AI哲学シリーズ 第15作 AIは生命を理解しているのか──DNA言語モデルが示した新たな可能性
はじめに
ChatGPTの登場によって、多くの人はAIを「言葉を扱う存在」と認識するようになった。
確かに、大規模言語モデル(LLM)は、人間が残してきた膨大な文章を学習し、自然な文章を生成できる。
しかし、AI研究の最前線では、すでにその先の世界が始まっている。
AIは今、自然言語だけではなく、
DNA、
タンパク質、
さらには原子や結晶構造まで学習し始めているのである。
その中でも特に興味深いのが、「DNA言語モデル」と呼ばれる研究分野である。
DNAを生命の言語として捉え、Transformerを用いて解析するという発想は、一見すると生物学の研究に見える。
しかし、この研究はもっと大きな問いを投げかけているように思える。
AIは生命を理解し始めているのか。
そして、その問いはさらに、
「理解とは何か」
という哲学的な問いへとつながっていく。
第14作では、「AIは世界を理解しているのか」というテーマを考察した。
今回はその続編として、「生命」という最も複雑な対象をAIがどのように学び始めているのかを考えてみたい。
1. DNAは「生命の言語」なのか
DNAはA・T・G・Cという四種類の塩基が並んだ配列である。
見た目は単なる文字列にしか見えない。
しかし、その中には生命活動に必要な情報が驚くほど精密に書き込まれている。
どこから遺伝子が始まるのか。
どこで終わるのか。
どのタンパク質を作るのか。
いつ遺伝子を発現させるのか。
細胞は、この情報を読み取りながら生命活動を維持している。
人間の言語にも文法が存在する。
単語を適当に並べても文章にはならない。
DNAも同様である。
Exon、Intron、Promoter、UTRなど、それぞれ異なる役割を持つ領域が一定の規則に従って配置されることで、生物は正常に機能している。
もちろん、DNAは自然言語そのものではない。
話し手も聞き手も存在しない。
細胞内ではRNAポリメラーゼやスプライシング装置などが、コンパイラのようにDNAを読み取り、生命活動へ変換している。
つまりDNAは、「会話のための言語」というより、「生命を実行するプログラム」である。
それでも、「配列から意味を読み取る」という点では、自然言語と本質的によく似た構造を持つ。
だからこそ、Transformerのような言語モデルがDNAにも応用できるのである。
2. DNA言語モデルはどこまで進化したのか
DNA言語モデルは、この数年で驚くほど急速に発展している。
初期の代表例であるNucleotide Transformerは、大量のDNA配列を事前学習することで、遺伝子領域や機能的配列を高精度で認識できることを示した。
ここで重要なのは、人間が細かいルールを教え込まなくても、生物学的に重要な領域へ自然に注意を向け始めたことである。
その後、Google DeepMindはAlphaGenomeを発表した。
AlphaGenomeは約100万塩基対という長大なDNA配列を入力し、遺伝子発現やクロマチン構造、スプライシング部位など、多数の機能情報を同時に予測できるモデルである。
これは生成モデルというより、DNA配列から生命現象を予測することに特化したモデルと言える。
一方で、GENERatorは異なる方向からDNAを学習した。
約3860億塩基対もの真核生物DNAを事前学習し、進化的な関係や変異の影響までも内部表現として獲得していることが示された。
さらにNature誌で発表されたEvo 2では、DNAを学習するだけでなく、AI内部に形成された表現そのものが解析された。
ここで見えてきたものは非常に興味深い。
AIの内部には、
ExonとIntronの境界、
転写因子結合部位、
タンパク質二次構造、
プロファージ領域など、
生物学者が重要と考える特徴が、教師なし学習だけで形成されていたのである。
つまり現在のDNA言語モデルは、
「DNAを読むAI」
から、
「生命の構造を内部に表現するAI」
へ進化し始めている。
3. AIはどのように生命を学ぶのか
ここで一つ誤解しやすい点がある。
AIは事前学習では単なる文字列だけを学び、Fine-tuningで初めて生命を理解するようになる、と考えられがちである。
しかし現在の研究は、もう少し興味深い姿を示している。
事前学習では確かに、AIはA・T・G・Cという塩基配列の統計的な特徴を学習している。
どの配列が頻繁に現れるのか。
どのような並びが保存されているのか。
そのような膨大な統計情報を吸収していく。
