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私たちは類型化されることを望んでいないだろうか

何も書けない・・・_| ̄|○
今がそんな状態です。
書けないと言うよりも方向性がまとまらないわけです。
言葉としては出てくるのですが、つなぎ合わせていくと迷走している。

そんな状況なんですね。
そこで、改めて最近ちょっと試してみたとあるサイトで、精神年齢分析なるものをしてみたんですけど。
なんと精神年齢は20歳だそうです。

「物事を考える際の視野が狭く、今・目の前で起こっている事柄にのみ関心がいってしまい、全体や将来に及ぼす影響を蔑ろにしてしまうことが多いんです。
それはあなたはどちらかというと一人よりも誰かと一緒に活動していることが多いためなんです。ひとりで落ち着いて考えたり振り返ったりする時間があまり取れていないのではないでしょうか。 」

うーん、回答によってはこんな風に分析されるのかなぁと思ってしまうわけですね。
目の前で起こっている事柄だけに関心が行っているわけでもないと個人的には思っているのですが、誰かと一緒に・・・うーん、さほど多くの人とつるんでなんてこともないように思うんだけど。

こうして考えるとき、こうした事実が全て正しいと判断するのか、参考程度にするのかでも変わってくると思うわけです。
100万人が受けて好評であった・・・それで、あなたの性格はこうですよと書かれたら。

なんとなくそうなのかなぁと思ってしまうわけですが。
冷静に考えてみると、この母集団そして、こうした診断のためのベースは本当に間違っていないのだろうかと、精神がひねくれている私は思ってしまうわけです。

あなたの未来はこうだ、それって本当ですか?

相手を不安にして、更には類型化してパターンを示して、その解決策を見せる。
ちょっとした、占いの類いとあまり変わらないように思えるわけですね。
冷静に考えれば考えるほど、いわゆる催眠商法に近くないと思ってしまうわけです。

人の性格とかは100人有れば100通りある訳で、それを無理矢理いくつかにパターンに決めてしまう。
これは、ステレオタイプを量産することに他なりません。

あなたは、○○のタイプです。
だから、こうした性格なのです。

と同じ事です。

俗説だと言われ、医学的にも根拠はないと言われても、血液型による性格診断なるものが大手を振ってしまうことに通じるようなものがある訳ですね。
そして、類型化されることで私たちはその集団(いわゆるコミュニテイ)に属しているという安心感を持ってしまうような気がするわけです。

これは、古今東西・老若男女関係ないように思えます。

何故、そんな風に皆さん類型化されたがるんでしょうか?
ステレオタイプに陥ることがいわゆるイノベーション(改革)を起こす力を削いでいるような気がするのです。
皆さんはどう思われるでしょうか。

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