空気を読むことの正体
「今それ言う?」「普通、察するでしょ」
空気を読めよと言う外圧。
こうした言葉が飛び交う職場やコミュニティでは、論理よりも、明文化されたルールよりも、『なんとなくの空気』が支配している。
空気を読むとは、いったい何を読んでいるのか?
そして、なぜ『読まなければならない』のか?
まずそもそもの前提として、空気とは「無言の構造」である。
みんながやっているから。誰も反対しなかったから。雰囲気的にそういう流れだから……。この誰も明示しないけれど存在する合意のことを、私たちは「空気」と呼ぶ。
という事は「空気を読む」というスキルは、その場に流れる『見えない構造』を察知し、自分の行動や発言を自動的に調整する能力である。
言い換えれば、それは「場に自分を最適化する」能力とも言える。
会議で空気を読み、意見を引っ込めるたり、飲み会で空気を読み自分の予定をねじまげて参加する。会議やプレゼンで空気を読み、言いたいことを曖昧にする。
──そうして、個人は空気に“最適化”され、やがて自分でも「何が言いたかったのか」がわからなくなっていく。
問題は、空気が「正しい」保証はどこにもないということだ。
むしろ、その場の強者の意図に流されていたり、 誰も責任を取りたくない気配に飲まりていたり、惰性であったりといった不健全な空気を作っていることも多い。
では、この構造をどうやって壊せるか?
「空気」が強くなる前に、空気自体を言語化する習慣をつくる。
あえて空気を読まない役をチームに配置するのもいい。
何を言ったかだけを見、発言の意図を問わないというルールを導入するのもいいかもしれない。
空気の暴走を止めるには、空気を言語化する勇気と、空気を読まない人を守る文化が必要になる。
空気を読んで沈黙したあなたは、本当に組織のためになっていたか?
それとも、自分が嫌われないために、同調の仮面をかぶっていただけなのか?
その沈黙の代償は、じわじわとチーム全体を蝕んでいく。
こんなこと、教科書に書いてなかったんだよな。
前回の #教科書に書いてない シリーズは…
エンディングテーマ『教科書に書いてない』
