転職市場の「あべこべ」な構造― 人と組織が出会う前に立つエージェントという障壁
はじめに
僕はいまだ諦めずに、転職市場の中に立っているが、どうにも順序が逆転しているように感じている。人と組織の相性を見極めるはずの仕組みが、皮肉にもその出会いをいちばん強く阻んでいる。
なぜ、もっとも重要な「相性」が、もっとも後回しにされるのだろうか?
今回、ある私立学校への「再応募」の機会を得た。ありがたい話である。ただ、正直に言えば、それは「自分が評価された」という感触よりも、仲介エージェントという最難関を、たまたま運良く通過できたという感覚に近い。そして、どうしてもこう思ってしまう。もしこれが一般的な求人媒体、たとえばDoda経由だったら、結果はまた同じだったのではないか、と。
本来、採用とはどうあるべきなのだろう。まず見るべきなのは、その人がどんな思想を持ち、どんな文脈上で力を発揮し、どんな組織と相性が良いのか、という点のはずだ。そのうえでコンテキスト上、最も力が発揮される役割や条件をすり合わせていく。少なくとも理念としては、そう語られてきたはずだ。
1.転職エージェントはキャリアの漂白剤だ
ところが現実の転職市場では、その順序が完全に逆転している。最初に問われるのは求人票のキーワードであり、年齢上の足きりであり、カテゴリー化された職種であり、年収レンジだ。それらを満たしているかどうかが先に判定され、その後にエージェントによる一次選別があり、ようやく書類が担当者の目に触れる。「人そのもの」が見られるのは、最後の最後になってからだ。
ここで誤解してはいけないのは、これはエージェント個人の資質や善意の問題ではない、ということだ。多くのHRエージェントは、人を深く理解することでは評価されない。求人要件に合う人を、速く、確実に、決定まで運ぶこと。その成果で評価されている。だからこそ、文脈やコンテキストを読まなければ価値が伝わらない人材は扱いにくい。マルチスキルであること、越境的な経験をしていること、役職よりも新規事業の実装に価値を置いていること、年齢的一般例と職務志向が一致していないこと。そうした要素は、強みとして評価される前に、「説明コストが高い」という理由で敬遠されやすい。つまり、カテゴリー属性にはまらない希少性は完全に漂白されてしまうのだ。
2.教員は、案外なんでもできるが、何にもできないと評価されがちである
皮肉なことに、学校現場で希少性を持つ人材
(僕の場合は、ゼロイチで設計したキャリア教育システム実装と多岐にわたる連携先。哲学的思考の学校現場への現代的な落とし込み。高卒就職の深掘りで知り得た民間企業の役員や人事部の方達との人脈)・・・おそらく希少
ほど、転職市場の流通には向かないことがわかってきたのだ。つまり、単一の職種に落とし込めず、前例人材にも当てはまらず、あくまでも「中央値としての52歳」という年齢や年収の先入観もまとわりつく。結果として、僕に限らず、本来なら少し尖った組織文化や人材育成に深く寄与できるはずの人が、人と組織が出会う前の段階で、名簿から静かに消えていく。
この構造を前にすると、どうしても「あべこべだ」という感覚が拭えない。本来いちばん重要なはずの、人と組織のケミストリーが最後に回され、本質からもっとも遠いはずの、流通効率や処理のしやすさが最初に問われている。
3.組織内のチームが生きるかどうかは、メンバー間のケミストリーが命だ
僕は教員という仕事を通して、人と人の相性が、組織の未来をどれほど左右するかを見てきた。
「この配置だと、来年きっと荒れる」
「この組み合わせなら、静かに回る」
僕のそうした予感は、往々にして外れない。
ところが転職市場では、そのケミストリー判断そのものが制度的に排除されている。人は属性と種別で処理され、中央値的前例で評価され、偶然に近い経路でしか出会えない。年齢で弾かれた。書類で落ち続けている。そう聞くと、個人の努力や能力の問題に還元されがちだが、書類審査の段階で落ちまくった僕にはそうは見えない。もはやこれは、「誰が優秀か」という話ではない。出会うべき人と組織が、なぜ出会えない構造になっているのかという構造的な問題だ。僕は進路指導主事という立場で、数々の忘れられない出会いに恵まれてきた。そしてこれは「直接合って、深く話して、お互いの理念に共感した」からこそ今でも長くお付き合いできているものばかりだ。
むすびに
今回の再応募は、僕にとっての希望というより、この市場の歪みが一瞬だけ可視化された出来事だった。人は、本来、関係性の中で力を発揮する存在だ。にもかかわらず、転職市場は人の全体像をわざわざ切り離し、分解し、うま味がすっかり抜け落ちた属性へと還元していく。そこでは「最適な出会い」は最適化されず、偶然に委ねられる。お互いが自らの「顔」を差し出して、その「顔」との間の相互作用に生じる責任感や、あらかじめ抱いていた先入観の更新にまでは、たどり付かないのだ。
このあべこべな構造は、教育業界からの転職の世界に限らず、多くの分野で、静かに、しかし確実に機会損失を生み続けているのだろう。
今回の件で僕はそう感じている。
では また。