ところが、その過程でAI内部には、生物種同士の進化的な近さや、DNAの機能的な特徴が自然に形成され始めることが分かってきた。
GENERatorでは、埋め込み空間に系統発生的なクラスタリングが現れ、変異の影響もゼロショットである程度予測できた。
つまり事前学習の段階ですでに、「概念の芽」が育ち始めているのである。
そしてFine-tuningによって、その概念空間は特定の目的に合わせて磨き上げられる。
遺伝子領域の分類。
プロモーター予測。
DNA設計。
新しい配列の生成。
Fine-tuningは、ゼロから意味を作る工程ではない。
事前学習で形成された潜在的な概念空間を、特定の課題へ最適化する工程なのである。
この考え方は、人間の学習にもどこか似ている。
私たちは子どもの頃、多くの経験を通じて世界の概念を少しずつ形成する。
そして専門教育によって、その概念を特定分野へ洗練させていく。
DNA言語モデルにも、それと似た学習過程が見え始めている。
4. Concept Spaceは生命にも存在するのか
私は、最近「Concept Space(概念空間)」に関する研究に興味を持っている。
近年のAI研究では、AIは文章をそのまま保存しているのではなく、概念同士の関係を高次元空間として内部に構築しているのではないかという考え方が有力になりつつある。
例えば、「犬」という概念は、
動物
哺乳類
四本足
ペット
オオカミ
散歩
など、多くの概念との関係によって定義される。
AIも同じように、単語ではなく概念同士の距離や関係性を内部に表現していると考えられている。
では、この考え方は生命にも当てはまるのだろうか。
DNA言語モデルは、その可能性を強く示し始めている。
Evo 2の研究では、AI内部の表現を解析することで、
・ExonとIntronの境界
・転写因子結合部位
・タンパク質二次構造
・プロファージ領域
など、生物学的に重要な特徴が教師なし学習だけで形成されていることが確認された。
これは非常に興味深い結果である。
AIは生物学の教科書を暗記しているわけではない。
人間がルールを一つずつ教えたわけでもない。
それでも、生命を構成する重要な概念が内部に現れてきた。
つまりAIは、
「Exonとはこういうものだ」
という文章を記憶しているのではなく、
Exonという概念を他の概念との関係性の中で表現しているのではないか。
私はこれこそがConcept Spaceの本質だと思う。
知識は文章ではない。
知識とは概念同士のネットワークなのである。
5. AIは本当に生命を理解しているのか
ここで、この記事の本題へ戻りたい。
AIは本当に生命を理解しているのだろうか。
この問いに対して、単純に「理解している」と答えることはできない。
しかし逆に、「理解していない」と言い切ることも難しい。
なぜなら、「理解」という言葉の定義が曖昧だからである。
私たちは普段、
「理解した」
という言葉を何気なく使っている。
しかし、その中身は一つではない。
辞書を暗記することだろうか。
未来を予測できることだろうか。
因果関係を説明できることだろうか。
あるいは、概念同士の関係を内部に構築することなのだろうか。
現在のDNA言語モデルは、高い予測能力を持っている。
変異の影響を予測できる。
遺伝子領域を認識できる。
新しいDNA配列を設計することもできる。
しかし、それだけで理解しているとは言えない。
一方で、AI内部では生命の概念が形成され始めていることも、多くの研究が示している。
ここで重要なのは、
「意味を持つこと」と「意味に対応する概念空間を持つこと」は異なる
という点である。
AIには身体がない。
生命活動を経験したこともない。
痛みも空腹も進化も経験していない。
その意味では、人間のような意味理解とは異なる。
しかし、生命に対応する内部構造を形成していることもまた事実である。
この点は、純粋な自然言語モデルとも少し異なる。
DNAは、人間が作った文章ではない。
地球上の生物が環境に適応できるように作られた設計図である。
DNA言語モデルは、テキストだけを学習するLLMとは異なり、生物という現実世界に根ざしたデータから概念を形成しているのである。
哲学では、このような現実世界との結び付きは「Grounding(接地)」と呼ばれる。
もちろんAI自身が世界を経験しているわけではない。
しかし、生物という現実を通して形成されたデータを学ぶことで、人間の文章だけでは得られない種類の概念空間を構築している可能性がある。
私は、この点がDNA言語モデルの最も興味深いところだと思う。
AIは生命を経験していない。
それでも生命を理解するための概念空間を作り始めている。
