月2回の恋人たち
第11章 - 投資大失敗による精神的苦痛
火曜日の午後2時45分。ゆめは画面を見つめたまま、動けなくなっていた。
-28万円。
今日一日で28万円の損失。それも、完全に自分の判断ミスだった。朝から調子に乗って、いつもより大きなポジションを取った結果がこれだった。
「なんで…」
小さく呟いた。投資を始めてから、一日でこんなに大きな損失を出したのは初めてだった。
午後3時30分。取引終了。
最終的な損失は33万円。ゆめの顔が青ざめた。先月までで積み上げた利益が、一日で消えた。
スマホに健太からのメッセージが来ていた。
『お疲れさま。今日の調子はどう?』
いつものメッセージ。でも今日は返事ができなかった。
こんな大失敗を、どう説明すればいいのか。健太は投資のリスクを理解してくれているけれど、33万万円の損失なんて想像もしていないだろう。
3時40分。ゆめは部屋のベッドに倒れ込んだ。
頭が痛い。胃も痛い。33万円。健太の月給の1ヶ月分。同棲の話をしている時に、こんな損失を出すなんて。
健太からまたメッセージが来た。
『大丈夫?いつもなら返事くれるのに』
ゆめは泣きそうになった。健太の優しさが、今は辛かった。
『今日はちょっと調子悪い。また明日連絡する』
嘘だった。体調が悪いわけじゃない。心が折れそうになっているだけ。
4時。ゆめは投資の記録を見返していた。
ここ3ヶ月、順調に利益を積み重ねてきた。調子に乗っていた。「私には才能がある」なんて思い込んでいた。
でも今日の結果が現実だった。投資にはリスクがある。大きく稼げる時もあれば、大きく失う時もある。
頭ではわかっていたはずなのに。
5時。母親が仕事から帰ってきた。
「ゆめちゃん、お疲れさま。今日はどうだった?」
「…普通」
嘘をついた。母親に心配をかけたくなかった。投資で大損したなんて言えない。
「顔色悪いけど、大丈夫?」
「ちょっと疲れてるだけ」
「無理しちゃダメよ」
母親の優しさが、ゆめの心をより苦しくした。
6時。夕食の時間になっても、ゆめは食欲がなかった。
「食べないの?」
「あんまりお腹空いてない」
「体調管理も大事よ。投資で成功してても、体を壊したら意味ないから」
「投資で成功」という言葉が、胸に刺さった。
今日の失敗で、ゆめの自信は完全に崩れていた。自分は投資に向いていないんじゃないか。才能なんてなかったんじゃないか。
7時。健太から電話がかかってきた。
でも出られなかった。今の状態で話したら、きっと当たり散らしてしまう。健太に八つ当たりしてしまう。
着信が切れた後、メッセージが来た。
『心配してる。何かあったら話して』
健太の優しさが、今は重荷だった。
8時。ゆめは自分の部屋に閉じこもった。
投資の教科書を読み返してみたけれど、頭に入ってこない。チャートを見ても、今日の失敗が頭をよぎる。
なんで今日に限って、あんな判断をしたんだろう。いつもなら慎重にやるのに。調子に乗りすぎた。慢心していた。
9時。ゆめは健太に短いメッセージを送った。
『心配かけてごめん。ちょっと投資で失敗して落ち込んでる。少し一人になりたい』
すぐに返事が来た。
『そっか。辛いよね。でも一人で抱え込まないで。話したくなったらいつでも連絡して』
健太の理解ある返事が、逆にゆめを苦しくした。なんで私なんかのために、こんなに優しくしてくれるんだろう。
水曜日の朝。ゆめは一睡もできなかった。
昨日の損失のことばかり考えていた。33万円。どうやって取り戻そう。いや、取り戻そうとして、また失敗するかもしれない。
朝食も食べられなかった。
9時。市場が開いたけれど、ゆめは取引する気になれなかった。
昨日の失敗が頭をよぎって、判断力が鈍っている。こんな状態で取引したら、また失敗する。
でも取引しなければ、損失を取り戻せない。
ジレンマだった。
10時。健太からメッセージが来た。
『おはよう。今日は少し気分良くなった?』
ゆめは返事をしなかった。気分なんて良くなるわけがない。
