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『普通』は生きづらさを生む

 「別に目立ちたいわけじゃないんです」
 「人並みに、普通に暮らせたらそれでいい」

 そう語る人は、決して少なくない。
 特別な成功もいらない。大きな夢も追っていない。ただ、平穏でいたい。

 それはとても慎ましく、堅実な願いのように見える。
 だが、現実にはこの「普通でいたい」という願いが、かえって自分を苦しめてしまう構造がある。

 「普通」とはなんだろうか?

 収入? 家族構成? ライフスタイル? 性格?
 どれも、明確な基準は存在しない。
 ──にもかかわらず、多くの人が『なんとなくの普通像』を追いかけてしまう。

 これは、「構造の内在化」と呼ばれる現象に近い。

 つまり、ある時代や社会の中で『理想とされる型』が、知らず知らずのうちに個人の内側に埋め込まれている状態だ。

 そして本人は、「自分がそうしたいから」と思い込んでいる。

  就職して結婚して子どもをもつ。 正社員として安定的に働く。 周囲から浮かないようにふるまう……。

 これらの“普通”は、構造によって強く正当化されてきた。
 戦後の日本においては、「高度経済成長 → 安定雇用 → 家族モデル」が社会の基盤となり、そうすることが一番幸せで安全という構造が作られていた。

 つまり、私たちが「普通」と信じているものは、そう設計されたものであって、普遍的なものではない。

 ではなぜ、「普通でいたい」が生きづらさを生んでしまうのか。

 それは、現代における『普通』が、もはや構造として成立していないからだ。 終身雇用は崩れた。 結婚や出産のスタイルも多様化した。 そして、SNSによって“人並み”の基準が無限に増殖した。

 それにもかかわらず、「ふつうの幸せ」を追い求める人は、『到達しようとするたびにズレていく標的』を追いかけ続けてしまう。しかもそれは、他人の投稿や世間の空気といった、“自分の外側”にあるものによって決められている。つまり、「普通でいたい」という願いは、外部の構造に自分の内面を委ねることに他ならない。

 では、どうすればその構造から自由になれるのか。

 ひとつの鍵は、「普通は目指すものではなく、作るもの」という視点だ。

 たとえば、あなたが毎朝豆を挽いてコーヒーを淹れるなら、それが「あなたの普通」になる。

 周囲と比べて多いか少ないかではなく『自分が自然でいられるリズムを積み上げていくことで自分だけの普通を設計していける。

 また、「普通でいたい」と感じたときに、「それは、誰が決めた“普通”なのか?」と自問するクセをつけるのも有効だ。

 この問いによって、「構造の内在化」を外から眺めることができるようになるはずだ。

 「普通になりたい」と願うとき、実は私たちは、「安心したい」「仲間外れになりたくない」「失敗したくない」と願っている。

 その感情自体は、ごく自然なものだ。
 だが、その安心やつながりを“他人の設計した構造”で得ようとすればするほど、自分の足場がぐらついてしまう。だからこそ、自分の「心地よさ」を基準にして、自分にとっての普通を再定義することが必要となる。
 それが、いま求められている新しい構造設計なのだ。

 その息苦しさ──
 それ、たぶん“構造”のせいです。


前回の #構造分析論シリーズ は…

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