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日本の大学の単位制度が理解しにくい

「河童の目線で人世を読み解く」市井カッパ(仮名)です。
「すべての組織と人間関係の悩みを祓い癒し、自然態で生きる人を増やす」をミッションに社会学的視点から文章を書いております。

御覧いただき、ありがとうございます。

こちらの記事で書きました通り、11月より、noteの毎日更新を再開しています。木曜は「学びと成長の日:大学講師絡みのこと、コーチングの話」のテーマとなります。

現在、大学の非常勤講師として「非営利組織の経営」を担当して2年目ですが、いやはや、大学で教えるって大変だなぁ、と思っています。初年度は何もわかりませんでしたので、試行錯誤でした。そもそも専用のGoogleアカウントを使わなければならないとか、大学のアプリが2種類あるとか、出席ツールが2種類あるとか、いつまでに成績評価しなければならないとか、その連絡がメールだったりして、しかもそれらの事前説明が一切ないので、わからないと自覚次第、聞かなくてはならない、という。

学生に訊いても知らないということが多く、まあ、なんとかやりとげましたが、やってみて、クラスマネジメント的にああすればよかった、こうすればよかった、と言うのが出てきたのが1年目でした。

2年目にあたり、いろいろなルールを改訂して臨みましたので、運営は安定しましたが、そうなると今度は中身をもう少し変えていかないとな、ということが発見しつつあるというところです。

特に留学生が多く、彼らのほとんどは、わからない言葉はネットで調べると思うのですが、最近はそこにAIが入って来ているため、あいまいな言葉や根拠が示されていないものはAIが嘘を言う、ということが散見されています。これは日本人学生も同じですが、これは彼らが悪いというよりも、提示している情報の質の問題だなぁ、と思うのです。

それはさておき、担当している大学では、来年度からカリキュラムの大きな変更があり、現在、1コマ90分×15週の授業構成を、13週+オンデマンド2週の授業構成に変えてください、という要請が来ています。2週が中途半端なら最大、7週までは良いよ、とこれは文部科学省の規定だそうです。

ややこしいのは、実際に学校のカレンダーでは13週しか授業時間が組めず、でも、15週やったことにしたいようで、これも学習の総時間についての文部科学省の規定から来ているようです。

これに伴い、東大から栗田佳代子先生がいらっしゃって、研修のようなことが行われたので、参加して参りました。9月頭のことです。

いろいろ言いにくいこともズバズバ言う方で、面白くはあったのですが、こういう方に代弁させないほど本音を言うと問題が生じそうな話をお聞きしたので、それを今回はシェアしておきたいと思います。

大学からシラバスを作るにあたり、いくつも謎があったのですが、そのうちのひとつが、今回もそうですが、総学習時間についての話です。

シラバスのチェック項目の中に、「単位制度の趣旨に即した授業内容の実質が確保されている。」というものがあり、実際にシラバスを作成して提出した場合、それが足りないと足りないです、と警告が来ます。これは学内の話。

では、ということで、学内で配布された資料を見ても、どういうことなのかがわからないので検索してみたら、文部科学省のサイトに記載がありました。

我が国の大学教育は単位制度を基本としており、1単位あたり45時間の学修を必要とする内容をもって構成することが標準とされています。ここでいう1単位あたりの学修時間は、授業時間内の学修時間だけではなく、その授業の事前の準備学修・事後の準備復習を合わせたものとなっています。

https://www.mext.go.jp/a_menu/koutou/daigaku/04052801/003.htm

ちなみに、90分×15コマ=22.5時間。ということで、約半分です。

過去を振り返ると、我々の頃には半期の授業もなかったので、1年間同じ授業を採っていた印象ですが、現在では半期あるいはクオーター制になっていて、私の担当している授業も4ヶ月で単位が取れています。その分、毎回90分以上の自習時間が必要ということですね。

自分の授業の場合、レポートを出さないと単位が取れない仕組みにしています。レポートの文字数も多めに設定しているので、まあ、90分以上はかかるでしょう、ということで、まあ、良いのですが、レポートのない出席だけの授業ってどうなっているんだろうか、と。

こんな記事もありました。

45時間という設定は、「社会人が1週間に労働する時間(平日8時間・土曜5時間)であるというのが定説」なんですね。よくわかりませんね。

私は教育や学習もマネジメントの領域だと考えていまして、そう考えるとドラッカー教授の教えに従い、「成果」によって測られるべきだと考えています。ですので、まあ、試験結果もその「成果」と言えなくもないので問題ないとは考えているのですが、「出席」に関してはそれで履修というのは考えられないなーと思っています。

上の記事でもありますが、大学の設置基準により、124単位取らないと卒業できないわけですが、これを4年でと考えると、年間31単位。1単位が社会人の一週間分の労働と考えると、31週分。年間は52週ですから、まあ、平均的に取れば問題はなし。

ただ、普通は1年2年で単位を取りまくろうと考えるもので、上限マックスまで詰め込むもの。そうするとフルで働く社会人並みの時間を費やすことになります。

栗田先生がおっしゃっていたのは、この授業時間以外の時間について、実際のところ、大学も先生も学生がそれだけの時間をすべての科目に使っているとは思っていない、というお話でした。

口頭でしたので詳しくはお聞きできなかったのですが、日本の大学がこうした実効性のない基準で設置されているのは、もともと明治以降のドイツ式の上に占領後、アメリカ式を取り入れたからだ、とおっしゃっていて、そういう研究は下記の団体がしているはず、というお話でした。(ただ、サイト内を見ましたが、そういう資料は発見できませんでした。)

ちなみにそういう日本の大学制度の歴史みたいなことを研究されている東大の先生はいらっしゃらないんですか、とお尋ねすると、みんな政府に迎合するような研究しかしないとおっしゃっていまして、なかなか国立の大学というのも自由がないんだなぁ、と思いました。

考えてみれば、教育学、というくくりで考えれば、教育の発展に与するのが目的ではありますので、どちらかというと教育社会学的関心なのかな、という気もします。

ということで、この方を思い出しました。

この方も東大の名誉教授ですが、分野は社会学です。現在は國學院にいらっしゃるとか。知らない間にこういう本も出されていました。

吉見俊哉さんの書籍を、柄谷行人さんが書評するという、なんとも贅沢なのか無駄遣いなのかよくわからないですが、きちんと「言葉」として扱っているのは大事なことかな、と。

日本では、古来大学は、外国の先進的な学問や技術を教え、国家を運営するエリートを育成する性格のものだった。日本の大学体制は、当初は唐の学問(儒学)を規範にしていたが、薩長新政府のもとでは国学に傾き、明治維新以降は欧州各国を、第二次世界大戦後には米国を規範とし、「複雑骨折」ともいうべき有り様となった。

https://book.asahi.com/article/13948535

なかなか厳しいことも言ってますが、とはいえ、吉見先生は今でも大学の先生ではあり続けているようで、この辺のスタンスと、例えば、ブルデューのスタンスなどとと同じ社会学の飯を食う仲間として比較していくのも面白いかな、と少し思っています。

現場からは以上です。お読みいただき、ありがとうございました。面白かった、参考になった、という方は是非、高評価いただけると嬉しいです。フォローも大歓迎です。

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