なぜ『わたしは猫のように生きたい。』は発売前からこんなに響くのか|早すぎる書評
はじめに
発売前なのに、もう多くの人の心に入り込んでいる本がある。
いけちゃんの『わたしは猫のように生きたい。』だ。
まだページをめくっていない人まで、もう気になっている。
表紙を見て惹かれ、タイトルを見て立ち止まり、ふと「これは自分に関係ある本かもしれない」と感じてしまう。
その広がり方は派手ではない。けれど静かに、確かに、人の心にしみていく。
たぶんそれは、猫がかわいいからだけではない。
この本がそっと触れているのは、今を生きる人たちの「少し疲れた気分」や、「もう少し自由に息をしたい」という感覚そのものだからだと思う。
そしてもう一つおもしろいのは、この本が、ひとりで黙って組み立てられた本ではないことだ。
編集者との対話の中で、いけちゃんの中にあった感覚が、少しずつ言葉になっていった。
そこまで含めて眺めると、この本がなぜこんなにも早い段階から響いているのかが、だんだん見えてくる。
1 ティファニーブルーの表紙を見たとき、もう半分わかる
本のことをまだ何も知らなくても、表紙を見るだけで伝わってくるものがある。
今回の本には、それがある。
ティファニーブルー。
本人が好きだというその色でまとめられた書影は、たしかに最初に「かわいい」が来る。
でも見ているうちに、それだけではないことに気づく。
軽やかで、静かで、少し都会的で、どこか息がしやすい。
張りつめていた肩の力が少し抜けるような空気がある。
そこに黒猫がいる。
ただそれだけで、世界観にすっと芯が通る。
甘すぎず、媚びすぎず、でもちゃんと絵になる。
その感じが、いけちゃん本人の雰囲気ともどこか重なって見える。
本は中身がすべてだと言いたくなる。
もちろんその通りだ。
でも実際に読者が最初に触れるのは、文章より先に“空気”である。
この本は、その空気がもうできあがっている。
だから表紙を見た段階で、「この本、わかるかもしれない」と感じる人が出てくるのだと思う。
2 この本は、急に生まれた企画には見えない
いけちゃんを前から見てきた人ほど、この本のタイトルに不思議な納得感を覚えたのではないかと思う。
猫のように生きたい。
この言葉だけを切り取ると、ふっと浮かんだキャッチコピーのようにも見える。
でも、彼女のこれまでの発信を思い出すと、これは急に出てきた言葉ではないとわかる。
旅をして、ひとりでいる時間を大切にして、無理に誰かの輪の真ん中に入ろうとはしない。
にぎやかさの中にいても、どこか自分の静かな場所を持っている。
感性を守ること。
自分のペースを守ること。
環境に合わせながらも、自分をなくしすぎないこと。
そういう空気は、前からずっと彼女の中にあった。
だから今回の本は、「人気だから本を出しました」という感じがあまりしない。
むしろ、これまで動画や言葉の端々に漂っていたものが、ようやくひとつの形になったように見える。
ひとり時間。
環境適応。
良いバランス。
美しく強くあること。
感性を研ぎ澄ませること。
それらを全部まとめて、いちばんやわらかく、いちばん伝わりやすい言葉にしたら、「猫のように生きたい」になった。
そんなふうに見えるのである。
3 この本は、喋りながら生まれた
今回の本について、いちばん印象的だったのは制作過程だった。
本人は、喋りながらでないと新しいことを考えられないタイプだと話している。
この本も、編集者にインタビューしてもらい、四十項目ほどに話を振り分けてもらって、そこから自分の言葉にしていったという。
この話を聞いた時、なるほどと思った。
この本は、最初から頭の中で整然と組み立てられていた本ではないのだ。
誰かと話しながら、問いをもらいながら、少しずつ自分の輪郭を見つけていく。
そうやって生まれた本なのだと思う。
だからたぶん、この本の言葉は硬くなりすぎない。
考え抜かれた正論というより、会話の途中でふいにこぼれた本音に近い温度を持つ。
読者が入りやすいのは、そこかもしれない。
ひとりで黙って考えた末の結論だけが深いわけではない。
人と話している時に、はじめて自分でも知らなかった本心に触れることはよくある。
いけちゃんのこの本は、そういうふうに生まれた言葉の集まりなのだろう。
