世界史名将ランキング100 95位〜91位
みなさま、ごきげんよう。ランクD帯はとりあえずここまでとなる。今回は、初めて遊牧民の名将も登場する。ぜひお楽しみを。
95位 室点蜜(AD?〜576)
※画像はなし
【戦略】B【戦術】B【政治】B【天運】C
【魅力】C【成長】D【影響力】A【総合】B
そんなにメジャーでない人物。彼はユーラシアにまたがる大遊牧帝国突厥の可汗(カガン)である。
この時代(中世初期とも古代末期とも)の超大国は非常に雑に分ければ4つである。中華帝国(隋)、ローマ帝国(東ローマ)、ペルシア帝国(サーサーン朝)、そして北方ステップから中央アジアに横たわる遊牧民帝国(エフタル)である。遊牧民の勢力は時に、大きく世界の情勢を変えてきた。スキタイ人やフン人のことを考えればわかりやすいだろう。その中で、この時代大きな力を持っていた遊牧民帝国はエフタルであった。
しかし、このエフタルの脅威は直接国境を接しているサーサーン朝にとっては恐ろしいものであった。実際に、たびたび彼らは中央アジアからの侵攻にあい、痛手を負っている。そんな中で頭角を現したのが、突厥という部族である。彼らは瞬く間に勢力を伸ばし、東は中華に西はカスピまで届くほどであった。その立役者が室点蜜である。
室点蜜はサーサーン朝と同盟を組み、エフタルを挟撃した。時のペルシア皇帝については、少し先で紹介することになる。かのペルシアの諸王の王もまた、はるか怪物である。二人の名将からの攻撃には流石のエフタルも耐えかね、ブハラで行われた決戦はペルシア、突厥軍の大勝となった。また、カスピ北東岸にいたアヴァールを北コーカサスへ追いやった。
中央アジアを制した突厥とサーサーン朝の関係は急速に悪化した。そこで、室点蜜はサーサーン朝を見限り東ローマとの同盟及び貿易協定を模索した。これは彼の時代には、大きな実を結ぶことは無かったが、少し後に、世界史を揺るがすことになる。
94位 苻堅(with王猛) (AD338〜385)

【戦略】B【戦術】S【政治】A【天運】E
【魅力】A【成長】E【影響力】C【総合】B
五胡十六国時代に輝きを見せた巨星が苻堅である。少々特殊な評価となるが、臣下である王猛あっての苻堅であったのである。王猛は凄まじい才あれど人心を欠き、苻堅は高い能力すら超えるほどの高い理想を叶えてくれる臣を探していた。彼らはお互いに、1人では十分な力を発揮しないのである。まさしく水魚の交わりである。この2人が組めば無敵であった。
数倍の敵をもいとも簡単に打ち破る王猛と、彼に全幅の信頼を置き自身もまた、凄まじい軍才をみせ敵を蹴散らす苻堅の前には、何者も叶わなかった。苻堅の理想は民族共和、五胡十六国という時代において中華に蠢く多種多様な人種を全て等しく愛することであった。彼の威光の前には入り乱れた数カ国も瞬く間に併呑され、河北は統一された。もし彼らが2人とも死ぬ時まで共に歩めたなら、苻堅は40位代にいてもおかしくない活躍をしたと言えるだろう。
しかし、王猛は早世した。この軍師が死んだのちもすぐに苻堅は衰えたのではない。やはり彼は天才で、より支配地を広げ善政を敷いた。
だが、王猛の遺言を苻堅は守ることができなかった。その行いが身を滅ぼしたのだ。江南の東晋に数十万の兵で挑むも、淝水の戦いにて、東晋の名将たる謝玄に木っ端微塵に打ち砕かれたのだ。そしてそれは、ほぼ苻堅の自滅に近い行いであった。王猛は今際の際に、はっきりと苻堅に「東晋とは結び、決して闘うことなかれ」と忠告していた。
また、王猛が危険視していた異民族の将たちもまさしくその予見通り、全員が苻堅を裏切り彼の帝国は崩壊した。何より苻堅は老いてしまっていた。かつての彼なら、自力でもあらゆる危機を跳ね除ける強さを持っていた。だが、理想に破れ、信頼に足る臣下すらいない中で、慕容垂や姚萇といった名将の相手は不可能だった。彼は孤独の中で敗死したのだった。
93位 スレナス(BC84〜52)

