドンへ進軍。

15世紀後半に描かれた絵(左がヨーク派、右がランカスター派)

濃霧に包まれたバーネットの戦いでウォリック伯を討ち取り、続くテュークスベリーの戦いではランカスター家の皇太子エドワードを殺害、ヘンリー6世をもロンドン塔で始末した。

この電光石火の軍事キャンペーンは、彼の冷徹な戦略眼と、戦場における野獣のような直感を如実に物語っている。彼は情熱によって王座を失い、暴力によってそれを奪い返した。

二度の戴冠を経た王は、もはや無邪気な若者ではなく、敵対する者を容赦なく排除する冷酷な君主へと変貌していた。


平和という名の腐敗

1477年にウィリアム・キャクストンによってイギリスで印刷された『哲学者の口述と格言』からの贈呈用ミニチュア。エドワードが妻エリザベス、長男エドワード、弟リチャードに付き添われてウッドヴィルから原稿のコピーを受け取っているところが描かれている。

 国内の敵を一掃した後の12年間、イングランドは束の間の平和を享受した。エドワードは商才に長け、羊毛貿易を振興し、王室財政を立て直した。

しかし、晩年の彼は平和の毒に蝕まれていく。

かつての精悍な戦士の姿は消え失せ、美食と美酒に溺れ、極度の肥満体となった。宮廷はウッドヴィル一族によって支配され、彼らの貪欲さは他の貴族、特に忠実な弟であるグロスター公リチャード(後のリチャード3世)の不信感を増幅させた。

エドワードにとって最大の悲劇は、彼が愛した家族を守るために構築した「ウッドヴィル体制」が、皮肉にも彼の死後、息子たちを追い詰める凶器となったことである。

1483年4月、放蕩が祟ったのか、あるいは過労か、エドワード4世は40歳という若さで急死する。

彼が遺したのは、幼い王エドワード5世と、権力を手放すまいとするウッドヴィル家、そして彼らを憎悪する弟リチャードという、爆発寸前の火薬庫であった。


薔薇は散り、何が残ったか

エドワード4世(死後の肖像画 1540年頃)

エドワード4世の死からわずか数ヶ月後、彼の息子たちはロンドン塔に幽閉され、歴史の闇へと消えた。弟リチャード3世による簒奪は、エドワードが生前に蒔いた種(不適切な結婚と、それに伴う貴族間の不均衡)が芽吹いた結果に他ならない。

エドワード4世とリチャード3世の父、第3代ヨーク公リチャード・オブ・ヨークの絵、1445年頃

もし彼が情熱を抑制し、政治的な結婚を選んでいれば、ヨーク朝は盤石なものとして続き、テューダー朝の台頭も、シェイクスピアが描くリチャード3世の悲劇も存在しなかったかもしれない。

白薔薇の王は、戦場では無敵であった。しかし、己の心の中に巣食う孤独と情熱という敵には勝てなかった。

ウィンザー城の聖ジョージ礼拝堂に眠る彼の遺骸のそばには、彼が国を傾けてまで愛したエリザベス・ウッドヴィルが共に眠っている。

その静寂は、愛を貫くことの代償がいかに高くつくかを、数世紀を経た今も静かに語りかけている。


『リチャード三世』ファースト・フォリオの表紙 (シェイクスピア)

後世、シェイクスピアはこの弟リチャードを稀代の悪役として描いた。

ボズワースの戦場で孤立し、「馬をくれ! 代わりに国をやるぞ!(A horse! a horse! my kingdom for a horse!)」と絶叫して果てる怪物の姿だ。

国を売り渡してでも生き延びようとするその浅ましい最期は、偉大な兄エドワードが築き上げたヨーク朝の栄光が、いかに脆く、そして無惨に崩れ去ったかを象徴している。


参考文献

  • Ross, Charles. Edward IV. Yale University Press, 1997. (The authoritative biography within the Yale English Monarchs series)

  • Hicks, Michael. Edward IV. Hodder Arnold, 2004.

  • Seward, Desmond. The Wars of the Roses. Viking, 1995.

  • Penn, Thomas. The Brothers York: An English Tragedy. Allen Lane, 2019.

  • 青山吉信(編)『イギリス史 1 先史〜中世』山川出版社、1991年。

  • 指昭博『図説 イギリスの歴史』河出書房新社、2002年。

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