兄貴と呼んでくれた日々
今はとっても寂しい人生を送ってる俺だけど、昔は会社の後輩から慕われた日々もあったのだ。
後輩の名前は特徴があって見る人が見るとすぐに特定される名前だから、ちょっと名前はアレンジして、
「彦摩呂」にしとこう。
当時の会話は、ほとんどがそのままだがあまり覚えてない部分もあるので、脚色も加えながらデコレーションした会話となってますが、それはそれでご了承下さい。
彦摩呂は俺が働いた最初の職場で出会った人懐っこい男だった。
彦摩呂は俺と同じ部署に後から入社して来たけど、ミスター人見知りの俺は、彦摩呂にはあまり積極的には話しかけずにいたんだが、彦摩呂はそんな話しかけるなオーラ全開の俺にも、そんなのお構い無しに全体重をかけて俺を頼って来やがったのだ。
「おっ!なんだか可愛い奴だな」
俺には兄はいたが弟はいなかったので、初めて弟が出来たような気持ちが自然と湧き上がり、彦摩呂に頼られるとなんだかドキドキした。さらに彦摩呂は体育会系で女性に不慣れだったらしく、なんと恋の相談も俺にしてくるのだ。
「ジョージさん、僕は恋がしたいっス!どうしたらいいッスか?」
そこで俺の華麗な女性遍歴の経験からアドバイスを……と、出来たら良かったのだが、当時の俺はまったくと言っていいほど女性経験がなかったから、俺の年季の入った妄想からしかアドバイスが出来なかった。
「彦摩呂くん……恋はまぼろしだよ。恋は決して追いかけちゃダメ!女はレインボーさ。虹を追いかけたって決して追いつけないだろ?とにかく今はステイだ!絶対に焦るな!今はチワワになれ!ワンワン!」
本当の女慣れしてる先輩なら、自分の女友達を紹介したり合コンに誘ってやったりして、女性と接する機会を作ってやるもんだが、そこはミスター挙動不審の俺では女友達はおろか合コンにすら行ったことがなかったから、女性に対して何も行動をしないという絶対にしてはダメなアドバイスを彦摩呂にしてしまったのだ。
それでも彦摩呂は水晶のような透き通った瞳で、
「さすがっス、ジョージさん!そっか、今はステイか……勉強になります!!」
そんな無邪気な言葉と笑顔で俺のアドバイスを信用してくれたのだ。
うっ……胸が痛い……その時の俺の女性経験など数えるほどしかないのに、モテモテの韓流俳優にしか当てはまらないような悟りの境地のアドバイスを彦摩呂にしてしまった…
これはなんとかせねば……
こんな日々を続ける内に俺は密かに彦摩呂の事を本当の弟のように可愛がっていた。
いつしか俺は自分から彦摩呂に話しかけたり、今までの自分ではありえないほどに先輩風を吹かせて、彦摩呂の面倒を見ようしてたのだ。
そんな彦摩呂がある時、
「兄貴!ジョージ兄貴!今日の朝、会社の前のバス停を見ましたか?色気のあるボリューミィなボディをした人妻風の女性が欲求不満そうな顔をしてバスを待ってましたよ!!」
んっ?兄貴?
今なんて言ったのだ?彦摩呂?
俺は人から初めて兄貴と呼ばれた感動で、嬉しさを必死にこらえてた。
俺は彦摩呂の極めてお下劣な発言への注意など忘れて、本当に感動していた。
俺はこの日から兄貴となった、生まれて初めてお兄ちゃんとなったのだ!!
後から聞いたら、彦摩呂からしたら親しみを込めての冗談のつもりで俺を兄貴と呼んだらしいが、俺は嬉しさを隠しながら、
「まぁ俺なら兄貴と呼んでもいいが、俺だけだぞ!他の先輩には失礼にあたるし、会社では礼儀が一番大事だからな。決して他の人の事は兄貴と呼ばないように!!」
彦摩呂には、こんな至極真っ当な説教をしてしまったが、本当は誰にも兄貴の座を渡したくなかった。兄貴という呼び名は俺だけのものだ!俺が独り占めや!
