提灯が飾られると、少しワクワクする──AIとみなおす、体験の演出設計
7月に入ると、
商業施設の吹き抜けや通路に、
提灯が下がり始めます。
見上げた瞬間、
なぜか少し、気分がふわっとする。
まだ祭りが始まったわけでも、
何かを買ったわけでもありません。
提灯が、そこにあるだけです。
考えてみると、不思議です。
提灯が、商品の説明を
しているわけではありません。
私たちの中にある夏の記憶を呼び起こし、
その気持ちを、
今いる場所へ重ねている。
そんな演出なのかもしれません。
ここで考えてみたいのは、
私たちが音や匂い、色、飾りから、
意識しないうちに、
どのような記憶や気持ちを
受け取っているのか、ということです。
※見出しのイラストは、
山口県柳井市の民芸品
「金魚ちょうちん」をイメージしています。
本文の中で、少しだけ登場します。
前回から、引っかかっていたこと
前回は、
「体が覚えるまで、バットを振れ」
という言葉から、
人間の体験と記憶について考えました。
出来事だけではなく、
音や匂い、温度、そのときの気持ちまで、
つながった状態で思い出される記憶。
それを「体験記憶」と呼んでみた話です。
実は、あの記事を書いたあとも、
ひとつ引っかかっていたことがあります。
私たちは、イベントや空間演出を通して、
来場された方に、
何かを「覚えてもらおう」と
しているのでしょうか。
もちろん、記憶に残る体験を
つくることは大切です。
けれど、すべての演出が、
新しい記憶を残すことを
第一の目的にしているわけではありません。
あの提灯も、提灯そのものを
覚えてもらうために
下げているわけではないでしょう。
提灯に目が止まった人が、
過去すでに覚えている、
祭りの楽しさや高揚感を、
今いる場所へ呼び戻している。
そう考えると、体験をつくる目的が
少し違って見えてきます。
覚えてもらうことと、思い出してもらうこと
商業施設の空間で、
波の音を流したとします。
浜辺で波の音がするのは、当たり前です。
では、商業施設で波の音が流れてきたら、
どう感じますか。
なんでここで波の音が流れるの?
と不思議に感じるかもしれません。
おそらく、それだけではありません。
波の音を聞いて、
以前行った海を思い出す人が
いるかもしれません。
家族との旅行。
子どものころの夏休み。
砂浜を歩いた足の感触。
少し冷たい風。
夕方の海の色。
波の音をきっかけに、
そのときの心地よさや解放感まで、
少し戻ってくることもあります。
その人の中にすでにある記憶を呼び起こし、
そのときの気持ちを、
今いる場所へ連れてくるために
使われることがあります。
その演出は、何を目的にするのか。
今、この場所を「覚えてもらうこと」。
過去の記憶を「思い出してもらうこと」。
似ているようで、目的は違います。

感覚は、多ければいいわけではない
医学や心理学では、
自分が経験した出来事の記憶は、
エピソード記憶や自伝的記憶などとして
研究されています。
出来事の記憶には、
そのときの場所、時間、人、感情、
音や匂いなど、さまざまな特徴が
結びつくことがあります。
前回から使っている「体験記憶」は、
これを体験をつくる仕事の側から
考えるための言葉です。
医学や心理学の正式な分類では、
ありません。
そして、大切なことがひとつあります。
体験する感覚(視覚、聴覚、嗅覚ほか)の数が
多ければ、必ず記憶が強くなる、
というわけではないのです。
夏祭りの装飾に波の音を重ね、
クリスマスの空間に
盆踊りの音楽を流しても、
感覚の数は増えますが、
ひとつの体験としてはまとまりません。
音、匂い、手触り、温度、景色、感情が、
ひとつの場面として
自然につながっている。
そのとき、それぞれの感覚が、
あとから体験を思い出す
入口になるのだと考えています。
なぜ、商業施設で夏祭りをするのか
商業施設で、夏祭りを行う。
なぜでしょうか。
夏のシーズンだから。
楽しそうだから。
子どもが喜ぶから。
昨年もうまくいったから。
