ミステリ小説) 終末旅館
1.
サラリーマン最終日の勤務を終えた私は
泊まる場所を探していた。
退職と同日に賃貸のアパートを退去した。
無謀、無計画、所持品はビジネスバッグと
紙袋に入った退職祝い。
中身を見たら、洗剤の詰め合わせだった。
自宅を手放した身からすると
本当の手荷物でしかない。
行き先を選ばず歩いていたが
自然と足はいつもの駅に向かっていた。
融通の利かない自分に呆れつつ
普段とは逆方向の電車に乗ってみた。
2.
見慣れた景色が遠去かっていく。
二駅過ぎただけで
窓外は新鮮な街並みに変化した。
中年が子供の目をして
窓に張り付いているさまは
隣の乗客からしたら滑稽だろう。
終点まで行ってみよう ー
そう思った瞬間、突然車内の電気が消えた。
ポイントの通過で瞬断する事があるとは
聞いていたが、
ここがそのポイントなのだろうか。
不慣れな私は周りの反応を見る。
おや?
隣の乗客がいない。
私に忌避して移動したのだろうか?
他の乗客は平然としている。
私はまた窓の外に視線を戻した。
3.
駅に停車している間に、案内図を眺める。
ここからだと、終点まではあと三駅。
終点の駅名は「終末駅」と書いてある。
電車が動き出した。
案内図の前に移動していた隙に
座る席を失ってしまった。
手摺りに掴まり隣に目をやると
女学生が身体を前後させながら
参考書を読み耽っている。
カーブで大きく揺れた直後、また電気が消えた。
いや違う。トンネルに入ったのだ。
薄暗い車内、ガラスに年老いた自分が映る。
トンネルを抜けると、
強いオレンジの陽光に目が眩んだ。
おや?
隣の女学生がいない。
いつの間に移動したのだろうか。
4.
終点前の駅で殆どの客が降りていった。
閑静な住宅街
ちらほら部屋の電気が灯っている。
家人の帰りを待つ家。団欒の家。
私には縁が無かった。
このまま生涯独身で終わるのだろう。
「だからこそ無謀な選択が出来るのだ。
独身貴族万歳」と言い放ってはいたが、
同僚の決しては表面に出さない
哀れみの視線が胸に突き刺さっていた。
終点の終末駅に着いた。
ホームには私しかいない。
おや?
車掌の姿が見えない。
既に点検作業に移ったのだろうか。
5.
終末駅は名のごとく
周りには草木しか生えていない無人駅で
私は途方に暮れた。
これでは泊まるホテルもないだろう。
折角の退職日
少しは贅沢しようという気持ちがあった。
とぼとぼと歩いていると
道沿いに「終末旅館」と書かれた看板が
薄っすらと灯っているのに気付いた。
築数十年にはなるだろうか、
建て付けの悪い格子戸の引き戸を開け
「すみません」と声を響かせる。
狭い三和土、上がり框の直ぐ横には
茶色く古びた階段が二階へ続いている。
「はい、お待ちしていました」と、
受付の奥から女性が出て来る。
どこかで見た記憶があるが、
直ぐに思い出せない。齢の頃は40代のようだ。
「どうぞこちらへ」
予約客と勘違いしているのか
余りにも自然な流れで案内された為、慌てて「私、飛び込みで来たのですが」と伝える。
女将というよりは
一般家庭の主婦といった印象の女性は
「えぇ、把握しております」と答え
私を広間へ誘導した。
「食事の準備をしてまいりますので
そちらに座ってお待ちください。」と
言い残し退室していく。
全体的にレトロというか
昭和感が溢れる造りは
この旅館のコンセプトなのか。
一般家庭のダイニングテーブル、木製の椅子
前に置かれたテレビはブラウン管だ。
勿論映るわけもなく
電源を押しても反応しない。
私は荷物を床に降ろして椅子に腰掛けた。
6.
広間のドアが開く。
学生と思わしき若い女性がルームウェアに
濡れ髪、首にタオルを巻いた格好で入ってきた。
私には一瞥もせず
部屋の奥へ行き鏡台の前で
ドライヤーをかけだした。
ここの娘さんだろうか。
鏡台に映った娘の顔を見て驚いた。
(え?この娘、
さっきの電車で参考書を読んでた娘じゃないか?)
再び広間のドアが開く。
思い出した!
この女将と思わしき女性、
私が窓外に見惚れていた時
隣に座っていた乗客だ。親子だったのか?
二人とも私には気付いていない様子だ。
女性がテーブルに食器を並べる。
娘が向かいの席に座り箸を振り分ける。
この親子と一緒に食べるのだろうか?
