世界史の名将ランキング100を作る!
ご挨拶と戦争への所感(読まんでいいよん)
皆さま、ごきげんよう。突然だが、名将のランキングを作りたいと思いついた。現実の戦争は、恐ろしく、血みどろで、とても悍ましいものである。今もロシアの侵攻は止まるところを知らず、中東では、地獄の釜の蓋がまさに今、開かれようとしている。だが、そんな時代だからこそ、歴史から学べることも多いと言えるのではないだろうか。何より、人類の歩んできた歴史は、基本的に闘争の歴史であり、そこから学ぶことは文明人としての義務であると思うが、如何だろう。残念ながら、我々の近辺にある東西二つの超大国はどうやら数十年前のことからすら学べていないようで、全く嘆かわしいことである。
もっと言ってしまおう。私は現実の戦争は大嫌いだが、歴史書に書かれている戦争は大好きだ。歴史書の、活字の上での戦争はいい。少なくとも、今この瞬間に死人が出ている事柄はないからだ。古代、中世、近世の人間たちが知恵を絞り、時に小が大を打ち破り、時に弱者が意地を見せつける。そして何より、無粋な大量殺戮兵器など登場しない。
暗い話はここまでにする。とにかく、私は歴史の中で生き抜いた人物たちの強さを考えるのが大好きだ。歴史を好きになったきっかけも、男子らしく戦国ものだ。謙信の強さ、信玄の悪どさ、信長の合理性に、幸村の忠義、人間のドラマがこれでもかと繰り返されるその戦争、という舞台に、私は歴史の本質の一つを見つけのめり込んだのである。中学に入った頃には私は、馬鹿な歴史男児のご多分に漏れずネトウヨと化し、近現代の戦にハマったわけだ。
しかし、3年生のとき、あるものと出会った。アレクサンドロス、ナポレオンにカエサルである。厳密に言えば、彼らとは「再会」を果たしたというのが正確だ。彼らの学習漫画を私は持っており、それらを読んだはずだった。だが、多少歪んでいても「歴史」というものについて考え続けた脳みそは、再会を果たした彼らとの物語に、かつてとは比べ物にならない感銘を感じさせてくれた。そこからは、家にある親父さまの蔵書を読み漁る日々を過ごした。私の学校は朝読書の時間というのもあったし、私にとっては(いささか不謹慎な物言いではあるが)コロナ期間というものは暁光となった。ヘロドトスの歴史、カエサルのガリア戦記、アッリアノスの東方遠征記、見たこともなかった世界が次々広がっていく感覚を、私は生涯忘れないだろう。
結局のところ、その視野の広さを与えてくれたのは私にとっては間違いなく戦争であった。違う民族が最も直接的にぶつかり合うのがまさしくそれである。中華文明と匈奴との戦い、パルティアとローマの戦い、ペルシアと中央アジア遊牧民との戦い、例を挙げればキリがなく、またその戦いがそれらの文明を相互的に発展させたのだ。日本史でも、初期の転換期に、白村江の戦いがある。これらの戦いの中には、文字通りの命をかけた人間たちのドラマがある。そこから何も学ぶことなく無為に人生を食い潰すのは、人類文明への侮辱に他ならない。
つまり勉強は大事ってこと。戦争を知ることで虫も虫なりに成長を得られたのは、ここまで親切に読んでくださった方は、わかっていただけただろう。私がここまで言葉を重ねたのには理由がある。この平和極まる国においては、「戦争」という概念そのものが憎まれてある。いや、それだけなら人間として素晴らしいことだ。もっとも問題なのは戦争という行為を想定したり、学んだり、興味を持ったりすることをタブー視していることだ。私の考えすぎだろうか、そんな思考の偏りを感じている。また、それが平和を維持する手段だと考えている節さえある。これははっきりと愚かしいと言ってのけたい。ローマ人の言葉を借りよう。
Si vis pacem, para bellum(平和を望むなら戦争に備えよ)
ランキングという今回の試みについて
