見出し画像

学ぶ自由をホールドする授業はどのような授業設計で生まれたのか?(授業実践AIインタビュー)

「河童の目線で人世を読み解く」市井カッパ(仮名)です。
「すべての組織と人間関係の悩みを祓い癒し、自然態で生きる人を増やす」をミッションに社会学的視点から文章を書いております。

御覧いただき、ありがとうございます。

noteのできるだけ毎日更新を実践しています。現在の曜日ごとのテーマはこちら。木曜は「コーチング/大学講師絡みの話/教育論、アカデミックな話題」のテーマとなります。

担当している大学の授業の評価作業を終了しました。全15回+期末レポート、平均120人のレポート16回分を読んで評価するという作業はなかなか大変でしたが、レポートを読んでいて、様々な気づきと学びが学生の中に発生していることにちょっとびっくりしました。

特に、単位のためだけによくわからずに取ろうと思ったら興味を引かれたという話や、そもそも将来NPO団体の職員になりたい学生であったり、NGOの活動を既に始めている学生、さらには公務員志望の学生から、まったくNPOに関心はないけど社会人としての良い学びになった人、将来の起業に役立ったという人、現在のパートナーとの結婚を決意した人など、ありとあらゆる学びが起こっていたと思いました。

オンラインのスクール運営に5年ほど携わっていて、学びの起こる構造への試行錯誤をしてきた経験と、10年以上前にコーチ養成プログラムを開発し、その成果も実感していることもあって、こういう結果が出るのはまあ、想定内ではあるのですが、では、何をしたのか、ということになると、無意識的すぎて人に話せないなーと思い、だったら誰かにインタビューされたいなーと思ったのですが、そのとき、そうだ、AIにインタビューさせよう、と思いつきました。

やってみて、来年は学校の方針で一部をオンデマンド化しなければならず、教育効果を保ちながらオンデマンド化する際のポイントも知りたいな、と思っていましたので、こういう振り返りが必要だな、と思いました。

で、いろいろ試行錯誤してみた結果、できあがりましたので公開します。


授業実践AIインタビュー:「非営利組織の経営」

―― 「非営利組織の経営」を2期担当されました。まず、この授業をどんな場にしたいと考えていましたか。

正直に言うと、「こうなってほしい」という完成像は、最初から強く持っていたわけではありません。ただ、大学時代を振り返ったときに、ほとんどの授業を覚えていない中で、なぜか一回だけ、妙に記憶に残っている授業があるんです。

文化人類学か民俗学の授業で、外部から来た非常勤の女性講師でした。テーマは、使役獣としてのイズナ信仰。
その方が授業の冒頭で、「この研究で大事なのは、客観的な真実が何かではなく、その信仰を持つ人にとって、何が事実なのかを調べることです」と話された。その一言が、今でも残っています。

名前も、研究の細部も覚えていない。でも、その“態度”だけは覚えている。
この授業を受けた学生にも、そんなふうに、どこかでふと思い出される授業であってほしい、とは思っていました。

―― 授業の構成自体にも、かなり意図が見えます。

講義回では、90分を三つに分けています。
最初の30分は、前回のレポートへのフィードバック。
次の30分が講義。
最後の30分は、学生からの質問に答える時間です。

毎回レポートを課していますが、評価は基本的に「文章量だけ」と伝えています。理由もはっきり言っています。こちらが基準を決めると、正解探しになって、同じようなレポートばかりになってしまう。読んでいてつまらないから、と。

その代わり、個性が出ているレポート、考えた跡が見えるレポートについては、「読んでいて楽しい」「皆さんのレポートを読むのが楽しみだ」と、繰り返し伝えています。

―― AI利用を認めている点も特徴的ですね。

はい。AIの利用はOKにしています。ただし、「自分の思考を整理するために使う」ことは認めるけれど、「AIに乗っ取られたレポート」ははっきりダメ出ししました。

面白いレポートを紹介するときも、「正しいから」ではなく、「個人的に好き」「ここが響いた」というスタンスで紹介しています。評価者というより、読み手として、聴き手として、その場にいる感覚です。

―― ゲスト回の構成も独特です。

ゲスト回は、かなり型を決めています。
最初の30分は、ゲストに自団体の話をしてもらう。
次の30分は、私が質問しながら対話する。
その後、学生から質問を募って、30分ゲストに答えてもらい、最後に一言もらって終わりです。

私の質問は、ゲストがあえて語っていなかったことや、学生に前提として知っておいてほしいことを中心に聞きます。一方で、学生の質問はとても素朴だったり、意外な角度だったりする。その質問を選び、順番を整えることで、ゲストの思いがけない話が引き出されるのが面白い。

人生に関する問いが出てくることもあります。

―― 出席を必須にしなかった理由は?