もしこれも「理解」の一つの形だとすれば、私たちは「理解」という言葉そのものを見直さなければならない時代に入りつつある。
6. AIは世界そのものを理解し始めているのか
DNA言語モデルだけを見ると、生物学という特殊な分野の研究に思えるかもしれない。
しかし近年のAI研究を俯瞰すると、もっと大きな流れが見えてくる。
自然言語。
DNA。
タンパク質。
原子。
結晶構造。
材料科学。
一見すると無関係に見えるこれらの分野で、共通して使われ始めているのがTransformerを中心とした基盤モデルである。
これは偶然ではない。
どの分野でもAIが学習しているのは、単なる文字列ではなく、「構造」と「関係性」だからである。
自然言語には文法がある。
DNAには遺伝子構造がある。
タンパク質には立体構造がある。
原子には結晶構造がある。
対象は違っても、本質的には「要素同士の関係」を学んでいる。
つまりAIは、それぞれ異なる世界を別々に理解しているのではない。
世界を構成する様々な構造を、共通する学習原理で理解し始めているのである。
私は第14作で、「AIは世界を理解しているのか」という問いを考えた。
当時は、世界モデルや内部表現を中心に議論した。
しかし今回のDNA言語モデルは、その問いに新しい視点を与えている。
AIは世界を人間のように経験してはいない。
身体もない。
生命活動も営まない。
それでも、世界の構造を表現する能力は着実に高まり続けている。
これは、人間とは異なる「理解」の形が存在する可能性を示しているのではないだろうか。
7. AIが科学者になる日は来るのか
DNA言語モデルの発展を見ると、「AIが科学者になる」という未来を想像したくなる。
実際、近年ではAIが仮説を提案し、実験計画を立て、論文を解析する研究も急速に進んでいる。
しかし、私はすぐに人間の科学者が不要になるとは思わない。
現在のAIには大きな制約がある。
第一に、身体を持たないことである。
人間は実験を行い、失敗し、偶然を経験し、その経験を次の仮説へとつなげていく。
AIは現実世界と直接相互作用することができない。
第二に、目的を自ら設定できないことである。
AIは優れた予測や提案はできても、「なぜその問題を研究するのか」という価値判断は人間が与えている。
第三に、解釈には依然として人間の知識が必要である。
Evo 2で内部表現が可視化されたとはいえ、それを「Exonの概念だ」と理解するのは人間の生物学者である。
つまり現在のAIは、科学者そのものというより、人間の科学者を強力に支援する共同研究者へ近づいていると言った方が正確だろう。
一方で、その役割は今後ますます大きくなるはずである。
Concept Spaceが成熟し、AIが複数の科学分野を横断的に結び付けられるようになれば、人間だけでは気付けなかった関係性を発見する可能性も十分考えられる。
AIは科学者を置き換えるのではない。
科学そのものの進め方を変えていく存在になるかもしれない。
おわりに
私たちは長い間、「理解」とは人間だけが持つ能力だと考えてきた。
しかしDNA言語モデルの研究は、その前提を少しずつ揺さぶり始めている。
AIは生命を経験したことがない。
進化を経験したこともない。
それでも、生命に対応する概念空間を内部に形成し始めている。
もちろん、それを人間と同じ意味で「理解」と呼べるかどうかは、まだ答えが出ていない。
だが重要なのは、AIが生命を理解したかどうかではない。
「理解とは何か」という問いそのものが、AI研究によって改めて突き付けられていることである。
第14作では、「AIは世界を理解しているのか」を考えた。
そして今回見えてきたのは、その世界理解が抽象的な概念ではなく、生命という極めて複雑な対象にも及び始めているという事実である。
さらに最近では、原子や材料科学を対象とした基盤モデルも登場している。
自然言語から生命へ。
生命から物質へ。
AIが学習する対象は急速に広がり続けている。
その共通点は、対象そのものではなく、そこに存在する構造と関係性を学習していることである。
もし言語、生命、物質が一つのConcept Spaceとして統合される日が来るなら、AIは個別の知識を扱う存在ではなく、異なる学問を横断して新しい関係性を発見する知性として機能するようになるのではないだろうか。
AIが世界をどのように理解するのか。
その答えは、まだ誰にも分からない。
だからこそ、この変化を見届ける価値がある。
そして私たちは今、その長い物語の最初の数ページを読み始めたばかりなのである。
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