テーブルの中央に鍋が置かれた。
どうやらすき焼きらしい。
娘が無言で私に卵を差し出す。
礼を言い受け取る。
肉や野菜が盛り付けられた皿を置くと
女性が娘の隣に座った。
「今日まで本当にお疲れ様でした」
女性が私のコップにビールを注ぐ。
「今日まで?」私が訊ねると
「あら、今日は大切な日でしょう?」と
笑い掛ける。娘もぶっきらぼうではあるが
「やっと終わりだね」と
乾杯のコップを差し出した。
二人とコップをかち合わせる。
それ以上、特に話はないまま各自食事を進めた。
「ごちそうさまでした」
娘が先に食べ終わると
「じゃあ、部屋に戻るね」と言って
二階へ上がっていった。
女性は「疲れたでしょう?
十六年間長かったですね」と言い
またビールを注いだ。
確かに今の職場に移って十六年目、
無事定年を迎えた。
なぜ、この人は知っているのだろう?
「あの、なぜ私の事を?」と訊ねると
「当たり前じゃないですか。
私達は特別な関係でしょう」と
長年添い遂げた夫婦のような
労りの笑顔を見せた。
あぁ、そうか。
私は悟った。
私はおそらく夢を見ているのだ。
それも人生最期の夢を。
7.
電車で起こった最初の停電は意識の消失
二度目は人生のトンネルを超えてしまった
という事か。
そもそも終末駅という名前の駅など
ある筈がないのだ。
こういう展開はドラマで観た記憶がある。
まさか実際に起きるとは。
まぁ、それならそれも良い。
私の人生で巡り会えなかった妻と娘。
こうして私の門出を祝福する為に現れてくれた。
最期に素敵な夢を見ることが出来た。
痛みも苦しみもない、幸せな最期ではないか。
私は妻に向かって涙ながらに感謝を伝えた。
妻も泣きながら
「この日を待っていました」と言い
部屋を出ていった。
背もたれに寄りかかり天井を見あげ
タバコに火をつけた。
死神が来るまで暫し
幸せの余韻に浸っていようかと
独りごちして笑っていた。
ガタン!
突然、格子戸が開く音がした。
床を踏みしめる度
強い不穏を感じる軋みが広間に近づいてくる。
広間のドアが開いた。
車掌の格好をした男が立っていた。
8.
電車の車掌?え?なぜここに?
車掌は帽子を棚に置くと
「ご乗車ありがとうございました」と一礼し
私の前に座った。
何も言わず私を眺めている。
その目は怒りに満ちているように見えた。
そして
「どれだけ、この日を待ちわびいたか」と
喉の奥から声を絞り出した。
「え?」とたじろぐ私に構わず
椅子から立ち上がると
ブラウン管のテレビの電源を押した。
ブーンという懐かしい音と共に
画面に映像が写りだす。
ニュース番組、かなり昔の映像だ。
アナウンサーが原稿を読む。
「本日、午前10時頃
◯◯線構内の階段から女性が転落し
死亡しました。女性は妊娠しており
胎児の死亡も確認されました」
フラッシュバックとは、これを言うのか。
瞬時に冷や汗が噴き出すのが分かった。
あの日、
私は大事な営業の契約に遅刻しそうになり
急いでいた。
電車を飛び降り、ホームを全速で走り、
混み合っている人の間をすり抜け
階段を駆け上がっていた。
その途中で人にぶつかった。
キャー!という声が
遠ざかっていくのを耳にした。
そして、ドスンという強い音も聞いた。
だが、私は振り返りも助けもせずに走り去った。結局、約束の時間に間に合わず
契約は破綻となった。
会社の今後を左右する契約であった為、
それが原因で前の会社を辞めた。
駅での事は微塵にも記憶になかった。
男は私の前に新聞を置いた。
「駅で転落した女性の夫、翌日自殺」と
書かれた見出しがあった。
日付は十六年前の今日。
あぁ、そうか。
私は悟った。
彼ら家族は死んで尚、
私への復讐の為に生き続けていたのだ。
そして、十六年後の私の新しい門出を
復讐の日と決めた。
うっ、
背後から人の力とは思えない強さで
首を絞められた。
「ぐわー!」
身体の至る所に刃物が突き刺ささる。
娘が二階から冷ややかな目で私を見下している。
「も、申し訳…ありません…」
言葉にするが通じるわけがない。
私は彼等の怨念に殺されているのだ。
意識が遠のく…もうだめだ。
9.
「お客さん!お客さん!起きてください」
耳元につんざく大声で目が醒めた。
電車の中だ。
私の覚醒に安堵したように車掌の溜息がもれる。
夢?
夢だったのか。
身体を探る。どこにも傷はない。
はぁ、良かった。
ホッとした瞬間
耳元に冷ややかな声が通り抜けた。
「お客さん、一回では済みませんよ。
またのご利用、お待ちしております」
背中に激痛を走り
温かい血が噴き出すのを感じた。
怨念は終わり末ない。
了