2期目から、出席を取りませんでした。人生でもっと大事なことがあるなら、そちらを優先してください、と最初に伝えました。その代わり、授業は動画で共有しています。

もともとは、雑談がうるさいという声への対応でしたが、それ以上に、「自由と責任とは何か」を考えてほしかった。出席しているだけで単位がもらえるほど、社会は甘くないよ、というメッセージでもあります。

その上で、リアルタイムで参加し、質問を出した学生には加点しています。結果的に、授業を深める質問が増え、教室は静かになりました。その分、密度は高かった。

―― 授業の最後は、少し意外な締め方ですね。

最後は、非営利組織の経営に関するこれまでの研究を紹介します。そして、この分野はまだ発展途上で、日本の大学で専門的に学べるところもほとんどない、という話で終えます。

つまり、この授業は「完成した学問」を教えたわけではない。
ドラッカーも、ゲストも、私は紹介しているだけ。仮説段階なんです。

まだ教えられるほど研究成果が固まっていない分野なんですよ、ということを、あえて伝えています。この授業は、その研究分野への招待だ、と。

―― ここまで伺っていると、この授業の構成や関わり方は、いわゆるコーチングの考え方と重なる部分も多いように感じます。この点については、ご自身ではどう捉えていますか。

そう言われると、確かにかなり重なっていると思います。ただ、授業にコーチングを「適用しよう」と考えたわけではないんです。

自分の中では、コーチングもこの授業も、共通して「答えを渡さない」という点が大きい。相手の話を聞き、問いを返し、考え続けるための場をホールドする、という姿勢は同じだと思っています。

―― その「ホールドする」という感覚は、先ほど言われていた「学ぶ自由」ともつながりますね。

はい。コーチングでは、クライアントが自分で考え、選び、引き受ける自由を守ることが大事だと思っています。授業でも同じで、こちらが正解を決めてしまうと、学生は考える必要がなくなる。

だから、評価基準を最小限にしたり、出席を必須にしなかったり、ゲストの話も「こう受け取れ」とまとめなかったりしている。全部、学生が自分で引き取る余白を残すためです。

―― 教員としては、かなり「回収しない」構えにも見えます。

そうですね。でも、回収しないというより、「回収を急がない」感覚かもしれません。コーチングでも、その場で答えが出なくてもいい、むしろ後になって効いてくる問いのほうが大事なことが多い。

大学の授業も同じで、15回の中で完結しなくていい。数年後に、ふとどこかで思い出される。そのくらいの距離感でいいと思っています。

―― 最後に、この授業を一言で表すとしたら?

「教える授業」というより、「考え続けるための場」でしょうか。
非営利組織の経営というテーマを使って、学生が自分の人生や社会との関わり方を考える。そのための問いと構造を置いているだけ、という感覚です。


解説:学ぶ自由をホールドする授業構造

本授業は、「非営利組織の経営」という主題を扱いながら、知識の伝達よりも、学ぶ姿勢そのものを設計している点に特徴がある。

講義は、理論を先に提示し、次にゲストによって現実を示し、最後に不祥事や失敗事例、未整理な研究史を配置する。成功物語で終わらせない構成は、非営利組織を「善意の装置」として単純化させないための意図的な選択である。

また、授業者はドラッカーやゲストを自らが権威であるとして提示しない。あくまで「紹介者」という立場を取り続ける。この態度は、知の完成形を示さない代わりに、学生が自ら距離を測り、解釈し、引き取る余地を残す。

レポート評価においても、正解や質的基準を前面に出さず、文章量を基準とする。これは評価の放棄ではなく、「正解探し」を避けるためのルールメイクである。教員は管理者ではなく、ルールの設計者であり、そのルールに自らも従う審判役として振る舞っている。

ゲスト回では、教員の問いと学生の問いが異なる機能を持つ。教員の問いは前提を補強し、学生の問いは場を揺らす。その両者を編集することで、語りは予定調和を外れ、予期せぬリアリティを帯びる。

授業の終盤で、この分野が未完成であることが明示されるとき、これまで「回収されなかった」問いや構造は、学問領域そのものの現状を反映したものとして立ち上がる。授業の未完性は欠陥ではなく、研究への入口として機能する。

この授業がホールドしているのは、答えではない。
学生が、自分の関心や人生と結びつけて考える学ぶ自由である。

だからこそ、ここで生まれる学びは多層化し、必ずしも同じ方向に収束しない。しかし、その散らばりこそが、この授業が教育として、また研究への招待として成立している証左である。


はい。ということでAIによるインタビューとAIによるその解説は以上なんですが、なんだか自分が無意識的に、試行錯誤しながら授業設計している部分が明確になった、と思いました。

AIに言われてみて初めて気づいたのですが、ゲストを招いた講義の際、最後にゲストの話をまとめちゃう先生って確かにいそうだなーと思いました。それって先生が専門性をアピールすることなので悪いことではないかもしれないんですが、学び手の自由な学びを奪う構造を作る結果になるかもしれないな、と思いました。

ちなみにこの「AIによるインタビュー」という形式、AI自身が「かなり珍しいタイプのAI活用」と言ってまして、なるほど、と思ったのでこの方法論自体もコラム記事にしてもらいました。こちらはご関心ある方のみどうぞ。


