旧中山道ウォーク⑳ 沓掛宿→追分宿
こんにちは、ばーどです。
2025年5月5日(月・祝)。
晴天に恵まれ、浅間山を望みながらの信濃路の旅を、楽しんでいます。
1.古宿



沓掛宿の手前で渡った湯川は、この先の佐久市内で千曲川に合流しますが、蛇行しなから谷を形成して流れるので、中山道は川沿いは通らず、小さな丘をいくつか越えながら進みます。




春の訪れが遅い信州も、GWになって花が咲く季節となり、どの民家の庭先も鮮やかに彩られています。





“間の宿”だった古宿集落は、近在の農民が駄賃稼ぎに、牛馬で旅人の荷物を運んでいたそうです。ポーターサービスを支えた馬たちを大事にする気持ちが表れてますね。

2.借宿
この辺り、いろんな道が集まっています。
古い道では、碓氷関所や厳しい峠道を避けた女人が多く利用した“下仁田街道(姫街道)”、沓掛宿から北へ伸びる“草津道”、追分宿では善光寺方面に向かう北国街道が分岐。新しい道では、国道18号碓氷バイパスが軽井沢の南を通り、ここで合流します。


古宿集落と同じく“間の宿”だった、借宿(かりやど)集落を通る静かな道に入りました。旅を感じさせる素敵な地名です。
全国にある「やど」と読む地名は、矢戸・谷戸のように、谷間や湿地になっている地形を表すものが多いですが、この借宿や古宿は中世の宿駅が語源のようです。







この日歩き始めてすでに1時間半たちましたが、初めて街道に面した社寺でした。
しばらく進むと、集落の風景にマッチした趣ある旧家がありました。名主をつとめた土屋家です。



右 当主による説明板
米穀問屋、中馬継業、質屋、立場茶屋、寺小屋と、様々な商いを展開していたよう。
小売+運輸+金融+料飲+教育と、実に見事な多角経営ぶりです。



3.浅間山②
気温が上昇してきました。青空も広がり、心地よい街道ウォークになっています。
民家が少なくなだらかなこの付近は、美しい浅間山の姿を堪能できます。





美しい姿を見せる一方で、国内有数の活火山でもあります。過去100年間で38回の噴火が記録され、火山噴火予知連絡会により「活動度が特に高い活火山」13山のひとつに指定されています。

平安時代には、京の都でも噴火が見えたと記録があります。戦国時代、織田軍に攻勢を仕掛けてられた武田軍が、たまたま噴火に遭遇して「神に見放された」と戦意喪失したとも言われています。











旧中山道で標高1000m越えのサミットは6カ所。そのうち5ヵ所は「峠」ですが(碓氷峠・笠取峠・和田峠・塩尻峠・鳥居峠)、ここはそれ以外のもう1ヵ所です。


4.<第二十番>追分宿





追分宿のある“信濃追分”は、自然や文学にまつわる名所も多い人気の観光地です。
意外なところで、江戸時代は飯盛女が多い宿場として知られていたとか。今はそんなイメージはまったくないですね。



筆者は文学には疎いので、結核で療養しながら「風立ちぬ」などの作品を残した、ぐらいの知識です。軽井沢宿のつるや旅館と、追分宿の油屋旅館に長く滞在していて、昨日から今日のルートは、まさに彼のゆかりの地めぐりですね。

油屋旅館は、かつての脇本陣。堀が滞在していた昭和12年に火災で全焼していますが、出版社に原稿を送るため軽井沢の郵便局に向かっていて、堀自身も作品も難を逃れていたとは、まさに奇跡。

連休中の観光地らしく、多くの旅行者で賑わいをみせています。街並みも街道も整備されて美しいですが、個人的にはやや“作られた”ように感じられました。地元の方々とふれあう機会がもしあれば、そうは感じなかったかもしれません。

一つ手前の沓掛宿も土屋本陣で、「本陣」と書かれた表札がありました。




追分宿内に残る旧旅籠の建築物は3軒。そのうちの1軒です。





つがる屋も江戸時代から残る貴重な建築物です。

追分宿の京口を出てすぐ、「分去れの碑」があります。“分去れ”とは道の分岐のこと、すなわち“追分”で、中山道と北国街道がここで分岐します。
北国街道の追分宿の次は、昨夜宿泊した小諸宿。その先の海野宿は、街道沿いに約100棟の家が連なる歴史的な町並みが有名で、機会があればぜひ行きたいです。

沓掛宿→追分宿
距離 4.8km
所要 1時間25分(休憩除く)
追分宿を出発すると、浅間山から徐々に離れながら、信州の中央方面に向かいます。
次の小田井宿までは、5.7km。
