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調査053 満州人脈はどこへ向かったか

問い

満州国の行政、産業、軍事、物資調達に関与した人物は、敗戦後の戦犯処理、公職追放、財閥解体、追放解除を経て、どの分野へ移ったのか。

岸信介、児玉誉士夫、笹川良一、星野直樹、椎名悦三郎、鮎川義介を対象として、戦前・戦中の役職と、戦後の政治、企業、財団、反共運動、中小企業政策への移動経路を整理する。


史実

1932年、満州国が成立した。

満州国では、関東軍、満州国国務院、南満州鉄道株式会社、満州重工業開発株式会社、満州中央銀行、満州国協和会などが、行政、産業、金融、交通、宣伝、治安に関与した。

日本から派遣された官僚、軍人、企業経営者、技術者は、満州国の制度運営に参加した。

岸信介、星野直樹、椎名悦三郎、鮎川義介は、満州国の行政または産業開発に関与した。

児玉誉士夫は、満州国行政の官僚ではなく、中国大陸における物資調達や海軍関係の活動に関与した。

笹川良一は、満州国政府の官僚ではなく、戦前日本の右翼運動、政治活動、航空関係事業などに関与した。

これらの人物を一括して「満州官僚」と扱うことはできない。

満州国政府、関東軍、国策会社、物資調達組織、右翼政治団体という異なる経路を分ける必要がある。

岸信介は、商工省の官僚として産業合理化や統制政策に関与した。

1936年、岸信介は満州国実業部総務司長に就任した。

その後、満州国産業部次長、国務院総務庁次長などを務めた。

満州国では、産業統制、企業再編、重化学工業開発、資金・物資配分などに関与した。

1939年に日本へ戻り、商工次官となった。

1941年、東條内閣の商工大臣へ就任した。

軍需省の設置後は、国務大臣兼軍需次官として戦時生産行政に関与した。

星野直樹は大蔵省官僚として勤務した後、満州国へ渡った。

満州国では財政部総務司長、国務院総務庁長、国務院総務長官などを務めた。

国務院総務庁は、各行政部門の総合調整、予算、人事、企画などに関係した。

星野直樹は満州国の行政調整と経済計画に関与した。

帰国後は、第2次近衛内閣の企画院総裁、東條内閣の内閣書記官長などを務めた。

椎名悦三郎は農商務省へ入省し、1933年から満州国政府に勤務した。

満州国では産業行政に関与した。

帰国後は商工省へ戻り、商工次官、軍需次官などを務めた。

岸信介と椎名悦三郎は、満州国の産業行政と日本の戦時経済行政の双方に勤務した。

鮎川義介は、日本産業株式会社を中心とする日産コンツェルンを形成した。

日産コンツェルンには、日本鉱業、日立製作所、日産自動車などが含まれた。

1937年、鮎川義介は日産コンツェルンの中核を満州へ移し、満州重工業開発株式会社を設立した。

満州重工業開発株式会社は、満州国における鉱業、鉄鋼、機械、自動車などの重工業開発に関与した。

鮎川義介は、満州国政府、関東軍、岸信介、星野直樹らと産業政策上の接点を持った。

児玉誉士夫は、戦前から右翼運動に関与した。

日中戦争期から太平洋戦争期には、中国大陸で物資調達活動を行った。

児玉誉士夫を中心とする調達組織は、一般に「児玉機関」と呼ばれている。

児玉機関は海軍航空本部のため、金属、鉱物、軍需物資などの調達に関与した。

児玉機関は満州国の行政機関ではなく、海軍と接続した物資調達組織であった。

笹川良一は、戦前に国粋大衆党を率いた。

右翼・国粋主義運動、政治活動、航空関係事業などに関与した。

1942年には衆議院議員へ当選した。

笹川良一は満州国の官僚ではなかったが、戦前・戦中の右翼、軍、政治関係者と接点を持った。

1945年8月、日本はポツダム宣言を受諾した。

