バズのあとに―吐き出すのは白か、黒か
■ 読了時間の目安:約5〜7分
■ あらすじ・紹介文(案)
SNSで起きた、ある炎上。
それはひとつの匿名投稿から始まり、誰かの人生を燃やし尽くした。
無関係だったはずの「私」は、ただ日常を送っていただけだ。
それでも、拡散は止まらない。
「正義」はどこから来て、どこへ向かうのか。
そして最後に、残ったのはただ一つの問い。
吐き出すのは、白か、黒か。
スマホが3回震えた。
グループLINE、ニュース速報、Xの通知。
どれもすぐに確認して既読が表示される。しかし、何もなかった。
いや、正確には「なにもないように見える」だけだったのかもしれない。
いつもなら「炎上」や「バズ」をはじめ、多くの見出しが所狭しと躍り狂っているのに対し、今朝はやけに静かだった。
ただ、タイムラインに“違和感”を抱く。
──気持ち悪い動画が拡散されてる。
──あれ、この人、見たことあるかも。
──似てない?〇〇駅で撮られてたやつに。
名前は出ていない。けれど、タグはつけられている。
位置情報や過去の写真たちが、あっという間に繋がれていく。私はそれをスクロールしただけだった。
パジャマの袖を軽く引き、コーヒーメーカーのスイッチを入れる。パンが焼ける匂いと誰かが壊れていく音が、まるで隣にあるようだった。
鞄に入れた水筒の蓋が、カチッと鳴った。毎朝のルーティンだ。6時半にアラームで目覚め、7時過ぎには家を出る。向かいの部屋のドアがちょうど閉まる音がする。階段を下りながら「今日も遅刻ギリギリか」と思う。
変わらない街、変わらない朝。
電車に乗り、中吊り広告をぼんやり見上げ、手元のスマホに視線を落とす。
──これってこの人?
──わりと確信持てる。
──過去に〇〇で働いてたって書いてたし
何のことはない、誰か知らない人のことだ。私には関係ない。
そう思い、スマホをポケットに入れた瞬間、胸の奥がチクリと痛んだ。
心当たりが──ないわけではなかった。
電車が二駅過ぎたころ、通知が再び鳴った。
通知元はグループチャット。大学時代の友人たちからだった。
「ねえ、なんかあんたに似てない?」
「ちょっと焦ったわww」
「本人じゃないよね?一応確認(笑)」
画面の中で誰かが笑っている。私は、うまく笑えなかった。
午後になり、課長に呼ばれた。
「これ、念のため確認しておこうかと思ってね。うちの社員に、こんな心当たりがあるのかって」
デスク上に置かれたA4用紙に載っているモノクロ。
SNSのスクリーンショット。問題となっている動画のキャプチャ。タグ付きの投稿。そして、そこに並ぶ私の顔写真。
数年前、会社の公式SNSに投稿するために撮られたものだった。
「……心当たりはありません。違います。」
声が震えなかったことだけが救いだ。
「いや、そう思ってるよ。君がそんなことするようには見えないし、
ただ、こういうのは“会社として”対応しないといけないから」
「“とりあえず”休職という形にしようか。3日でも1週間でも、ほとぼりが冷めれば──」
私の返事を待たずして、課長は「よろしく頼むね」とだけ言い残し、踵を返した。
帰りの電車、吊り革を握る手が異常に冷たくなっていた。
「あのとき、なんであの子は笑ってたんだろう」
友人の送ってきたスタンプと文面を思い出した。
誰も責めはしないが、誰も“助けよう”ともしない。
帰宅し、部屋に入る。カギを置き、バッグをダイニングチェアに載せた。
こうしている間も、スマホの通知は鳴りやまない。
──「黙ってるってことは認めてるんでしょ?」
──「謝罪まだ?」
──「こいつ前にもやってたらしい」
全て、嘘だった。
にもかかわらず、“真実”だと考える人間は何百人もいた。
もう誰にも、何も、言いたくなかった。
ベランダに干したタオルが、午後の風で揺れている。
この家に戻ったのは、たった2週間前のことだった。
休職届は“自己都合”扱い。有給休暇を使い切ったあと、無給期間があることを両親にも話せなかった。 SNSはもう何も、騒いでいなかった。
タグは消え、投稿は流れ、トレンドには別の誰かが上がっている。そこにいるその人は、本当にやっていたらしい。だって私のときとは違う。“証拠”があったから。
通勤電車の中で、久々に会った同僚が言った。
「なんだっけ、あの件。結局どうなったの?」
私は、「よくわからないまま終わっちゃった」と笑った。
同僚は「ああいうのって怖いよね」とだけ言うと、昨日のテレビドラマの話を始めた。
電車の外、窓の向こうでは、高校生たちがふざけ合っていた。
誰も、何も知らない。
それどころか、誰も“覚えて”さえいない。
家に帰り、洗濯機を回す。
スーパーの袋を下ろし、買ってきたままで水滴がついてしまった豆腐を軽く拭いて、冷蔵庫にしまった。
いつもの日常をもう一度、始めるだけ。
スマホにはもう、誰からも連絡はない。ブロックされたわけでも、拒絶されているわけでもなく。ただ誰も、何も、言わなかった。
私はもう、誰も恨んじゃいない。
それだけが、嘘だった。
………
あの時の炎上。
私も、『許せない』と書いたひとりだった。
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