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「薄汚れた街の欠片」を拾い集めて。私が絵を描く理由と、生きるためのテクニック

私が絵を描く理由は、心が豊かでそれを表現したかったからではありません。 どこかからの「圧力」でした。それがどこから来ていたのか、ずっと考えてきました。

子供の頃から絵が好きでした。絵を描いているときだけは、自分が色彩を放っているような気がしました。 自分は天才だと信じていました。いつか絵で大成功して、世界を旅して回るのだと。

映画『ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ』の言葉

映画『ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ』で、トミー・ノーシスが最後に歌う歌の中に、こんな歌詞があります。

「きみはこの薄汚れた街の欠片を拾い集め、我々に美しく新しいものを見せてくれた」

この世界がどんなに薄汚くても、そこから這い上がって、美しいものを作れるのだ。 欠片のひとつひとつは汚くても、きっとそれが集まれば、何か新しいものができ、我々を照らす美しい灯りになるのだ。

昔の私は、美しいものが何なのかよく分かっていませんでした。 「心に響けば全部美しいのだ」と思っていました。 でも、実際にそれが形になるには、途方もない年月や努力や苦しみがあって、時にはそれが水の泡になることもあるのだとは知りませんでした。

「私はゴキブリだ」と思っていた

精神福祉作業所に通い始めたとき、私は誰とも話しませんでした。 「私はゴキブリだ」と思うようにしていました。 部屋の隅でじっとして、気配を消して。「誰も私に話しかけないでくれ」という空気を放っていました。

そこには、いろんな精神障害者が大量にいました。 彼らは「傷ついた人たち」でした。

当時の私は、精神を病むとゴッホやユトリロのように絵を描くのだと思っていました。 でも実際は違いました。多くの人は芸術に興味がなく、自分を傷つけたりしていました。 派手な化粧をした年老いた人、自分の母親のことしか話さない人、一日中同じ椅子に座っていきなり歌いだす人。

最初は理解できませんでした。でも、彼らがどうやって生きてきたのか、どんなことを思っているのか。そういうことに興味を持つのに5年以上かかりました。

満員電車と、生きるためのテクニック

その中で、苦しんでいる自分が、なにか当たり前の人のように感じてきました。 みんな当たり前に傷ついて、それでも生きている。皆それぞれに心があって、ズタズタになって、それでも必死で生きようとしている。 「美しいもの」は、こういうところにもあるのだろうと気づきました。

人生の半分以上を費やして、今はこう思います。 大成功した画家にはなれないだろうけど、それはそんなに辛いことではない、と。 憎んでいた人にも怒りを感じなくなり、時には憐れみさえ感じるようになりました。

絵を描くことは、生きるための手段でした。暗闇でなんとか灯りを探しているような人生でした。 でもそれは、毎朝ぎゅうぎゅうの満員電車に乗っている人たちも、一人ひとりが皆そうなのだと思えるようになりました。

何かに追われていると思っていたけれど、何にも追われていなかったのかもしれません。 ただ必死で生きてきた。自分で終わらそうとせず、なんとかここまで来た。それだけですごいことです。私一人ではなく、みんなすごいのです。

私が今、大切にしていることがあります。 それは「とにかく人を傷つけずに生きたい」ということ。 簡単なことのように思えるけれど、これはすごい「テクニック」がいることです。それは、人生の「経験値」と言い換えてもいいかもしれません。

この地面に立ち続けるために

そんな私が今していることは、絵を描いたり、こうして文章を書いたりして、なんとか自分を保つことです。 成功したいとも思うけれど、それ以上に、とにかくなんとかこの地面に立っていたい。 生きることを諦めないでいたい。

私はこれからも、薄汚れた欠片を拾い集めながら、自分の人生を闘いたいのだと思います。

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