【戦略】A【戦術】S【政治】E【天運】E
【魅力】C【成長】D【影響力】A【総合】B
パルティアの伝説的な一発屋。詳しい名前も、彫像すらわかっていない。この若きパルティア貴族は彗星の如く国家の危機に現れ、歴史に名を刻んだ。彼が全ての絵図を描いたカルラエの戦いにて、彼は5倍のローマ軍を砂漠にて殲滅し、指揮官クラッススを敗死に追い込んだ。この戦い一つで、彼はこのランキングに食い込むことになる。それほどまでにこの戦いの推移は見事であった。決戦までの誘因、敵の補給の妨害、軽装騎兵とラクダ騎兵の戦術機動、神がかりのような誘因殲滅、名将の見本市とはまさにこのことである。何より、パルティア側はほぼ損害を出しすらしなかった。だが、この男の才をおそれたパルティア王により、彼は戦後すぐに始末されることになる。
この戦いにより誤解されることが多いが、三頭政治の一角クラッススは決して軍事的な無能ではない。カエサルとポンペイウスというのが化け物なだけで、クラッススも名将と言って間違いない。それはスッラのもとでの軍歴、とくにコッリナ門の戦いでの活躍を見れば明らかである。確かにパルティア遠征での不手際も見える。何より、この戦いに参加した彼の息子小クラッススは、カエサルのガリア遠征にも参加しており、この天才が認める若き俊英であった。これらのことから、単純にスレナスが素晴らしい指揮官であっただけだろう。
もし、彼が生きてパルティア王の信頼を得られていれば、その後の歴史はどうなったかわからない。パコルスのシリア侵入もスレナスがいれば、間違いなくローマは壊滅的打撃を受けたことだろう。
92位 耶律阿保機(AD872〜926)

【戦略】B【戦術】B【政治】A【天運】D
【魅力】B【成長】D【影響力】B【総合】B
契丹の帝国、遼を建てた英雄。モンゴル高原を制し、満州を従え、渤海を滅ぼし、北宋を脅かした。しかし、実績は素晴らしいものの、これら打ち破った者たちに特に強いイメージが湧かないためこの順位。1番の功績は、遊牧民と定住民の統治法を分けた二重統治構造の確立という政治的なものか。ただし、後継にも恵まれ、遼帝国は極めて広大な領土をある程度安定して維持できた。開祖たる耶律阿保機の周到さが伺えるだろう。
ついでに言えば嫁のキャラが濃い。妃であるユリドは、極めて深く耶律阿保機を愛していた。彼が死ぬ時に殉死しようとしたほどである。しかし彼女は統治者として彼の死後の混乱をおさめる責務を感じ、死ぬ代わりに片腕を切り落として夫の棺に入れた。愛じゃよ、ハリー。
91位 トクタミシュ(AD1342〜1406)

【戦略】B【戦術】B【政治】B【天運】C
【魅力】B【成長】C【影響力】C【総合】B
ジュチ・ウルス(キプチャク=ハン国)の貴公子。反乱を起こされ国を追われるも、不屈の闘志で舞い戻り再征服した。この内紛に便乗して、キエフやルーシの諸侯がモンゴル支配から逃れんとしたが、それもトクタミシュは再征服した。特に、ドミトリー・ドンスコイを叩き潰したのは、彼の優れた軍略を示している。
しかし、彼の運は良いのか、悪いのか。国を追われた時に彼が援助を求めたのは当時、チャガタイ・ハン国を実質的に統治していた男であった。その男のことは最後の記事で紹介することになるだろう。トクタミシュはその男の領土に、恩知らずにも攻撃するわけだが、見事に破れ去った。しかし、その戦いの推移は決してトクタミシュを辱めるものではなかった。むしろ、人類史上最高峰の指揮官に極めて善戦したのは、彼の優秀さを示しているだろう。つまり相手が悪かったのだ。
まとめ
Dランク帯はここまで!番外編として同ランク帯に入るかな、という人物もまとめたい。もちろんランキング本編もどしどし上げていく。コメントもどうぞよろしく!では、また。
