『【最終章】なぜ経営陣の「良かれと思って」が現場を壊すのか』
さて。いよいよ最大の謎に切り込もう。
「なぜ、経営陣はルールを曖昧にし続けるのか?」
先に言っておくが、経営者に悪気はない。彼らはいつだって真剣だ。「社員の成長のため」「次世代のリーダー育成のため」と、良かれと思って数十万〜数百万円の研修予算を組み、タイムラインで見かけた「話題の研修」を買い込んでくる。
しかし、それが一ミリも機能しない。
なぜか?
断片的な「部分最適の管理職研修」をいくら買い叩いたところで、現場から見れば「経営陣の覚悟のなさ」と誤解させるだけの茶番劇でしかないからだ。
「会社の言うことは信じない」という現場の決意
管理職、中堅、若手まで。同じ一貫した設計思想で練られた研修を作成・実施し、評価制度・賃金制度(P/Lと連動したリアルな数字)と明確に連動させ、それを経営者自身が「自らの言葉(文脈)」として主体的に語り、背中で見せない限り、現場には歪んだメッセージとしてしか伝わらない。
現場の優秀な人間ほど、冷ややかにこう見抜いている。
「どうせこの研修も綺麗ごとでしょ?」
「定めるべき評価基準は曖昧なまま、結局は現場の善意とサービス残業に丸投げする気だな」
「こんな絵空事のプロンプト配布や5分ランチ会じゃ、現場の泥くさいトレードオフなんて1ミリも解決しない」
結果、どうなるか。
彼らはこの組織で生き抜くために、「会社の公式ルールを信じない」という決意を固める。会社から与えられた無味無臭のプロトコルを捨て、己の勘と経験を頼りに「現場のローカル・サバイバル・ルール」を確立し、独自流儀で生き残る道を選ぶのだ。
経営陣も悪気はない
だが、ここで専門家として経営陣を少しだけフォローしておきたい。
経営陣が意地悪でルールを曖昧にしているわけではない。答えはシンプルだ。「やり方が分からない」のだ。
本屋のビジネス書コーナーに行ってみてほしい。並んでいるのは「管理職の心得」「若手のエゴグラム」「今どきの1on1」といった、ブツ切りの部分最適ノウハウばかりだ。
事業戦略(どう稼ぐか)と組織・評価・賃金(どう動かすか)が一気通貫で繋がった「体系的な経営・組織構築」を教えてくれる本など、ほぼ存在しない。
ましてや中小企業の社長は、日々の資金繰りや現場のトラブル対応で手一杯だ。
「じゃあ公的支援機関は?」と思うかもしれない。残念ながら、融資や創業、資金繰りといった支援メニューの充実ぶりに比べ、「組織づくり」という概念に対する公的支援はあまりにも弱いのが実情だ。
結果、経営者は藁にもすがる思いで外部の研修会社やHRコンサルタントに頼ることになる。
紫煙の中で行われる「真の研修」
しかし、外から研修を導入すればするほど、現場の疑心暗鬼と不信感は決定打となる。
従業員から見れば、その光景はこう映るのだ。
・「結局、うちの経営陣には『我が社における管理職の定義・基準』を明文化する覚悟がないんだな」
・「ルールを明確に決めると、何かまずいことでもあるのか?」
現場は失望し、「どうせ的外れだ」と冷め切った学習を繰り返していく。
彼らが本当に欲しいのは、「一般論として管理職はどうあるべきか」というお説教ではない。「で、あんたらが考える『うちの会社における管理職像』を教えてくれよ」という、血の通った定義なのだ。
結果として何が起きるか。1日がかりで十数万円かけた外部研修よりも、終業後の喫煙コーナーでの3分の雑談の方が、遥かに強力な「教育機能」を果たしてしまうことになる。
若手:「先輩、さっきの研修で講師が言ってた『自主性』って何すか? 今日の会議の雰囲気と真逆でしたよね?」
先輩:「バカ、あれを真に受けるな。要するに『〇〇部長のメンツを保ちながら、裏で他部署の数字をぶん取ってこい』って意味だよ」
紫煙の中で、洗練された(そして歪んだ)「翻訳情報」が若手に注入されていく。公式の研修が死に、裏のローカルルールが全勝する瞬間である。
こうして、管理職になるのを全員が拒み、優秀な若手はそっと求人サイトを閲覧し、社長は理由もわからず悩み続けるという図が、日本企業の日常風景となっていく。
これでは、経営陣、管理職、一般社員の誰も幸せにならない。
本物の組織変革に必要な「たった一つの絶対条件」
組織変革とは、綺麗なスライドを作ることでも、最新の研修パッケージを導入することでもない。
事業戦略(どう稼ぐか)の勝ちモデルを明確にする
その勝ちモデルを回すための「全階層共通の同一思想」を設計する
それを誤魔化さず「評価制度・賃金制度」と一貫させる
経営者自身が逃げずに「これが我が社の思想だ」と主体的文脈で推進する
この泥くさい「導入順序と一貫性の構築」から逃げている限り、どんな施策も「バケツの穴を塞がないまま水を注ぐ」だけの無駄骨に終わるのだ。
おわりに
会社員時代、筆者は一連の悲劇に心底嫌気がさしていた。
現場の歪みをロジックで正そうと孤軍奮闘し、「なぜ誰も本質を語らないのか」と一人で青臭く憤っていたものだ。
しかし、当時の自分は根本的なことを見落としていた。いくら正論を振りかざしたところで、現場の人間が本当に腹を割り、本音のプロトコルを交わしていたのは、会議室でも研修会場でもなく、いつだって「あの紫煙の燻る喫煙コーナー」だったのだから。
正論ばかり吐いて組織でうまく立ち回れなかった当時の自分を振り返ると、つくづく思い知らされる。
……まあ、そもそも自分がその「真の研修会場」に一歩も足を踏み入れることができなかったのは、単に非喫煙者だったからなのだが。
(完)
――Biz-EDIT(会社の動かし方)
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