どれも、間違いではありません。
ここから、このことを
体験記憶の視点で考えてみます。
多くの人は、それぞれに、
これまで体験してきた
祭りの記憶を持っています。
地元の小さな夏祭り。
家族で出かけた大きな祭り。
子どものころに買ってもらった綿菓子。
浴衣で歩いた夜道。
ヨーヨーの水の冷たさ。
屋台から漂う、イカ焼きやたこ焼きの匂い。
遠くから響いてくる祭囃子。
もちろん、すべての人が
同じ思い出を持っているわけではありません。
楽しい記憶を持つ人もいれば、
あまり良い記憶がない人もいるでしょう。
それでも、祭りという言葉や空間には、
多くの人がこれまでの体験と
結びつけられる手がかりがあります。
お客様の記憶の側から見ると、
提灯も、法被も、祭囃子も、
屋台の匂いも、水に浮かぶヨーヨーも、
それぞれが記憶への「入口」なのです。
その片鱗に触れたとき、
その人の中にある
祭りの記憶や気持ちが戻ってくる。
商業施設の夏祭りが、
地域の大きな祭りや、
子どものころの思い出を
超える必要はありません。
すでにある体験記憶を手がかりに、
「祭りって、やっぱり楽しいな」
という気持ちを、
今いる場所で思い出してもらう。
そして、その気持ちの中に、
今日ここで過ごした時間も、
少しだけ加わっていく。
そのような体験のつくり方も
あるのではないでしょうか。

私たちは、すでにやってきた
振り返ると、私たちは、
こうしたことをすでに
仕事の中で行ってきました。
今度は、演出する側の道具として
並べてみます。
イベントの演出音を流す。
屋台を出し、食べ物の匂いを空間に広げる。
シャボン玉を飛ばし、光や風の動きをつくる。
床に芝生を敷き、足元の感触を変える。
スタッフが法被を着る。
袋も什器も照明も、空間の雰囲気に合わせる。
それは、単なる飾りではありません。
ひとつのコンテンツを、
人が体で受け取れる体験へ
変えるためのアイテムです。
ヨーヨー釣りだけを置いても、
夏祭りの空間になるとは限りません。
音も、匂いも、照明も、
スタッフの声も、周囲の人の表情も。
それらがひとつの場面として
まとまったとき、
その場所に、夏祭りらしい空気が
立ち上がります。
私たちは、それを理論から
始めたわけではないかもしれません。
「この音があった方が楽しい」
「ここに芝生があれば、空気が変わる」
「屋台の匂いがないと、少し寂しい」
そんな現場の感覚をもとに、
一つひとつの演出を組み合わせてきました。
それは、根拠のない勘だったのでしょうか。
私は、そうではないと思います。
何度もイベントを見てきた。
お客様の表情を見てきた。
音が弱いと空間が沈むことも知っている。
照明や装飾が変わると、
人の立ち止まり方が変わることも
感じてきた。
経験を重ねる中で身についた、
現場の知識だったのだと思います。
ひとつ、思い出す取り組みがあります。
以前、山口県柳井市の
「金魚ちょうちん」を
お借りして、館内に飾ったことがあります。
赤と白の、金魚の形をした提灯です。
柳井に伝わる民芸品で、
夏には金魚ちょうちん祭りが開かれます。
金魚も、提灯も、夏の風物詩。
ふたつの文脈が重なっているから、
館内に下げただけで、
夏の空気が立ち上がりました。
見上げて笑う子どもたち。
写真を撮る人。
「かわいいね」という声。
柳井市の皆さんには、
今も感謝しています。
思い出してもらう、感じてもらう、覚えてもらう
「覚えてもらう」と「思い出してもらう」。
この二つを考えていくと、
あいだに、もうひとつあることに
気づきます。
体験を設計するとき、
目的は一つではありません。
すでに持っている記憶や感情を、
思い出してもらう。
今この場所で、
心地よさや高まりを感じてもらう。
今日の出来事を、
新しい記憶として覚えてもらう。
この三つは、つながっています。
けれど、同じではありません。
提灯の明かりで、
夏祭りの高揚感を
連想してもらいたいのか。
波の音で、海辺の心地よさを
思い出してもらいたいのか。
祭囃子で、過去の祭りの記憶を