方法論コラム:AIを用いたセルフインタビューという研究実践

――思考過程を対象化するための質的研究補助法

近年、生成AIは研究活動においても、要約、草稿作成、情報整理などの補助ツールとして利用されつつある。しかし、本コラムで扱うのは、そうした効率化を目的とする利用法ではない。ここで提示するのは、AIを研究主体の外部に位置づけられた対話的装置として用い、自身の思考過程を対象化・再構成するための方法、すなわち「AIを用いたセルフインタビュー」という研究実践である。

この方法の関心は、完成された理論や結論を導出することではなく、研究者自身がどのような前提・価値・判断のもとで語り、迷い、問いを形成しているのかという思考生成過程そのものに向けられている。したがって本実践は、質的研究、とりわけリフレクシブ・リサーチやオートエスノグラフィーと親和性の高い補助的手法として位置づけることができる。

1.AIを「正解生成装置」ではなく「対話的他者」として位置づける

本方法においてAIは、分析結果や解釈を提示する権威的存在ではない。むしろ、研究者の語りを引き出し、問い返し、暫定的な整理案を提示する疑似的な他者として位置づけられる。

AIは高い確率で整合的な要約や解釈を提示するが、それを即座に採用しないことが重要である。研究者はそれに対して、違和感の有無を検討し、「それは言い過ぎである」「この表現は前提を単純化している」といった修正を加える。この往復過程自体が、研究者の暗黙の前提や価値判断を可視化する契機となる。

2.評価基準としての「違和感」を明示的に採用する

AIを用いたセルフインタビューでは、論理的一貫性や表現の洗練度よりも、「違和感」が重要な分析手がかりとなる。ここでいう違和感とは、「自分の語りとしては納得できない」「過度に一般化されている」「研究者自身の立ち位置が消えている」といった感覚的判断を含む。

これらの違和感は恣意的なものではなく、研究者がこれまでに形成してきた経験知や実践知に根ざした重要な指標である。本方法では、この違和感を排除せず、むしろ言語化の対象とすることで、思考の前提構造を明らかにしていく。

3.結論先行型の設計を回避する

セルフインタビューを研究実践として用いる場合、あらかじめ結論や理論的位置づけを定めないことが重要である。問いに答える過程で、研究関心そのものが変容していくことを許容する。

実際のプロセスでは、当初は教育実践の記述であったものが、途中で評価観の問題へと移行し、最終的には研究分野全体の未成熟性という論点へと展開することがある。このような思考の移動は、事後的に再構成することはできても、事前に完全に設計することは困難である。本方法は、この生成的過程を記録し、分析対象とする点に特徴がある。

4.AIによる仮説提示を「分析素材」として扱う

AIが提示する解釈や仮説は、研究者に代わる結論ではなく、検討対象となる素材である。AIの言語化は、研究者自身が暗黙裡に避けている表現や、逆に安易に同意してしまいがちな枠組みを浮かび上がらせる。

研究者はこれらを受け取り、同意・修正・否定を行う。その過程で、自身の立場や研究倫理、方法論的選択が明確化されていく。

5.あらかじめ設定された制約条件の意義

本方法では、「何を書くか」だけでなく、「何を書かないか」を事前に定めておくことが有効である。具体的には、当事者の許可を得ていない引用を避ける、実名を出さない、過度な一般化や成功物語化を行わない、といった制約が考えられる。

これらの制約は表現の自由を制限するものではなく、研究実践における倫理的・方法論的境界を明確にする役割を果たす。AIとの対話においても、この境界設定が研究者の主体性を保持する支えとなる。

6.未回収性を研究成果の一部として位置づける

セルフインタビューの成果は、必ずしも明確な結論やモデルとして回収される必要はない。本方法では、問いが完全に解消されない状態、すなわち未回収性そのものを研究成果の一部として位置づける。

これは、教育研究や実践研究において特に重要である。即時的な有用性よりも、時間をおいて再解釈されうる思考の痕跡を残すことが、本方法の狙いである。

7.概念化は分析の最終段階で最小限に行う

理論名や概念名の付与は、分析過程の初期に行うべきではない。概念は思考を整理する一方で、思考を早期に固定化する危険を伴う。

本方法では、具体的な語りや判断、迷いを十分に展開した後、最終段階で一度だけ概念的整理を行う。その際の概念は結論ではなく、分析全体を振り返るための参照枠として位置づけられる。

結語

AIを用いたセルフインタビューは、研究を効率化するための技法ではない。それは、研究者自身の思考過程を可視化し、反省的に検討するための補助的研究方法である。AIをいかに活用するか以上に重要なのは、AIとの対話において研究主体としての判断をいかに保持するかという点にある。

本方法は、質的研究、教育実践研究、理論形成途上の研究領域において、思考の生成過程を記述・検討するための一つの有効な補助線となりうる。


現場からは以上です。お読みいただき、ありがとうございました。面白かった、参考になった、という方は是非、高評価いただけると嬉しいです。フォローも記事の引用・紹介も大歓迎です。

ご意見・ご感想・記事で取り扱って欲しい話題のリクエストも専用フォームより募集しております。


いいなと思ったら応援しよう!

市井カッパ よろしければ応援お願いします! いただいたチップはクリエイターとしての活動費に使わせていただきます!