11時。ゆめはベッドに横になっていた。
投資への情熱が、完全に消えていた。昨日まで楽しかった取引が、今は恐怖でしかない。
自分には才能がないんだ。そう思うと、すべてが無意味に感じられた。
12時。昼食の時間になっても、ゆめは部屋から出てこなかった。
母親が心配して、部屋のドアをノックした。
「ゆめちゃん、大丈夫?」
「大丈夫」
嘘だった。全然大丈夫じゃない。
「お昼、作ったから食べに来て」
「いらない」
「でも」
「一人にして」
ゆめの声に、いつもにない冷たさがあった。母親も、それ以上は何も言わなかった。
木曜日。ゆめの状態は悪化していた。
2日間、ほとんど食事を取っていない。睡眠も浅い。投資への意欲も完全に失っていた。
健太からのメッセージも無視し続けていた。
『心配してる』
『何かできることがあったら言って』
『一人で抱え込まないで』
健太の優しさが、ゆめには重荷だった。こんな失敗をした自分に、そんなに親切にしないでほしい。
午後3時。健太から電話がかかってきた。
今度は出た。でも、声が出なかった。
「ゆめ?大丈夫?」
健太の心配そうな声。
「…大丈夫」
かすれた声だった。
「全然大丈夫じゃないじゃない。今から行っていい?」
「来ないで」
「でも」
「来ないでって言ってるでしょ」
ゆめの声に、きつさがあった。
「ゆめ、何があったの?投資の失敗って言ってたけど」
「あなたには関係ない」
冷たい言葉だった。健太が傷ついているのがわかった。
「関係ないって…俺たち、恋人でしょ?」
「恋人だからって、何でも共有しなきゃいけないわけじゃない」
「そうじゃなくて、ゆめが苦しんでるから心配してるんだ」
「心配しないで。私の問題だから」
電話を切った。
健太を傷つけてしまった。でも、今はそれどころじゃなかった。
金曜日。ゆめの状態はさらに悪化していた。
3日間で、体重が2キロ減った。顔色も悪い。投資どころか、日常生活もままならない状態だった。
健太からのメッセージは止まっていた。昨日の電話で、完全に突き放してしまったから。
それが正解だった。ゆめは自分にそう言い聞かせた。健太に迷惑をかけるより、一人で解決した方がいい。
でも、心の奥では健太に甘えたい気持ちもあった。抱きしめてもらいたい。「大丈夫だよ」って言ってもらいたい。
でも、そんな資格は自分にはない。投資で大失敗した、情けない女に。
土曜日の朝10時。インターホンが鳴った。
母親が出ると、健太の声がした。
「おはようございます。ゆめさんはいらっしゃいますか?」
ゆめは部屋から出て行こうとした。でも、母親が呼び止めた。
「ゆめちゃん、健太さんが来てるわよ」
「会いたくない」
「でも、すごく心配してくれてる」
「だから会いたくないの」
母親が困った顔をした。
「少しだけでも話してみたら?」
「嫌」
結局、健太は帰って行った。玄関先で母親と少し話していたようだけれど、何を話したのかはわからない。
その夜、母親がゆめの部屋に来た。
「健太さんと話したのよ」
「何を話したの?」
「ゆめちゃんのこと、すごく心配してる。投資で失敗したのは知ってるけど、それ以上は詮索しないって」
「そう」
「でも、一人で抱え込まないでほしいって。力になりたいって」
ゆめの目に涙が浮かんだ。
「私、33万円も損したの」
初めて、具体的な金額を口にした。
「33万円…」
母親も驚いていた。
「そんなにお金を失うなんて、投資家失格よ。才能なんてなかったの」
「そんなことない」
「ある。だって、こんな大失敗するなんて」
「失敗は誰にでもある。大切なのは、そこから学ぶこと」
母親の言葉が、ゆめの心に少し響いた。
「でも、健太に合わせる顔がない」
「どうして?」
「こんな失敗して、同棲の話もしてたのに。経済的に頼れると思われてたのに」
「健太さんは、そんな風に思ってないわよ」
「でも」
「一度、ちゃんと話してみたら?きっと理解してくれる」
日曜日の昼12時。ゆめは重い腰を上げて、健太にメッセージを送った。
『ごめん。ひどいこと言って。今日、時間ある?』
