『忌野清志郎さん』高橋康浩 著
これまでも様々なところで高橋ROCK ME BABY…高橋康浩さんが語る忌野清志郎やRCサクセションを目にしてきた。僕にとって高橋さんは語れる人であり、語るべき人でもあり、語ってほしい人だ。だからこそ、今回の著書も期待していた。
高橋さんがRCの宣伝を担当したのはアルバム『COVERS』以降。タイマーズでの活動も含めた振り返りや舞台裏…いわゆる過激な清志郎について当事者目線で語られてきたそれはリアルだったし、ファンとしても興味深いものであった。僕が体験しただけでも、2016年におこなわれたRCサクセション『RHAPSODY』リリース36周年記念とタイマーズの1stアルバム『THE TIMERS』のスペシャル・エディション発売記念のイベントや、最近でも「不法集会」と銘打たれた『THE TIMERS 35周年祝賀記念品』リリース記念イベントなど、高橋さんの生の声を聞ける場では、数々の宣伝担当ならではの貴重な話を楽しめた。
ただ、僕が高橋さんの話を魅力的に感じるのは、決してこれらスタッフの立場として披露されるエピソードだけではないからだ。何と言っても、RCサクセション、そして忌野清志郎の " ファンとしての高橋さん " の話を聞けるから…が、その最大の理由である。この著書『忌野清志郎さん』を乱暴に分けてしまえば、序章の " 17歳の「雨あがりの夜空に」" と、第二章 " RCサクセション " が、それにあたる。これがあるかないかの違いは、僕には大きい。
宣伝担当としての裏話や清志郎とのエピソードは、単に見たまま、聞いたままの事実を記録として語るだけでも歴史的で資料的にも貴重なものだし、聞く側が想像を膨らませる楽しみもある。しかし、ファンとしての話はこれとは異なる。見たこと、聞いたことを記録では無く体験として語ってくれるのだから。
たとえば、70年代後半の屋根裏から久保講堂までのRCサクセション。ライヴ記録ではないそのライヴ体験は臨場感抜群。記録だと○○のライヴやテレビを観た、××が演奏された、MCで△△と言った…のような話に " かっこよかった " などの簡単な補足が付く程度なので、聞く側も楽しめるとは言え、結果として思い出を共有する程度で終わることも少なくない。しかし、体験は違う。その場の空気まで宿る。話を聞く自分が未体験であっても当時の映像が浮かび、音が聴こえてくるのである。だから、羨ましいだけで終わるはずの話には決してならないのだ。
高橋さんと同体験をしていたら、もちろん最高である。以前、カメラマンの有賀幹男さんとの対談で " RCサクセションも凄いけれど、RCをいいと思って見つけた僕らも凄かった " と語っていた。同じRC体験をしている人が聞いたら、絶対に嬉しかっただろうし、感動したと思う。大袈裟に言えば、この " 僕ら " の中に入っている自分を誇りに思ったはずだ。また、別の対談…インタヴューだったかな…では、" 小川銀次さんに関して〈ストーンズにヴァン・ヘイレンが入ったみたいでそれがよくなかった〉というような感想を聞いたことがありますが、僕たち10代の新しい音楽を探しているリスナーたちには〈ストーンズにヴァン・ヘイレンが入ったようなサウンド〉がとても新鮮で最高でした " と話していた。否定する言葉で当時のRCを話さないことをいいなと思ったと同時に大いに共感したものだ。僕は高橋さんから、RCファンがするRCの話をRCファンが聞くことの素晴らしさを知ったのかもしれない。

『忌野清志郎さん』で読むことができるのは「高橋さんが語る清志郎」だ。僕のように、ここで語られることに共感できる人や、高橋さんと同じスタンスを持ち、受け入れられる人には、本編で描き出される清志郎の人物像とともに、どのエピソードも臨場感たっぷりに響いてくるだろう。また、あとがきに代えて収録されている野田努さんとの対談も読み応えがある。あくまでもいちファンとして、いちリスナーとしてRCとタイマーズ、清志郎にふれてきた野田さんと、同じいちファンであっても仕事として接することになった高橋さんとの、良い意味で対決的な対談でありながらも、高橋さんのぶれないファンとしての視点が浮き彫りになっていて感動的だった。もしかしたら『忌野清志郎さん』は高橋さんが語る忌野清志郎の本ではあるけれど、忌野清志郎を語る『高橋康浩さん』の本でもあるのかもしれない。
P.S.
野田さんとの対談は、レコーディング・アーティスト、ソングライターとしての清志郎を語りたいという高橋さんの発言で結ばれている。ぜひ、実現してほしいと願っている。