4 人はなぜ、猫に惹かれるのか
ここから先は、この本そのものというより、この本が生まれた時代の話でもある。
今、多くの人が少し疲れている。
大きく壊れているわけではない。
でも、なんとなくずっと疲れている。
物価は上がる。
将来は見えにくい。
働かなければならない。
職場では気を使う。
人間関係では空気を読む。
何をしても、誰かの目から完全には自由になれない。
便利になったはずなのに、気が休まる時間はむしろ減っている気さえする。
そんな時に猫を見ると、まるで別の世界の住人に見える。
気分で近づいてきて、気分で離れていく。
撫でてほしい時だけそばに来て、そうでなければ平気でこちらを無視する。
群れなくても平気そうで、いつもどこか自分の時間を生きている。
ずっと“ちゃんとしている”必要がないように見える。
もちろん、本当の猫にも猫なりの大変さはあるだろう。
でも人間が猫をうらやましがる時、見ているのは現実そのものではない。
そこに映しているのは、「こういうふうに生きられたら少し楽かもしれない」という願望である。
猫は、自由の象徴なのだと思う。
努力しない象徴ではなく、他人の期待に合わせすぎない象徴。
このタイトルは、その気分をとても正直に言い当てている。
だから、まだ読んでいないのに、すでに心が動く人がいるのだろう。
5 この本を待っている人の顔が浮かぶ
たぶんこの本に惹かれているのは、ただ猫が好きな人だけではない。
二十代、三十代で、毎日ちゃんとやっているのに少し息苦しい人。
頑張ることはできるけれど、ずっと頑張り続けるのはしんどい人。
空気を読みすぎて疲れる人。
ひとりの時間がないと回復できない人。
誰かに嫌われたくなくて、自分の気分を後回しにしがちな人。
旅が好きで、少し遠くへ行くと呼吸が楽になる人。
そういう人たちの顔が、この本の向こうに浮かぶ。
いけちゃん自身のファンにも、ただ派手な楽しさだけを求めている人より、もう少し静かな自由に惹かれている人が多いように見える。
だからこの本は、猫の本というより、「自分のペースを取り戻したい人の本」として受け取られているのではないかと思う。
しかも、難しい本ではなさそうだ。
文章量も抑えられていて、本格的な読書が得意ではない人でも入りやすい作りになっている。
だからこそ、重たい理屈ではなく、やさしい入口として広がっていく余地がある。
6 猫は、かわいいだけの存在ではない
この本が面白いのは、猫をただ愛でる対象として使っていないところだと思う。
猫的な生き方。
猫的な距離感。
猫的なふるまい。
それらは、ただかわいいだけの話ではない。
ひとり時間を大切にすること。
環境にしなやかに適応すること。
無理に誰かに合わせすぎないこと。
美しく、でも無理をしすぎずに生きること。
ここで描かれている猫は、ただかわいがられるだけの存在ではない。
自分のルールで生きる主体としての猫である。
だから、これは癒やしの本であると同時に、生き方の本でもある。
しかも、説教くさくない。
そこが強い。
7 それでも人は猫に惹かれる
一方で、猫からすれば人間はうらやましいはずだ。
人間は海外旅行に行ける。
両手で好きなものを作れる。
キャットフード以外にも、いろいろな料理を食べられる。
読書もできる。
テレビも見られる。
音楽だって楽しめる。
季節に応じて服を着替え、快適に過ごすこともできる。
ファッションを楽しみ、メイクで自分を表現することもできる。
車を使って長い距離を移動することだってできる。
つまり人間には、猫にはできないことがたくさんある。
できることの多さだけを見れば、人間の方がずっと豊かな存在に見えるはずだ。
それでもなお、人は猫に惹かれる。
なぜなのだろう。
たぶんそれは、能力の多さと引き換えに、人間がたくさんのものを背負い込んでいるからだ。
できることが増えたぶん、求められることも増えた。
便利になったぶん、比較される場面も増えた。
選べるものが増えたぶん、迷いも責任も増えた。
だから時々人は、何かを成し遂げることより、ただ気ままに、自分の気分で生きているように見える存在に心を向ける。
猫はその象徴なのだろう。
