ワールドカップは誰のための大会なのだろう
私の余白ノートより: 2026.06.18
早朝、noteを公開する準備のついでに、フランスーセネガル戦を観た。
前半は個の才能で攻めるセネガルに、日本代表以上に相手選手に組織的にプレスをかけて、チャンスを作らせなかった。隙を見せたが最後、やりを突き刺されるように失点するだろうと思えるような試合展開だった。
その均衡を破ったのも個の才能だった。世界最高のストライカーエムパぺ選手が得点し、バルコラ選手も得点した。
セネガルも18歳の才能がゴールを奪い、すごいなあと感心していると、再びエムパぺ選手がミドルシュートを決める。「ほら、見たか」と言わんばかりだった。緊張感のあるすばらしい試合だった。
感心したのは試合後だ。選手と監督や、選手同士がお互いを称えあうのはわかるけれども、相手選手にも握手を求め、敬意を表していた。
代表戦だから敵だけれども、普段はチームメイトだったり、何度も対戦する相手だからなのか、にこやかに談笑する姿が目立った。
これはサッカー新興国のアメリカで、中立的な立場で行われている試合だからなのだろうか。それとも、多国籍リーグで普段から交流があり、スポーツマンシップを重視する文化が広がっているからなのだろうか。
日韓ワールドカップの予選、イングランドードイツ戦がロンドンで行われ、イングランドが0-1で負けたときを思い出す。
試合後、町には大勢の警官が警備にあたり、馬に乗った警官も初めて見た。帰りの電車の中は、怒号が飛び交い、どうなるのだろうと心配になった。
翌日からスポーツの1面は監督解任のニュースが大きく取り上げられて、それが1カ月続いた。
これが熱狂的なサポーターが集まる国なら、ここまで穏やかな試合後の風景にはならなかったかもしれない。
日本でも、久保建英選手にけがをさせた選手のSNSが荒れたという報道があった。
スポーツが大きな産業となっているアメリカなのか、空調完備のスタジアムでもハイドレーションブレイク(飲水タイム)を3分きっちりとるのは選手の健康よりもCMを流すためだろう。
試合の流れよりもCMが優先され、試合開始時刻もヨーロッパ市場を意識して決められる。スポーツは巨大なエンターテイメント・ビジネスになったのだと感じる。
ワールドカップが地上波で視聴できるのは、いつまでなのだろうか。
そのうち、すべての試合がネットの有料チャンネルという日はそれほど遠くないのではないか。
いいなと思ったら応援しよう!
いつも記事を読んでいただき、ありがとうございます。
もし「おもしろかった」「考えるきっかけになった」と感じていただけたら、チップで応援していただけるとうれしいです。
いただいた応援は、これからの記事を書くエネルギーにさせていただきます。