呼び起こしたいのか。
その施設でしか起きない出来事を通して、
新しい記憶を残したいのか。
目的が違えば、音の選び方も、
空間のつくり方も、
その先の導線も変わります。
「なぜ、この演出を使うのか」。
そこまで言葉にできると、
何を確かめればよいのかも見えてきます。
演出は、スイッチではない
ただし、提灯を下げれば、
必ず祭りの気分になり、
買い物が増える、
という単純な話ではありません。
同じ音を聞いても、
感じ方は人によって違います。
世代や経験によって、
思い出す場面も違います。
演出は、感情を操作する
スイッチではありません。
人の中にある記憶や気持ちへ触れる、
ひとつのきっかけです。
だからこそ、目的を置き、
現場で反応を確かめる必要があります。
楽しい気持ちの、その先を置く
楽しい。
懐かしい。
気分が高まる。
少しゆっくりしたくなる。
体験によって気持ちが動いたとき、
人の次の行動も変わることがあります。
何かを記念に買いたくなる。
もう少し館内を歩きたくなる。
飲み物を買って休みたくなる。
家族と食事をして帰りたくなる。
ただし、イベントを行えば、
自然に売上へつながるわけではありません。
楽しい体験のあと、
どこへ向かってほしいのか。
どの店舗で、どのような商品や
サービスを受け取ってほしいのか。
その売場には、
受け止める準備ができているのか。
そこまで置かれていなければ、
高揚感はイベント会場の中だけで
終わってしまいます。
「イベントは楽しかった。
では、お帰りください」
もちろん、それでよい
イベントもあります。
けれど、商業施設で行うのであれば、
その気持ちを、売場や食事や
次の体験へ自然につなげることも
考えられます。
前に考えた、
「体験価値は、売上につながるのか」
という問いは、ここへ戻ってきます。
体験によって、
どのような気持ちになってほしいのか。
その気持ちが、どのような行動に
つながる可能性があるのか。
その行き先を、事前に置いておく。
そこまで含めて、
体験の設計なのだと思います。
AIは、何を手伝えるのか
AIに、音の心地よさを
感じてもらうことはできません。
芝生を踏んだときの柔らかさも、
スピーカーの音が胸に響く感覚も、
屋台の匂いに思わず振り返る瞬間も、
人と同じように
体験しているわけではありません。
一方でAIは、
過去のイベント企画を読み返せます。
どの季節に、どのようなテーマを使ったのか。
どのような装飾、BGM、演出、
商品提案を組み合わせたのか。
どの時間帯に人が集まったのか。
どの店舗の売上が動いたのか。
どのような声や記録が残っているのか。
人の手だけでは
見返しきれなかった量を読み、
似ている企画を並べ、
違いを見つけることができます。
夏祭り型のイベントでは、
何が体験の核になっていたのか。
季節装飾では、
何を思い出してもらおうと
していたのか。
その後の売場への導線は、
どこまで考えられていたのか。
過去の取り組みを分解し、比べることで、
私たちが感覚的に
大切にしてきたものを、
言葉にできるかもしれません。
AIが仮説を広げ、整理する。
人が現場で感じ、確かめる。
違っていれば直し、
次の企画に残す。
この往復によって、
「何となく必要だと思う」としか
言えなかった演出を、
少しずつ説明できるように
なるのではないでしょうか。
覚えてもらう前に、思い出してもらう
体験価値という言葉を聞くと、
特別なイベントや、強いインパクトを
思い浮かべるかもしれません。
けれど、体験価値は、
新しい記憶を刻み込むことだけでは
ありません。
その人の中にすでにある記憶へ、
そっと触れることもあります。
これまで感覚の中で行ってきた
体験づくりを、
感覚のままで終わらせず、
次に使える知識へ変えていく。
それが、AIとみなおす、
これからの体験の設計なのだと思います。
提灯が飾られると、
少しワクワクする。
それはたぶん、
私たちの中の夏祭りの記憶が、
そっと起こされるからです。
