「環境問題なんてない」という言葉がしっくりきた話
「河童の目線で人世を読み解く」市井カッパ(仮名)です。
「すべての組織と人間関係の悩みを祓い癒し、自然態で生きる人を増やす」をミッションに社会学的視点から文章を書いております。
御覧いただき、ありがとうございます。
先日、甲府で開催されました、tanelabo 「人と自然のつながりを取り戻す」というイベントに参加して参りました。
主催はtanetoさん。「山梨でみつけるエシカルな暮らし」をテーマに、WEBメディアを運営されています。
後援に、山梨県、山梨総合研究所、甲府経済新聞、テレビ山梨、山梨日日新聞社、山梨放送、さらに「このイベントの一部はやまなし環境財団の助成を受けて開催しています」ということで、山梨は人脈の世界だなぁ、と実感するような企画でした。開催前の告知は見つかるのですが、開催後の記事が見つからないので、もったいないので、記事化しておきます。
初のイベント運営だったそうで、一言で言えば、裏方が表でばたばたしているような運営で、ほほえましくもあり、また、参加者はなんだかキャラが濃い人ばかりで質問と称して自説を語る方など、司会も機能していなかったりでしたが、イベントというよりフェス感覚で楽しめました。映画ありパネルディスカッションあり講演会あり、いずれもおとなしい感じなんだけど濃い、ということで、これ、一日の内容を消化できる人居るのかな、と思いました。(居なかったので記事化されていないのかもしれませんが。)
消化といえば、最後の懇親会での食事は鹿のジビエでして、これがめちゃめちゃ美味しかった!

https://www.instagram.com/yamatsumi_gibier/
とはいえ、主催者の方にも挨拶しなかったですし、全部を紹介もしきれないので、記事タイトルにした印象に残った一言から記事化していきます。
この「環境問題なんてない」とおっしゃったのは、パネルディスカッションに登壇された株式会社オーガニックネットワーク代表取締役の石井宏治さんの言葉。このパネルディスカッション自体は、参加者全員が鹿が問題だねーという話でオチがつくという不思議な対話でしたが、それはともかく、この言葉には皆さん、共感されていました。
例えば、山梨県では鹿が増えすぎて、約4万7000頭にもなっているそうです。そして、本来、このくらいなら生態系的に良いだろうという適正数も計算されており、その数、約4700頭。適正数の10倍の鹿が今も増え続けると言います。
しかも、現在、狩猟されている鹿のうち、ジビエになるのは約1割。残りの9割は捨てられているそうです。その理由として、ディスカッションの場では、狩猟免許保持者の高齢化を挙げていました。わなで捕らえた鹿にとどめを刺す、というのは、相手にとっても命がけですから、高齢になるとしんどいです。担いで山から降りるのも大変。ということで、猟銃で殺して捨ててしまうそうです。もちろん、散弾銃で殺した肉は内臓が破壊されますので、肉として食べても美味しくなくなります。
しかも、まだ実は裏の話があって、これは懇親会の際に、食事の準備を待ちながら雑談していたのですが、もっと若い人が狩猟者になって、ばんばん捕獲したらいいのに、と言うと、実は、狩猟者のナワバリというのがあって、そう自由には獲れないんです、と。
どこまで聞いても、結局は人の話に行きつくわけです。
環境というのは、どんな状況であってもただそこにあって、それ自身は問題ではないのです。それを破壊するのも人間。被害を受けるのも人間。結局は人間が自己都合で環境というラベルを貼って問題視しているに過ぎません。
例えば、以前、政治家の方だったかと思いますが、地元の大学生に環境教育をして、メガソーラーを誘致していると自慢気に話されている方がいらっしゃいました。メガソーラーは環境破壊ですよ、と言われて、ものすごくお怒りになっていましたが、この話、怖いな、と思いました。
個人的な意見では、裏に見える山を見て、そこにメガソーラーが見えるとなんだか昔の部分改造したロボットみたいで、美しくないなーと思います。美しくないということは自然ではないということで、これはまさに自然破壊であることは間違いないとは思っているのですが、その先に、環境にやさしいんだ、と言われると、それは少なくとも目に見えないことだよなぁ、と思ってしまいます。
マイクロプラスチックも地球温暖化も目に見えない話です。だからと言って、それが間違っているとまでは言いませんが、それを問題にしている時点で、既に環境の問題ではなく人間の問題として捉えているんですよ、ということは、はっきりさせておきたいな、と思いました。
そこに利権が絡んでいるとかいないとか、今後も話題になっていきそうですが、やはり、そこでも「環境問題」という言葉を使うこと自体にある種、危険性を感じています。
先日拝見した、「ロマンチック金銭感覚」という映画の中でも、別にそれを使える趣旨があったかどうかわかりませんが、自然界では雷や山火事など、数年単位で大規模な自然破壊が起こっていると。それは実は虫たちにとっては当たり前のことで、そのたびに新しい居住地を探して移動すると。そのこと自体が、過剰適応を防いで虫たちを絶滅から救っているのだ、というような話が紹介されていました。(記憶で書いていますので、気になる方は是非、映画本編を御覧になってみてください。本筋はお金との付き合い方の話です。)
noteもあります。
この映画でも、環境を語るときに、鉱石から発せられる不思議なラジオや、最初から登場する鳥のような妖怪なのか異界の者なのか精霊なのかにしゃべらせていましたが、やはりどう考えても、人間が環境問題を語るのって、どこかで「それって環境さんの意見ですか? あくまでも人間としてのあなたの意見ですよね?」と、ひろゆきさん風に訊き返したくなります。
ぶっちゃけ、環境さん的には人間が死滅しても他の動物が死滅しても、別に有機物や生命を優れたものであり残さないものであるという価値観も持っているとは思えませんので、むしろ無機物優先だったら、自然破壊もむしろ大歓迎とか思っているかもしれません。いえ、環境さんには意識も命もないので、思っていないと思いますが。
ということで、いずれにしても、「環境問題」という言葉を使うとどうしても「神の言葉」を語っている人に見えて、「環境さん」を代弁する人間として話すというおかしなことになってしまいそうなので、ここは潔く、「人間としての関心を持って、問題として環境について話す」ということを、お互いに認め合って話を進めた方が、いろいろごちゃごちゃしなくていいんではないでしょうかね、と思った次第です。
この文脈で見ると、さんざん破壊して埋め立ててしまって便利に使っている干潟を貴重な資源として残した「藤前干潟」の話も、もしかしたら環境が人間を絶滅させたくて起こしている自然災害から、EVや太陽光発電で生き延びましょうというお話も、全て人間の話として聞くと、すっきりします。これらは環境を語る人間の話であって、全知全能の環境の話ではないのです。
果たして、こんなレポートにしてしまって、主催者の方に怒られるかもしれませんが、私としてはとても気づきの多いイベントでした。開催ありがとうございました。
現場からは以上です。お読みいただき、ありがとうございました。面白かった、参考になった、という方は是非、高評価お願いします。フォローも大歓迎です。
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