人は本当は、猫そのものになりたいわけではないのかもしれない。
猫的な自由さに、少しでも近づきたいだけなのだ。
そう考えると、この本のタイトルはますます切実に見えてくる。
8 #わた猫 が広がったのは、言葉に温度があったから
今回の広がり方を見ていて、やはりうまいと思うのは #わた猫 という略称である。
『わたしは猫のように生きたい。』は、とても印象に残るタイトルだ。
でも、日常のやりとりの中で何度も使うには少し長い。
そこを #わた猫 という形にしたことで、ぐっと口にしやすくなった。
ただ、広がった理由は短いからだけではない。
この言葉には温度があった。
「予約したよ」
「楽しみ」
そんな投稿に #わた猫 が添えられる。
そこに本人が返信する。
猫語まじりで、やわらかく返す。
すると、そのやりとり自体がまた誰かの目に入り、別の人も参加したくなる。
こうしてタグは、ただの宣伝文句ではなくなる。
小さな合言葉になる。
その言葉を使うことで、同じ空気を好きな人たちが、ゆるくつながれるようになる。
#わた猫 は、そこにちゃんと気持ちが乗ったから広がったのだと思う。
9 この本は、かわいいだけでは終わらないかもしれない
今回の本が面白いのは、かわいい本として話題になっているだけではないところだ。
いけちゃんはこれまで写真集も出してきた。
けれど今回は、そこから少し重心をずらして、自分の考え方や感じ方を言葉で届ける方向に進んでいる。
その変化に、読者もちゃんと反応しているように見える。
つまり人は今、ただ「いけちゃんの本だから買う」のではなく、「この人の頭の中を読んでみたい」と思い始めているのではないか。
ここは大きな変化だと思う。
見た目だけではなく、考え方や感性まで読まれたいと思われる時、その本は記念商品ではなくなる。
一冊の作品になっていく。
この本には、その入り口がすでにできているように見える。
10 読み終えたあと、少しだけ生き方が軽くなるなら
この本が本当に強い本になるかどうかは、発売後に決まる。
でも、今の段階でもひとつ予想できることがある。
もし読んだ人が、読み終えたあとに
「今日から少しだけ猫っぽく生きてみよう」
と思えたなら、この本はかなり長く残る本になるはずだ。
全部を変えなくていい。
少しだけ自分のペースを守る。
少しだけ他人に合わせすぎない。
少しだけひとり時間を大切にする。
そういう小さな変化を起こせる本なら、それは単なる話題作ではなく、生き方の処方箋になる。
たぶん今、人が求めているのは、人生を劇的に変える教科書ではない。
ほんの少し呼吸をしやすくしてくれる本だ。
この本は、そこに届く可能性がある。
おわりに
『わたしは猫のように生きたい。』が発売前からこんなにも響いているのは、猫がかわいいからだけではない。
いけちゃん本人のこれまでの発信と自然につながっていて、しかも今の時代に漂う疲れや息苦しさに、やわらかく触れる言葉だからだと思う。
そしてもう一つ大きいのは、この本が対話の中で生まれた本だということだ。
頭の中で完成していた理屈ではなく、会話を通じて少しずつ形になった言葉だからこそ、読者にも入りやすい。
そこに、この本の体温がある。
人間には人間にしかできないことがたくさんある。
それでもなお、猫的な生き方に惹かれる。
それは、便利さや能力の多さよりも、少し自由で、少し肩の力を抜いて、少し自分の気分を大事にできる生き方の方に、今の時代の人たちが救いを感じているからだろう。
だから、発売前からもう響いている。
それは一時的な話題ではなく、今の時代に合った小さな願いに、ちゃんと触れたからだ。
もちろん、「猫になりたいなんて現実逃避ではないか」と思う人もいるかもしれない。
でもこの本が示しているのは、社会から降りることではない。
人間社会の圧力に少し距離を置きながら、無理を減らして生きるための知恵のように見える。
早すぎる書評として最後に言うなら、
この本がこんなにも気になるのは、猫の本だからではない。
人間社会に少し疲れた人が増えた時代に、「猫のように生きたい」という言葉が、あまりにも正直だったから である。
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