社会をどのように変えるのか?
昨夜はNHK文化センターオンライン教室 苫野一徳さんの「教育を哲学する」の3回目、最終回でした。ここで苫野さんが、リヒテルズ 直子さんと話をした内容として、「ルサンチマンに基づく運動は社会を変えられない」的なことをおっしゃっていて、まさに教育改革について人が話すときに、陥りがちな罠だなーと思って聞いていました。
もともと大学での専攻は、哲学科社会学専修であり、昨年から、たまたま、AVPNさんのソーシャルセクターのリーダー向けのプログラムの企画周りのお手伝いをさせていただいていることもあり、どのように社会を変えるのか?ということは、自分としても非常に関心があるなぁ、と思っていたのですが、もしかして、なかなか誰も社会を変えることができないのは、社会を変えるための方法を誰も教えていないし、誰も学んでいないからではないか、と思い当たりました。
ひとりひとりがどんなに崇高で素晴らしい想いを持っていて、情熱的に活動したとしても、所詮は蟷螂之斧。竹やりでB29を打ち落とそうという気概は認められても、うまくいくとは思えません。
社会を変えるには、社会を変えるための知識とノウハウがある。
そんなことを思ったので、現時点での考えをまとめてみたいと思いました。
まず、社会というのは、言ってみれば大きな組織であると考えられますので、組織変革の考え方は役に立つのでしょうか?
組織論的に言えば、実際に稼働している組織には、慣性の法則が働いています。前に進む電車が止まっても、体は前に進み続ける、というアレですね。しかも、社会も組織も普通は止まらないので、少し向きを変えようとしても、そもままの方向に突き進んでしまう。で、社会を変革するには時間がかかる、なんていったりするのですが、実際には、社会はシステムになってしまっているので、そんな小さな方向変化は大きな慣性運動に飲み込まれてしまうような気がします。で、社会はいつまでも変わらない、と。
では、何か、別なアプローチはないのでしょうか?
ここで思いついたのが、先日のnoteで書かせていただいた、五行の相性論です。そしてもうひとつ、大学の頃に好きだった、T・パーソンズの社会機能論です。
AGIL理論は構造機能分析よりも、より具体的に社会を分析する必要から生まれたものである。Aは適応(adaptation)、Gは目標達成(goal attainment)、Iは統合(integration)、Lは潜在的パターンの維持・緊張処理(latent pattern maintenance and tension management)である。社会システムは、これらの機能(位相運動)によって維持されるとされる。
わかりにくいんで解説しますと、五行の相性論 では、自然界のすべての事象を「木火土金水」に分類し、それぞれ、木=守備、火=伝達、土=引力、金=攻撃、水=習得、という機能(本性?)に分類しています。そして、五行では、「金性(社会的な役割や家庭の安定)→水性(知性、勉学、人生理念)→木性(自立・自律)→火性(人材育成、想いを分かち合う場)→土性(お金、人脈、愛情、人生のチャンス)→金性…」という因果のサイクルで物事がうまくいくと考えます。
パーソンズはこれを4つと考えたわけです。これを「AGIL図式」と呼んでいます。
T.パーソンズの社会体系の構造的・機能的分析と R.F.ベールズの小集団に関する相互作用過程の分析とが結合してできたものである。A (Adaptation)適応,G (Goal attainment)目標達成,I (Integration)統合,L (Latency) 潜在の4つの機能展開の局面を用いて社会体系の均衡,保持を説明する図式。Aは外部的,手段的な機能要件 (たとえば経済) ,Gは外部的,目的的な機能要件 (政治) ,Iは内部的,目的的な機能要件 (→社会統制 ) ,Lは内部的,手段的な機能要件 (価値パターンの維持) を意味している。4つの次元で体系内の各種の行為は時間的に分化し,時間の経過とともに4つの局面のいずれかで優勢,極大化を示す。その極大値をもって各位相の特性とみなすが,この位相は周期的に順次変る。各位相は,AGILの4つの局面であり,ベールズの実験によるとA→G→I→Lの順に位相運動が行われるという。また社会体系の下位体系も上位体系に対して分担しながらみずから同じ運動を行う。
はい。もうちょっと簡単にすると、A=経済、G=政治、I=社会、L=文化、ということができます。これが最もマクロなカテゴリーで、それぞれの項目にもそれぞれAGILがあり、ホロニカルな構造になっている、とパーソンズは考えていたようです。
で、話を戻しますと、I=社会を変えるには、G=政治を変えなければならず、その前に、A=経済を変えなければならない。そのためには、L=文化を変えなければならない、というのが、このコラムの表題、「社会をどのように変えるのか?」に対する回答なのかな、と思っています。
例えば、苫野先生はたくさんの本を書かれて、たくさん本を読まれ、研究されていて、それはそれで素晴らしいと思うのですが、これはあくまでも「L=文化」の機能。こっから直接的に「I=社会」を変えることはできず、その前に「G=政治」を変えなければならない。そして、そのためには、「A=経済」を変えなければならない。
それでは、「A=経済」を変えるとはどういうことか? それは「事業」を生み出すことに他なりません。
フローレンスさんにしても、かものはしさんにしても、言葉や思いで世界を変えようとはしていません。社会を変えるのは実効性のある事業であり、その事業を成功に結び付けるために、言葉があるのです。
特に学校を変えようというところには、当事者のほぼ全員がこの「事業」というものについて無知だったり無理解だったりすることが当たり前になりすぎているような気がします。また、商売っ気という風に解釈し、入り込むことに抵抗を示す、という特徴があるようにも思います。
これは、公教育には、あたかもそこには利権や既得権益が無いかのようにふるまっているようで、これが変えられない原因にもなっています。教科書メーカー、教材メーカー、出入りの文房具屋から給食センターまで、これらはすべて間違いなく経済活動です。教育現場の事業性を認めない限り、これら、変えたくない変わりたくない因子の影響を排除することはできず、結局、理由がわからないけど変えられない、という印象を持っているのではないか、と思います。
例えばN高・S高などは、そういった既得権益が存在しておらず、まったく新しい事業モデルを構築することに成功しています。これからもビジネスモデルの転換を図りつつ、事業推進していかれると思います。
本気で社会を変えたいなら、社会が本気でそっちの方に舵を切るための事業を生み出し、成功させる必要がある。
今のところの結論は、現場からは以上です。
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