連合国軍最高司令官総司令部は、日本の占領統治を開始した。

日本軍は解体され、戦争犯罪の容疑者が逮捕された。

満州国、戦時経済行政、物資調達、右翼政治に関与した人物も捜査対象となった。

岸信介、児玉誉士夫、笹川良一、鮎川義介は、A級戦犯容疑者として拘束された。

星野直樹はA級戦犯として極東国際軍事裁判へ起訴された。

椎名悦三郎は戦犯として起訴されなかったが、公職追放の対象となった。

岸信介は巣鴨拘置所へ収容されたが、極東国際軍事裁判では起訴されなかった。

1948年12月、岸信介は釈放された。

児玉誉士夫もA級戦犯容疑者として巣鴨拘置所へ収容されたが、起訴されなかった。

1948年12月、児玉誉士夫は釈放された。

笹川良一もA級戦犯容疑者として巣鴨拘置所へ収容されたが、起訴されなかった。

1948年、笹川良一は釈放された。

鮎川義介もA級戦犯容疑者として拘置されたが、起訴されなかった。

鮎川義介は釈放後も公職追放の対象となった。

岸信介、児玉誉士夫、笹川良一、鮎川義介については、裁判による無罪判決が出されたのではなく、起訴されないまま釈放された。

星野直樹は極東国際軍事裁判で起訴された。

1948年、星野直樹は終身禁錮の判決を受けた。

星野直樹は巣鴨拘置所で服役した。

1955年に仮釈放され、1958年に赦免された。

戦犯裁判、公職追放、財閥解体は、それぞれ異なる制度であった。

戦犯裁判は、戦争犯罪に関する刑事手続であった。

公職追放は、一定の経歴を持つ人物を政治、行政、企業、報道などの公職から排除する占領政策上の措置であった。

財閥解体は、持株会社、財閥家族、株式所有、企業支配を再編する経済政策であった。

鮎川義介が形成した日産コンツェルンも、持株会社整理と企業再編の対象となった。

日本産業株式会社を中心とする戦前の企業統括構造は解体された。

日産自動車、日立製作所、日本鉱業などの企業は、戦後、それぞれ独立した企業として事業を継続した。

満州重工業開発株式会社は、満州国の消滅に伴って活動を終了した。

占領初期には、戦前・戦中に活動した政治家、官僚、軍人、企業経営者が公職追放を受けた。

椎名悦三郎は1947年に公職追放の対象となった。

1951年、椎名悦三郎の追放は解除された。

岸信介、鮎川義介らについても、占領後期から講和期に追放解除が進められた。

1947年以降、アメリカとソ連の対立が強まった。

1949年には中華人民共和国が成立した。

1950年には朝鮮戦争が始まった。

アメリカの対日政策では、日本の経済復興、政治的安定、反共政策が扱われるようになった。

公職追放者の再審査と追放解除が進められ、戦前・戦中に活動した人物の一部が政治、行政、企業へ復帰できるようになった。

1952年4月28日、サンフランシスコ平和条約が発効した。

日本は主権を回復し、GHQ・SCAPによる占領統治は終了した。

岸信介は追放解除後、日本再建連盟を組織した。

日本再建連盟は、憲法改正、再軍備、行政改革、反共などを掲げた。

1953年、岸信介は自由党へ入党し、衆議院議員へ復帰した。

その後、岸信介は鳩山一郎、三木武吉、河野一郎らと日本民主党の結成に関与した。

1954年、日本民主党が結成され、岸信介は幹事長を務めた。

1955年、自由党と日本民主党が合同し、自由民主党が結成された。

岸信介は自由民主党の初代幹事長に就任した。

1957年、岸信介は内閣総理大臣へ就任した。

岸内閣は、旧日米安全保障条約の改定を進めた。

1960年、新日米安全保障条約が署名・発効した。

岸信介は、満州国の産業官僚から、戦時経済行政、戦犯容疑、公職追放を経て、自由民主党と内閣へ移った。