戦争を知るというのは、人の歴史、本質を知る上で大切だ。しかし、単に学ぼう とか 勉強しよう と思ったって何も面白いことはない。基本的に歴史はなんてことのない積み重ねでできている。なんとなくwikiを読んだって山場というものが、そう多くの割合を占めていることは少ない。そこで、である。私がかつてこんなものがあればいいなーと思っていたものを、時を経て私自身が作り上げてしまおう、というのが今回の試みである。ランキングというものは見やすく、また誰でも明確に歴史の一要素を感じることができるだろう。また、私が当時、思い悩んでいたこともある。結局誰が一番強いん?ということだ。あの頃の私の疑問に終止符をつけるためにも、やってみたいと思っているのだ。以下で詳しく要旨を説明する。
人に注目するということ
人間、誰しも無機質な要素に魅力を感じるのは難しい。いわゆる玄人とか渋いとか言われる魅力は、まず万人受けする入り口から入り、山越え、谷越え、川を越え、その果てにようやく辿り着く境地なのだ。それを経ずいきなり最終地点に行くものは、一般的に変人と言われる。歴史で言い換えれば、教科書のように、いきなり出来事そのものを論じて、こういう歴史的意義があるだの、こう言った視点で転換点として見れる、だの言ったって全く響かないだろう。いわゆる「教科書的」と悪口を言われるように、こんなやり方では歴史というものをつまらなくさせてしまう。そこにいる人間たちの感情や、心情を慮ったり、思いやることができると、途端に解像度が上がり興味も湧いてくるというものだ。普段眠くてしょうがない歴史の授業も、先生の腕によって面白くなるのは、一つこうした人間に着目できるかどうかが重要なのでないかと私は思っている。人物ごとにランキングをつけると、まさに一人一人に目を向けることができるのだ。
Tier表の流行
一時期、tier表という概念がネット上で大流行りになった。猫も杓子もtiktokerも、何でもかんでもランク付けしていた。しかし、面白いんだなこれが。視覚的に分かりやすいし、全く興味のない分野でもSとかAとかに置かれてるのを見ると「へぇ、これが今アツいのか」と何となくみれてしまう。short動画の魔力もあるかもしれないが、いまだに何でもないコンテンツで、こういったタイプの動画を見かけるのを考えると、一つ普遍的なとっつきやすさを持っているやり口なのだと思っている。詳しいランクの付け方は今後の投稿で詳述したいが、Tier表の要素を持たせて多くの人に楽しんでもらいたいと思っている。
範馬刃牙要素の絶対性
私は先ほど、どいつが一番強いのかが気になってしょうがなかったと書いた。分かりやすさと強くつながるのは、強さや絶対性といった竹を割ったようなシンプルさだ。そこで必要なのが範馬刃牙要素だ。まさか歴史上の人物に殴り合いをさせてしまうと、本当に範馬刃牙の塊、またはドリフターズや終末のワルキューレになってしまうのであくまで、「形而上の」強さ、つまり人を率いて戦うものとしての強さをなるべくシンプルに決めたいのだ。
私は頭の中で、歴史的にあり得ないマッチを繰り返し、軍を率いさせ戦わせ、その順位をつけんとした。私に徳川の爺さんの如き財力があれば、武蔵よろしくカエサルやナポレオンを蘇らせ、関東平野で決戦させるが残念ながら、私にできるのは頭の体操のみである。その結果を勝手にnoteに載せるのがせいぜいだ。ただ、何にせよこのやり方ならシンプルに、分かりやすく、歴史に生きた人間たちを、なるべくナマで描写できる。
ちなみにこの発想は、こちらの本から得た。哲学に足りなかったのが範馬刃牙要素なら、多分歴史にも有用だろう。
まとめと展望
とにかく、なるべく分かりやすく、戦争ってものから歴史に学んでほしいなーというのが、この試みの趣旨だ。今後、不定期にこのシリーズを書いていきたい。詳しい評価基準や、ランクの付け方は次の記事で述べることにする。まあ、こんなnoteを何人の方に見ていただけるかはわからないが、頑張って制作するのでどうかよろしく。
では、ごきげんよう。
