あの人にイラッとする理由
職場でも、SNSでも、近所づきあいでも。
なぜか「あの人にだけは、どうしてもイラッとする」という相手がいる。
それは別に暴言を吐く人でも、マウントを取るタイプでもない。
むしろ、礼儀正しくて、空気も読めて、他人からの評価も高かったりする。
それでも──
なぜか、その人の一言ひとことが気に障る。
そんな自分が「心が狭いのでは」と自己嫌悪に陥ることもあるが、実はこの「イラッとする」感情こそが、あなたの無意識に刷り込まれた構造の反応なのかもしれない。
まず前提として、「好き」「嫌い」という感情は、論理では制御できない。にもかかわらず、現代社会では「感情に振り回されるな」「好き嫌いは大人げない」とされ、感情は『扱いにくいノイズ』のように切り捨てられる傾向がある。
だが、本当はその「イラッ」は、あなたの中の何かが反応しているサインだ。それは「構造の歪み」が表出した心のセンサーにほかならない。
それでは、なぜ「あの人」にだけイラッとするのか。
ここで注目すべきは、相手の性格や行動そのものではなく、あなたとの“関係の構造”だ。
たとえば──、自分が我慢しているのに相手は自由にしている事であったり、自分は配慮しているのに相手はズバズバ言う事でふったりする。
自分が努力しても報われないのに、相手はスルッと認められる環境であったりもする。
このとき、あなたが感じているのは「その人が嫌い」なのではなく「自分が不当に扱われている」という感覚なのだ。
そう、不公平感が「イラッ」の正体であり、それは往々にして、無自覚な役割期待や抑圧された構造から生じている。
もう少し踏み込んでみよう。
たとえば「自分を抑えて場を回すのが正しい」と信じて生きてきた人がいたとする。そんな人にとって、「自己主張が強い人」は脅威だ。その人を見るたび「私は我慢してきたのに、なぜこの人は許されるの?」という感情が生まれる。
でもこれは、相手のせいではない。
あなたの内側にある「こうすべきだった」「こうあるべきだ」という、過去に内面化された“正しさ”の構造が反応しているだけなのだ。
では、「イラッとする自分」をどう扱えばいいのか。
感情を否定したり、無理に我慢したりする必要はない。その代わりに、その感情が何を教えてくれているのかに耳をすます。
〔check〕 どんな場面で、誰に、どんなことでイラッとした?
〔check〕 その瞬間、自分の中で「どうあるべき」という声が聞こえなかったか?
〔check〕 それは、誰から与えられた“構造”だっただろうか?
こうして「イラッ」を、どう見えたか、内からの声はどう聴こえたか、それを感じたか分解していくと、見えてくる。
それは、自分自身の価値観が縛られていた構造だということに。
人に対してイラッとするのは、悪いことではない。
むしろそれは、あなたが長年まとってきた空気のようなルールが壊れそうになっているサインだ。
だからこそ、「なぜこの人だけ引っかかるのか?」という問いを持つことが、あなた自身の“構造的解放”の第一歩になる。
そのイラつきには意味がある。
それは、あなたの中の構造が悲鳴を上げている証拠でもある。
だからもし、誰かに対して訳もなくムカついてしまう自分に戸惑ったら──
それ、たぶん“構造”のせいです。
前回の #構造分析論シリーズ は…
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