椎名悦三郎は追放解除後、民間企業の経営に関与した。

1955年、椎名悦三郎は衆議院議員へ初当選した。

その後、第2次岸内閣の内閣官房長官、通商産業大臣、外務大臣、自由民主党政務調査会長、総務会長、副総裁などを務めた。

椎名悦三郎は、満州国と商工省での産業行政経験を持つ政治家として、戦後の通商産業政策と外交に関与した。

1965年、椎名悦三郎は外務大臣として日韓基本条約の締結に関与した。

1974年には、自由民主党副総裁として党総裁選出をめぐる調整に関与した。

椎名悦三郎は、満州国の産業官僚から、公職追放、民間企業、自由民主党、内閣へ移った。

鮎川義介は釈放・追放解除後、中小企業の組織化と振興に関与した。

1953年、鮎川義介は参議院議員へ当選した。

鮎川義介は1953年から1959年まで参議院議員を務めた。

1956年、中小企業政治連盟を結成し、総裁を務めた。

中小企業団体の組織化、技術、資金、輸出などに関する活動を行った。

鮎川義介は、戦前の日産コンツェルンと満州重工業開発株式会社の経営から、戦後の中小企業振興と参議院へ活動領域を移した。

戦前の日産コンツェルンを同じ支配構造で再建したわけではなかった。

日産自動車、日立製作所、日本鉱業などは、それぞれ戦後企業として活動を継続した。

鮎川義介個人は、これらの企業を戦前と同じ持株会社構造で統括しなかった。

星野直樹は1955年の仮釈放後、実業界へ移った。

東急国際ホテル、旭海運などの企業経営に関与した。

東京急行電鉄を含む企業・財界関係者との接点を持った。

星野直樹は、満州国国務院総務長官、企画院総裁、内閣書記官長から、戦犯受刑者を経て、戦後の企業経営へ移った。

星野直樹が戦後に国政選挙へ立候補し、議員へ復帰した事実は確認されていない。

児玉誉士夫は釈放後、右翼団体、政治家、財界人、暴力団関係者などと接点を形成した。

戦時中に児玉機関が保有した物資や資金の戦後処理については、GHQ・G2・CIA関係資料や研究で扱われている。

児玉誉士夫は、政党の公職へ就くよりも、政治家や企業の間を仲介する非公式な活動を行った。

児玉誉士夫は、保守政治家、右翼団体、企業関係者、韓国関係者などと接点を持った。

日韓国交正常化をめぐる非公式な接触にも関与したとする記録がある。

1976年、ロッキード事件が表面化した。

児玉誉士夫は、ロッキード社から受け取った資金をめぐり、脱税および外国為替関係法令違反などで起訴された。

児玉誉士夫は第一審で有罪判決を受けたが、上訴中の1984年に死去した。

児玉誉士夫は、満州国官僚や戦後の国会議員ではなく、戦時物資調達から戦後の右翼・政財界人脈へ移った。

笹川良一は釈放後、モーターボート競走制度の形成に関与した。

1951年、モーターボート競走法が制定された。

1959年、日本船舶工業振興会が設立され、笹川良一が会長へ就任した。

1962年、日本船舶振興会が設立され、笹川良一が初代会長を務めた。

日本船舶振興会は、モーターボート競走の交付金を財源として、船舶、海難防止、福祉、医療、教育、体育などへの助成を行った。

笹川良一は、財団運営とは別に反共活動にも関与した。

国際勝共連合や世界反共連盟の活動に参加した。

笹川良一は、戦前の右翼政治と戦犯容疑を経て、競艇制度、公益財団、国際的な反共運動へ移った。

日本船舶振興会と国際勝共連合は別の組織であった。

笹川良一個人の複数の活動を、法人の事業として一括して扱うことはできない。

岸信介、児玉誉士夫、笹川良一は、戦後の反共人脈で接点を持った。

ただし、3人が同じ組織で同じ役職を持ち、統一された指揮系統の下で活動したわけではない。

岸信介は政党と政府へ移った。

