【宝塚•黒蜥蜴】ラストは早苗or葉子問題
先日、テレビ番組『タカラヅカ・カフェブレイク』に水美舞斗さんが出演された際、本作を観劇した人が抱く最大の疑問点についてお話しされていました。それは、「早苗か、葉子か」という謎です。檻の中に囚われたとき、そして最後に雨宮と一緒にいるのは、一体どちらなのか。観る人の判断に委ねるような、生田大和先生の絶妙な演出が光っています。しかし番組内で、生田先生、水美さん、天彩さんの間では「正解がハッキリと決まっている」というお話がありました。それなら、千秋楽以降に何らかの形で答え合わせをしてくれるのだろうか……と、密かに期待しています。
私は大劇場の千秋楽配信しか視聴できていないため、何度も現地観劇されている方に比べると、1回で十分な情報量を摂取できているかは怪しいところですが、今のところ私は「早苗」だと思っています。理由は4つあります。
1. 早苗と葉子の演じ分け
演者である天彩さんは、最初に登場する本物の早苗と、身代わりである葉子の時とで、全く違う演技をされています。檻の中とラストのシーンは、私にはどう見ても「早苗」役としての演技をしているように思えるのです……早苗に見える「葉子」役ではなくて。
2. 「私、早苗じゃないのよ」という台詞の違和感
雨宮潤一が「お嬢さんは虫が好かない(嫌いだ)」と言った直後、慌てて「私、早苗じゃないのよ」と言ったのがいかにも怪しいと感じました。もし本当に葉子なら、「私、葉子よ!」と言って、その後もあばずれ(?)な葉子らしく振る舞うのではないでしょうか。船に連れ去られて檻に入れられた時点でまで、わざわざ早苗のフリを続ける必要はないように思います。
3. 公演プログラムの記載
プログラムの役名に「早苗」と書かれている……安易ですが、これも一応理由の一つですね。
4. 葉子のキャラクター
過去に男性関係で嫌な目に遭っている葉子が、いくらビジュアルが最高に格好よくても、雨宮のような怪しい雰囲気で、生活力も将来性もなさそうな訳ありの男性と一緒に生きていこうとする姿が、どうしても想像できないのです。
コレが私にとって一番の決め手です。
本当の正解は、どうなのでしょうか。
◇
ところで、カフェ・ブレイクでは雨宮潤一という人物についても、宝塚版における彼の設定を水美さんが詳しくお話しされていました。
『12、13歳の頃、戦後の焼け野原で両親と死に別れ、家族もお金もなく生きる希望を失っていたところを黒蜥蜴に拾われた(クロロホルムのハンカチで眠らされ、半ば誘拐された……!?)』
(ニュアンスです⤴️)
この設定を聞いて、雨宮がなぜあそこまで執拗に黒蜥蜴に心酔しているのか、その謎が少し解けた気がしました。他に拠り所のない少年が、あの環境で危ない大人になっていくのは仕方のないことだったのかもしれない、と腑に落ちたのです。
また、お芝居の時代背景や当時の恋愛観を改めて知ることで、ストーリーの受け止め方も変わってきます。
昭和は私も生きていた時代ですし、そう遠くはないはずの世界観です。しかし、固定電話しかない時代の生活などは、最近はすっかり忘れてしまっていました。
こうした時代背景を具体的に頭に入れた上で作品を観ると、また違ったリアクションや、さらに感銘を受けるシーンが出てくるのかもしれないな、と想像が膨らんでいます。
