撮影記7 「照紅葉」愛知県犬山市継鹿尾山〜木曽川にて

今回は、愛知県犬山市継鹿尾山(つがおざん)にて、動画の撮影してまいりました。継鹿尾山、犬山城、寂光院、その麓を流れる木曽川にかかる橋を渡ると岐阜県各務原市、すぐ私の暮らす街になります。

お城側が愛知県犬山市、橋を渡ると岐阜県各務原市です。
犬山は、歴史のある城下町、そして数多くのお寺が点在しています。個人的にも祖父母、ご先祖のお墓の供養をして頂いているお寺があり、幼少の頃からとても馴染みのある隣町となります。

先代の住職(寂光院ではありませんが)は、私の幼い頃の思い出を鮮明に記憶し、祖父母や家の歴史に纏わる話をよく語って下さいました。まるで我が家の忘れられた物語を知る唯一の守り手のようで、祖父母の若かった頃の話や、その時代の文化、例えば、このあたりでは田舎芝居が盛んで、祖母には当り役があって大人気だったんだよ、といった本人からも聞いたことのないような昔話を時折お伺いするのがとても楽しみでありました。

やがて先々代の住職も亡くなり、先代の住職は、終の棲家を九州にされ、数年前に引っ越されると同時に祖父母やその歴史を知る人はいなくなりました。その時、お寺の役割、供養ということの意味をはじめて知ったように思います。
「人間は二度死にます。まず死んだ時。
それから忘れられた時。」
これは永六輔さんの有名な言葉であります。
私の祖父は45年前、祖母は30年前に亡くなっておりますので、私と数人の従兄弟がこの世を去れば、祖父母、そして住職の様々な物語があったことを知る人もやがてこの世からいなくなります。

(当時のものは貴重かなとアップしてみました)
男性 23.9歳
女性 37.5歳
この数字、何の数字だか、おわかりになりますでしょうか。
1945年の日本の平均寿命です。
(厚生省簡易生命表)
1945年は、申し上げるまでもなく原子爆弾の投下、本土空襲の後、太平洋戦争が終決した年であります。
先の大戦について、これまで多くの話、議論などに触れる機会がありました。その都度、様々なことをそれなりには考えてまいりましたが、つい最近、筑紫哲也さんの著書を何気なくめくっていたとき、この数字を知りました。本当に驚き、胸が締め付けられる思いがすると同時に、今まで自分が知らなかったことにも驚きました。
戦時中の日本でどれだけ多くの方が若くして亡くなったか、その現実をリアルに表す数字です。

来年は昭和100年、戦後80年となるそうです。また、現在世界情勢はとても不安定であることもあり、様々な方が先の大戦に対するお考え、また、戦争について、それぞれのお立場から議論をされることでしょう。
しかし、今の時代の価値観で先の大戦、そして戦争を語ることが、いかに愚かなことかをこの数字は私たちに突きつけます。
男性 23.9歳、女性 37.5歳だったのです。

さて、犬山は、祖父がとても好きな場所で、幼かった私を自転車の荷台に乗せて、よく連れてきてくれた地であります。
祖父母は自分にとっては、とても優しいおじいちゃんとおばあちゃんでしたが、どのような思いをして戦争をくぐり抜け、戦後を生き抜いたのだろうと、この燃え上がるような紅葉を見ながら考えました。
子どもの頃の私は、美しい紅葉や夕日などには目もくれず、買ってくれる団子やアイスクリームにしか興味はありませんでしたが、大人になった私が祖父や祖母ともし今会えて、この紅葉を一緒に見ることが出来たのなら、どんな話をするのでしょう。
「文こぅ(私)は、可愛くなくなったなぁ」などとがっかりさせるかもしれません。

人との別れは、その人に見せていた自分の顔も失くしてしまう、自分との別れでもあると思います。
もう、祖父母に見せていた可愛い孫であった自分はどこにもいませんが、今回、遠い昔に別れた祖父母や、時折思い出す若かった母の面影に再び会うことが出来たように思う、少し特別な撮影となりました。
さて、今回は、個人的な話となってしまいましたが、これを今読んで下さっているあなた様が、どなたか大切な方を想い、そして、その方に見せていたご自分の顔を懐かしく思い出して頂けたのなら幸いです。
少し早いですが、暖かくして、良い年をお迎えください。

是非動画もご覧ください。
今年は、もう更新できないかもしれませんが、次回までお元気で。
2024年12月 犬山にて
