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自分の普通

自分がパワーリフティング競技に出会ったのは、高校1年生の頃でした。


常総学院パワーリフティング部

全国制覇を何度も成し遂げている、隠れ名門部
だったのですが、自分はまったくその功績や存在すらも知らないまま、先輩に導かれるように入部しました。

右も左も分からないながら、(超怖かった)顧問の先生や先輩のご指導のもと、スクワット・ベンチプレス・デッドリフトに励む毎日。

部の方針として、

月曜日 スクワット
火曜日 ベンチプレス
水曜日 オフ
木曜日 スクワット
金曜日 ベンチプレス
土曜日 デッドリフト
日曜日 オフ

という構成で、

部活動の時間に全体練習として

全員でスクワットなりベンチプレスをする

という内容です。

特にスクワットのときは(後ろに木刀を持った先生が立っているのを鏡越しに見ながら)全員揃ってレップ数を数えるので気合いが入ります。

ベンチプレスは2台あり、強い選手は新しい台、弱い選手はボロボロの台で練習をします。新しい台の組に早く入りたい!と頑張れます。

デッドリフトは1面のお立ち台状態でした。
当時からデッドリフトは苦手だったのであまり記憶にありませんが、フィジカルの鍛えられるフォームでやっていました。

オフの日にはダンベル(10〜20キロで3つくらい転がっていた)やラットプルダウン(なぜかマシンはこれだけあった)を中心に補助トレーニングをしていたように記憶しています。


部室には

吉田進のパワーリフティング入門
吉田進の続・パワーリフティング入門

パワーワールドニュース

月刊ボディビルディング アイアンマン

などがあり、トレーニングの合間に読み込んだものです。


厳しくも楽しい部活動でしたから、どんどんとバーベルにのめり込みました。

特に当時から、ベンチプレスが大好きでした。


いつからだったかは定かではありませんが、気づいた時には「朝ベン」と称して朝のホームルームが始まる前の時間、部室でひとりベンチプレスをする毎日。

夕方の部活動以外に、毎朝ベンチプレスをしていたものですから、もちろんメキメキ伸びていきます。

時には朝1人で追い込んだため、100キロで潰れてしまい冷や汗をかいたこともあります。
※当時はセーフティなどなかった


当時のトレーニングのベースとなっていたのが、上述のパワーリフティング入門で紹介されていた

伝統の8回×3セット

でしたが、頻度が多かったものですから、朝晩の練習において5発や3発とバリエーションを作っていました。


さらに、

全体練習のスクワットが終わってからもベンチプレス

全体練習のベンチプレスが終わってからもベンチプレス

と、しっかりベンチプレスにはまり込んでいた高校生活だったと思います。




県大会
関東大会
全日本高校
世界高校パワー 
※表紙の写真は台湾で開催されたときに撮ったもの 隣にいるのはTXPの武田祐介

と、高校3年間の間に多くの大会に出場させて頂きましたが、あまり人の影響を受けずに淡々と

自分の方法

をやり続けてきました。

いまのサブジュニアの選手たちと比べれば大した記録ではありませんが、

67.5kg級で

トータル500kg
ベンチプレス140kg


の高校日本記録を樹立することも出来ていました。


完全に

井の中の蛙

だったと思います。


食い入るように読み込んでいた雑誌で知る選手たちの活躍は、どこか遠い世界のおとぎ話のようでした。

日本人の大学生選手たちですら遠く他人事のように感じますから、それこそ世界選手権に出場していた三土手大介選手や、シボコン・アレクセイ、オレック・ヤロスロウなどは

自分と比較しちゃいけない人たち

でしたので、畏怖の念すら抱いていました。


今思えば、それが自分の限界を知らず知らずのうちに作っていたのかもしれません。



世界選手権に行き続けて思うこと

それは、

選手同士の距離がどんどん近くなっていること



例えばサブジュニアの選手(18)と自分(42)が、年齢差を越えて気軽に話を出来ますし、彼らの知識量や視野の広さには驚かさせることも多いです。


自分がもし、18歳で当時の三土手さんと話をするとなったら、怖すぎて目も合わせられなかったと思います。

それが、いまはどこの国のチームを見ても、選手同士が対等ですし、国を越えても話かけることが簡単にできます。

もちろん日本の若い選手が海外のベテラン選手と交流することも出来ますし、自分のもとにも海外の若い選手が声をかけに来てくれます。


ソーシャルメディアが大きな役割を担っていると思いますが

とにかく情報伝達が早い
強い選手にアクセス出来る


お金と手間暇を惜しまなければ、強くなれる環境はどこでも誰にでも用意することが出来る。

上を見ればキリがないけれど、すべてを「自分事」として捉えることが出来る。


世界選手権のレベルが毎年飛躍的に上がっているのも納得です。


そんな目も回るような速さについていくためにも、情報はチェックしなければなりませんし、交流もおろそかには出来ません。


強くて固いひとが単独で生き残るのではなく、いまは弱くても変化を柔軟に受け入れることが出来るひとが伸び続けられる集団を創り上げることが現代のスタンダードなのだと改めて感じました。


(真実は定かではありませんが)アフリカの諺

If you want to go fast, go alone
If you want to go far, go together 
早く行きたいなら1人で行け
遠くへ行きたいなら皆で行け



これに表されるように、人は集団に属しているとより遠くへ、より高みへ至ることができるという一面があると思います。


昔の自分は、常総学院パワーリフティング部、という恵まれた環境で育つことが出来ました。

そのおかげで、いまもベンチプレス、パワーリフティングを楽しむことが出来ていますし、

B.A.D.
最強の二軍
日本選手団
各国の選手たち

と輪を広げることが出来ています。

ベンチプレス自体も、

100kgを目標としていた時期
高校記録を目指していた時期
日本記録を目指していた時期
児玉さんを追いかけていた時期
世界記録を出すことが出来た時期
過去の自分を超えようとしていた時期

そしていま、今日現在

と、「自分の普通」はどんどん変化しています。

そして、

公開されている自分の普通
つまりベンチプレス200kgや220kg

基準として、他の選手の目標となっていたり超えるべき壁としていられることを、誇りに思っていますし、これからも頑張り続けるための意欲になっています。


若い選手たちの普通、は自分が高校のときとは違います。

そんな若い選手たちが、いまの自分の歳になったときには、より一層パワーリフティングのレベルは飛躍していることでしょう。

それをずっと第一線で見続けていきたいと、強く感じた世界選手権。


皆さんも、ご自分の普通、を周りに合わせて柔軟に更新し続けましょう。


最後までお読みいただきありがとうございました。

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