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写真展📷昭和の奥会津🐛虫送り

福島県大沼郡三島町の「山びこイベントホール」で、昭和の町の写真愛好家達が撮った、写真展が開かれている。

昭和初期には8,800人だった町の人口は、今月には1,311人になった。先月から12人減である。今年4月の中学入学生2人、小学生2人、保育園は1人。

特産の会津桐で潤い、鉄道建設やダム建設の技師や関係者家族で賑わった頃の、活気に溢れた町の様子が、大変興味深かった。

イベントの荷物待ちの時間を、どう過ごそうかと思っていたのが、時間が足りないくらい、見入ってしまった。

興味深く見入っていると
スタッフが後ろから 都度当意即妙な説明をして下さった
福岡生まれ 10数年前移り住んだ方と 話が弾む
茅葺き屋根の 雪下ろし
スキーをする姉弟
桐材を 橇で運ぶ
良質な桐材が 全国に運ばれた
今に続く 米作り
山間部である三島町は 住民に行き渡るには足らず
米は買っていたと言う
木材出荷は やがて桐細工の産業へ発展
桐下駄製作に携わる 若者達
銀盤に焼き付けられた写真は
大きく引き伸ばしても ぼやけずに 表情がしっかり映る
警防団消防訓練 昭和10年代
昭和17年の火災で 宮下地区の100棟が消失
左手奥の堂々たる茅葺も消えた
火元は鉄道工事関係宿舎 多額の見舞金が出たと言う
大登ー宮下間鉄道橋の建設  昭和10年代半ば
只見線(当時は会津線)は 1956年に川口まで伸びるまで
会津若松ー会津宮下(三島町)間の運行だった
雪の中を行く 只見線のSL
SLは 20年程前まで 時々走っていた
重量感のある かっこいい姿を 一度だけ見たことがある
撮り鉄達の 静かな興奮が微笑ましかった
三島大橋渡橋式  昭和50年
朝岐・間方の生徒とスクールバス  昭和41年
町内に 路線バスは 今も無い

毎月の広報に載っている町の人口推移では、常に男性の数が多い。半世紀前のこの写真でも、男子が圧倒的に多いようだ。

昭和49年に始まった
三島町のふるさと運動(特別町民制度)
暮れに 県外の「町民」に送るお歳暮の餅つき
私も15年前から 登録
西方地区の住民グループが 3日間
今は廃校になった 小中学校の体育館で準備作業
お歳暮の中身は 餅の他
山菜漬物 なめ茸 米 蜂蜜 工芸品等
子供達による 駆除した虫達の供養 「虫送り」
みんな いい笑顔
今でも 6月第2週の週末 行われている


          🐛 🐞 🦗 🪲


商店や観光施設の紹介と共に、会津の文化歴史暮らしの記事を載せた小冊子「会津嶺」(あいずね)の今月号に、こんな記事が載っている。

「会津嶺」
会津若松のどの店にも 置かれている 無料の冊子
良質な記事が多い
有料の定期購読を辞めた後も 毎月送られてくる
鶴賀イチ氏   「会津嶺」

5年前、管理者が亡くなりcloseした、廃校のお宿「森の校舎かたくり」で食事中、「虫送りが通りますよう〜」とスタッフに促されて窓の外に目をやると、暗がりの中、籠や灯りを掲げた子供や大人達の小さな行列が見えた。この地域の虫送りは、毎年「工人まつり」がある週末なのだ。

コラムの虫送りは、三島町とは別の町だが、記事を読んで、この行事の持つ"供養"という意味を改めて理解した。アイヌ民族の「熊送り」が想起される。

畑仕事を悩ませる虫達の冥福を、手厚く祈る人々。こうした素朴で温かな風習を、過疎化や少子化という厳しい現実がありながら、継承していこうとする会津の人々に、改めて敬愛の気持ちを抱かずにいられない。


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