役割が人を壊していく
母親だから、上司だから、長男だから、リーダーだから。
──だからのあとに続く言葉には、たいてい何かしらの「べき論」が潜んでいる。
「○○なんだから、□□するのが当然」
このロジックは、いかにも筋が通っているようでいて、実は極めて暴力的だと思うのだ。
世の中には、目に見える“肩書き”とは別に、人々を縛っている『無意識の役割』がある。
たとえば、家族の中で「面倒見のいい子」として育った人は、大人になってもその役を引き受け続ける。
職場で誰かの相談役になる。
友人グループのまとめ役になる。
恋愛では、相手を支える側に回る。など。
けれど、ふと気づく。
「私って、いつも誰かのために動いてない?」
「自分の人生、どこにあるんだろう?」
それは、役割が自分を飲み込んでしまった瞬間だ。
役割とは、本来「機能」だったはずだ。
母親は子どもを育てる『役割』を担い、リーダーはチームを導く『役割』を果たす。
でもその『機能』が、『人格』と混ざると、とたんに苦しくなる。
「母親なのに、そんなこと言うの?」
「上司なんだから、責任取るべきでしょ」
こうして“役割”が“人”を覆い尽くし、その人が人間”してではなく、機能として扱われ始める。しかも厄介なのは、多くの人がそれを自分から演じてしまうことだ。
役割を手放せない人は、たいてい責任感が強い。
「誰かがやらなきゃいけないから」
「私がやるほうがうまくいくから」
それは善意でもあり、同時に呪いでもある。
なぜならその瞬間、「私はこうあるべき」という構造に自分をはめ込んでしまっているからだ。
家族の中での、強くあらねばならない母。
会社の中で、常に判断を下さねばならない上司。
役割として、感情を飲み込んで耐える長男。
それらは、個人の選択ではなく、構造によって割り当てられたキャスティングである。
では、どうすればその呪いから解かれるのか。
まず、こう問い直してみることから始まる。
「この役割、本当に私が担うべきものだろうか?」
「私じゃなくてもいいなら、手放してもよくないか?」
そして「私らしさと、この役割は一致しているのか?」と。
役割は、生き方の一部であっても、生き方そのものではない。
役を降りても、あなたはあなたのままでいられる。
役割に忠実であろうとした人ほど、無理をして、壊れていく。
それは、あなたが悪いのではない。
構造がそう仕向けているだけなのだ。
こんなこと、教科書に書いてなかったんだよな。
前回の #教科書に書いてない シリーズは…
エンディングテーマ『教科書に書いてない』