30分後、返事が来た。
『大丈夫。俺の方こそ、しつこくてごめん。今日はいつでも大丈夫』
『5時に、いつもの公園で会える?』
『もちろん』
午後5時。公園のベンチで、ゆめは健太と向き合っていた。
ゆめの顔は、明らかにやつれていた。健太が心配そうな表情を見せた。
「大丈夫?痩せたよ」
「ちょっと食欲なくて」
「投資の失敗って、どのくらいの…」
「33万円」
健太が息を呑んだ。
「33万円…」
「一日で。完全に私の判断ミス」
健太がしばらく黙っていた。
「それは…きついね」
「きついなんてもんじゃない。私、投資家としてもう終わりかもしれない」
「そんなことない」
「ある。こんな大失敗する人間に、才能なんてない」
ゆめの声に絶望があった。
「でも、これまで成功してきたじゃない」
「それも運だったのかも。調子に乗ってたから、こんなことになった」
健太が隣に座って、ゆめの手を握った。
「ゆめ、聞いて」
「何?」
「俺は、ゆめの投資の才能も、これまでの努力も、本物だと思ってる」
「でも」
「失敗は誰にでもある。大切なのは、そこから立ち直ること」
ゆめの目に涙が浮かんだ。
「立ち直れるかな」
「絶対に立ち直れる。ゆめは強いから」
「強くない。こんなに落ち込んで、あなたにまでひどいこと言って」
「それも含めて、人間らしいよ」
健太の優しさに、ゆめは泣き出した。
「ごめん、ひどいこと言って」
「いいよ。辛い時は、誰かに当たりたくなるもの」
「でも、あなたは悪くないのに」
「俺も、無理に支えようとしすぎたかも。ゆめのペースを尊重すべきだった」
5時30分。ゆめは健太に全てを話した。
失敗の詳細、この数日間の苦しみ、投資への恐怖、自信の喪失。
健太は黙って聞いてくれた。
「同棲の話も、白紙にした方がいいかも」
ゆめが言った。
「どうして?」
「こんな状態の私と住んでも、健太が大変なだけ」
「そんなことない」
「ある。経済的にも不安定になったし、精神的にも不安定だし」
健太が考え込んだ。
「確かに、今すぐは難しいかもしれない」
ゆめの心が沈んだ。やっぱり、健太も同棲を諦めるつもりなんだ。
「でも」
健太が続けた。
「ゆめが立ち直ったら、また話し合おう。俺は諦めない」
「本当に?」
「本当に。ゆめと一緒に住みたい気持ちは変わらない」
6時。健太がゆめに提案した。
「今日は、俺のアパートで休まない?一人でいると、余計に考え込んじゃうでしょ」
「でも、迷惑かけるかも」
「迷惑じゃない。むしろ、そばにいさせて」
ゆめは悩んだけれど、一人でいるのも辛かった。
「お願いします」
健太のアパートで、ゆめは久しぶりにちゃんとした食事を取った。
健太が作ってくれたスープが、体に染みた。
「美味しい」
「良かった。ちゃんと食べないとダメだよ」
「ありがとう」
夜になって、ゆめは健太のベッドで休んだ。
でも、セックスはしなかった。今の状態では、そんな気持ちになれない。健太も、そのことを理解してくれていた。
ただ、隣にいてくれるだけで十分だった。
「健太」
「何?」
「私、まだ投資続けられるかな」
「続けられると思う。でも、無理しなくてもいい」
「でも、投資しか取り柄がないから」
「そんなことない。ゆめにはたくさん良いところがある」
健太の言葉に、ゆめは少し救われた。
「立ち直るまで、時間かかるかも」
「いくらでも待つ」
「本当に?」
「本当に。俺たちのペースで、ゆっくりやろう」
その夜、ゆめは久しぶりにちゃんと眠ることができた。
健太の隣で、安心して眠れた。
明日からどうなるかはわからない。でも、一人じゃないということがわかった。
健太がそばにいてくれる。それだけで、少し希望が見えてきた。
投資への恐怖は消えない。でも、立ち直る気持ちが、少しだけ芽生えた。
時間はかかるかもしれない。でも、きっと大丈夫。
健太と一緒なら、乗り越えられる気がした。
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