すみません勝手にやりました
「そんなの聞いてない」
「勝手にやられても困る」
「なんで事前に相談しなかったの?」
良かれと思って動いたはずなのに、それが“勝手なことをした”と怒られる。この現象、あなたの周りでも見覚えがないだろうか。
「勝手にやった」とされる人たちの共通点は、責任感があり、行動力もあるということだ。
指示がなくても現場を見て動き、 問題に気づき、自主的に改善したり、 チームのために先回りして準備したりする。
本来なら称賛されてもおかしくないはずの姿勢が、なぜ「勝手な行動」として扱われてしまうのか。
答えは、組織にある暗黙のフローという構造にある。
多くの職場には、明文化されていない「こうすべき」という流れが存在する。
決裁は上司→部長→本部の順に進める。
提案は“下から上へ”出すのが筋。
何を決めるにも、まず○○さんに相談する。
などなど
これらはマニュアルには書かれていない。だが無視すると「手続き違反」として処理される。つまり「勝手にやった」という批判は、暗黙のお約束への違反に対する制裁なのだ。
問題は、この構造が往々にして、ボトルネックになっていたりして無駄に時間を奪っている。ややもすれば何の価値も生んでいない。
──にもかかわらず「組織の秩序を守るため」という理由でよくわからない正当化されてしまっている点だ。その結果、挑戦や改善よりも順守が優先される文化ができあがってしまう。
ここから生まれるのが「事なかれ主義」だ。
失敗よりも、ルール違反に恐怖し、結果よりも、手続きの正しさが問われる。だから、本当に必要なことをするより、怒られないことを優先したりする文化がうまれたりする。
こうして、現場で変化を起こそうとする人が減っていくのだ。
ではどうするか?
組織の中に「例外を歓迎する役割」を明示的につくる。成果があった逸脱を褒める文化を意図的に設計してみる。
そう。手続きより「なぜそれをやったのか」という意図を評価するという訳だ。
「勝手にやりました」は、破壊ではなく貢献の芽かもしれない。
その芽を摘むか育てるかは、ここにかかっているのだ。
「勝手にやったな」と怒る前に「なぜ、そうしようと思ったのか」を聞いてみようじゃないか。