当然、そんな思いは隠して、俺はいつも通りに女性攻略の作戦会議を仕事の休み時間に彦摩呂と語り合っていた。
「いいか彦摩呂。女性が野球のピッチャーならば、俺達はキャッチャーだ。女性のどんな要求でも、つまり女性のどんな変化球でも受け止めなきゃいけない。しかし、俺たちキャッチャーの持ってるグローブが新品のほぐされてない硬いままのグローブでは、女性から投げられたどんな玉も上手くキャッチすることは出来ないんだ。そもそも野球のグローブは本格的に使う前には柔らかくほぐして柔軟な状態にしとかなきゃならん。それは彦摩呂の下半身の新品でピカピカのグローブも同じだ。どんな女性の変化球でも受け取れるように、夜の街に彦摩呂の下半身のグローブを柔らかくほぐしにいくぞ!まぁ実際は柔らかくするどころか夜の街に行けば彦摩呂の下半身のグローブは、ますます硬くなるんだがな、ワッハハ!」
まるで思春期の中学生のような品のない会話である。
それでも、そんな俺のアドバイスでも彦摩呂は、
「兄貴……ついに行くんですね……大人の竜宮城に…」
そう、女友達もいなくて合コンにすら行ったことのない俺が彦摩呂を大人の男にするには、この方法しかなかった。夜の街の乙姫たちの力を借りるしかない。
夜の大人の竜宮城。そこはまさに男にとっての夢のワンダーランド。そこには美しい乙姫たちが待っている。そこに彦摩呂を連れていく。俺に出来るのはこれしかない。
彦摩呂を絶対に男にする!
そして、ついにその日が来た!
大人の竜宮城へ向かう車中、俺はまるでこれから戦いに行く戦士のような表情で彦摩呂にこう言った。
「彦摩呂、今日俺たちはこの日本の歴史を変えようとしている。古い考えはいつか壊して捨てなきゃならない。今日はそんな日だ。いいか彦摩呂!!今日こそ女体の夜明けぜよ!!」
まるで幕末の志士のような気持ちだ。坂本龍馬もきっと空の上から俺たちを応援してくれてるに違いない!彦摩呂も、
「兄貴!僕も一週間前から下半身のグローブを磨いてません!今日この日のためにしっかり温存してます!」
俺もこの彦摩呂の気持ちに最大限の状態で応えたいが、そこは男の俺ではどうすることも出来んのだ。今から行く大人の竜宮城にいる女性が本当に彦摩呂の好みの女性なのかは神のみぞ知るなのだ。
そんなムフフな会話をしていたら、その当時の俺たちの住んでる地域から2時間ほど離れた怪しげな店が立ち並んでる歓楽街に着いた。
調べに調べたお目当ての店の前には中年のイカつい男性が立ってる。その店が目的地なのに、俺たちは素知らぬ顔をして通り過ぎようとした。これも事前の打ち合わせ通りだ。
「お兄さんたち、ちょっとどうですか?可愛い子いますよ!遊んで行きませんか?」
そんな魅惑的な言葉で俺たちを誘惑してくる中年の男性。
俺たちの目的地は、まさにこの店だから断る理由もないのだが、俺たちはいかにも夜の店は慣れてまっせ!な風を装って、
「おっ!彦摩呂、こんなに誘ってくれてるから、ちょっとだけ遊んで行くか?」
そんな余裕をかました言葉を発しながら俺と彦摩呂の二人は店の中に吸い込まれた。一回しか店に誘われてないのに、そんなに言うならしょうがないなぁ的な感じを装って……
そして、ここが運命の別れ道だ。俺はどうだっていい。俺はどんな女性でもいいんだ。女優に似てようが有名女子アナに似てようが、俺は誰だっていいんだ!決して贅沢なんか言わない!朝ドラに出てくるような清純派女優似でも構わない。俺みたいな男を優しく包んでくれるなら、どんなに若くて可愛い女性でも俺は文句は言わない。俺は何も望んでないんだ!
とにかく今日は彦摩呂の本物の男としてのハッピーバースデーの日。
彦摩呂だけは良い女性に巡り合ってほしい。
そして、二人別々の部屋に通された。
彦摩呂は俺の方をチラリと見て、親指を突き出した。まるでターミネーター2のシュワちゃんみたいやん。
「I'll be back」(戻ってくる)
そんなセリフが聞こえてくる。そりゃ入り口はここだけだから、ここに戻って来るしかないだろ。しかし本当に彦摩呂が心配だ。何事も最初が肝心。初めての女性に馬鹿にされて、最初の下半身のグローブ慣らしに失敗でもしたら、今後の夜の生活に自信を無くさないだろうかと俺は本当に心配した。
しかし、自分の心配もあった。
彦摩呂とは別の部屋に通された俺の目の前にはなんとも言えない年上のお姉さんが待っていた。なんだか子供の頃にしょっちゅうアメをくれた近所のおばあちゃんに似てる。でも決してこのお姉さんは悪くないですよ、大人の魅力は当然あるし話も知的だし、それにかなり優しかった。しかし、当時二十代だった俺にとっては、このお姉さんが子供の頃にアメをくれたおばあちゃんにしか見えなかったのだ。
さらに緊張もあって、俺の下半身のグローブは千年湯に浸かってたみたいに、最初からフニャフニャの柔らかゼリーのように、ほぐすのも必要ないほどに戦力外通告の状態だった。結局、このお姉さんとは楽しく会話をしただけで終わった。
そうだ!?それどころではない!彦摩呂はどうなった?!
俺は慌てて時間を早めて部屋を出て、待合室で彦摩呂を待った。しばらくして、待合室にやって来た彦摩呂の顔は赤く紅潮してた。
一体、どうしたんだい?
初めての経験は、成功したのか?成功してないのかい?
俺のなかやまきんに君のような問いかけに彦摩呂から出た言葉は………
「女優の木の実ナナに似てました……」
あちゃーダメだったかぁ……失礼な話だが、高校を卒業したばかりの彦摩呂には魅力あふれるミュージカル女優の木の実ナナさん似の熟練した剛速球は受け止められなかっただろうな……もしかしたら最初から試合放棄だったかも……
さらに彦摩呂は静かに語りだした……
「3回もしちゃいました♡」
なんと、彦摩呂は大満足!!見事女性との初めての魅惑のキャッチボールは大成功に終わったのだ。
帰りの車中での彦摩呂は自慢気に木の実ナナさん似の女性との裸のキャッチボールの状況を事細かく教えてくれた。
「最初は普通のキャッチボールだったんですが、途中からナナさんは背面キャッチしたり、僕の上にまたがってクネクネした変化球も投げてきたり、僕の下半身のグローブでは本当に受け止めるのが大変でした。でも途中から僕もついつい剛速球で返球してみたら、ナナさん「やだ!壊れちゃう♡」って言ってましたよ!」
本当に良かったよ、彦摩呂。兄貴としてこんなに嬉しい事はない。
木の実ナナさん似の女性よ、本当にありがとう!
彦摩呂のストライクゾーンの広さに乾杯!
しかし、そんな楽しい彦摩呂との日々だったが、2人の前に突然の別れの時がやって来た。
突然、彦摩呂が会社を辞めることになったのだ。彦摩呂は元々が遠い地域からの就職だったが、実家の近くに良い会社が見つかって親の事も心配だからと彦摩呂は実家に戻る事になったのだ。
俺も彦摩呂が会社を辞めた後すぐに会社を辞めたから、彦摩呂とはそれから疎遠になった。なぜなら、俺は携帯の番号を変えてしまったからだ。俺は全てをリセットして新しい場所でやり直したかったから、可愛い彦摩呂との縁も切ってしまった。
でも、今までの俺の人生で、俺の事を兄貴と呼んでくれたのは彦摩呂だけだ。
だから、一生、彦摩呂のことは忘れない。
俺を兄貴にしてくれて本当にありがとう。