児玉誉士夫は右翼・政財界の非公式な仲介領域へ移った。

笹川良一は公営競技を財源とする公益事業と反共運動へ移った。

星野直樹は企業経営へ移った。

椎名悦三郎は民間企業を経て政党・政府へ移った。

鮎川義介は中小企業振興と参議院へ移った。

満州国で形成された人間関係が、敗戦後も同一の組織として存続した事実は確認されていない。

満州国政府、関東軍、満州重工業開発株式会社などは解体・消滅した。

一方、満州国や戦時統制行政に関与した人物の一部は、戦後の政党、官庁、企業、財団、政治団体へ個別に参加した。

人物間の関係には、戦前からの交友、政党活動、企業取引、反共運動、会合参加など複数の形態が存在した。

戦前・戦中の経歴が、そのまま戦後の役職を自動的に決定したわけではなかった。

釈放、公職追放解除、選挙、政党加入、企業就任、法人設立など、戦後の制度上の手続が存在した。


主要人物

岸信介

商工官僚、満州国官僚、商工大臣、軍需次官、内閣総理大臣。

満州国では産業統制、企業再編、重化学工業開発に関与した。

敗戦後、A級戦犯容疑者として拘束されたが、起訴されず釈放された。

公職追放解除後、自由党、日本民主党、自由民主党を経て首相へ就任した。

戦後は日米安全保障条約改定、自由民主党政治、反共活動などに関与した。

児玉誉士夫

戦前の右翼活動家、戦時期の物資調達関係者。

海軍航空本部と接続した児玉機関を運営した。

敗戦後、A級戦犯容疑者として拘束されたが、起訴されず釈放された。

戦後は右翼、政治家、企業、暴力団関係者などの非公式な接点を形成した。

ロッキード事件では資金受領をめぐって起訴された。

笹川良一

戦前の政治活動家、国粋大衆党総裁、衆議院議員。

敗戦後、A級戦犯容疑者として拘束されたが、起訴されず釈放された。

戦後はモーターボート競走、日本船舶振興会、公益事業、国際的な反共活動に関与した。

星野直樹

大蔵官僚、満州国国務院総務長官、企画院総裁、内閣書記官長。

極東国際軍事裁判で終身禁錮判決を受けた。

1955年に仮釈放され、1958年に赦免された。

戦後は東急国際ホテル、旭海運などの企業経営に関与した。

椎名悦三郎

農商務・商工官僚、満州国官僚、商工次官、軍需次官。

1947年に公職追放を受け、1951年に追放解除となった。

1955年に衆議院議員へ当選した。

内閣官房長官、通商産業大臣、外務大臣、自由民主党副総裁などを務めた。

鮎川義介

日本産業株式会社および日産コンツェルンの創設者。

満州重工業開発株式会社を設立し、満州国の重工業開発に関与した。

敗戦後、A級戦犯容疑者として拘置されたが、起訴されず釈放された。

公職追放解除後、参議院議員、中小企業政治連盟総裁などを務めた。

吉田茂

外交官、外務大臣、内閣総理大臣。

占領期から講和期の日本政府を率いた。

岸信介は政界復帰時に吉田茂の自由党へ入党した。

岸信介はその後、吉田茂と対立する保守勢力へ移った。

ダグラス・マッカーサー

連合国軍最高司令官。

GHQ・SCAPによる占領政策を統括した。

戦犯容疑者の拘束、公職追放、財閥解体が進められた時期の占領行政責任者。


主要組織

GHQ・SCAP

日本の占領統治を担当した機関。

戦犯捜査、公職追放、財閥解体、経済改革などを日本政府へ実施させた。

極東国際軍事裁判

日本の主要な戦争指導者を審理した国際軍事裁判。

星野直樹は起訴され、終身禁錮判決を受けた。

岸信介、児玉誉士夫、笹川良一、鮎川義介は起訴されなかった。

巣鴨拘置所

戦犯容疑者および戦犯受刑者を収容した施設。

岸信介、児玉誉士夫、笹川良一、鮎川義介、星野直樹らが収容された。

満州国国務院

満州国の行政機関。

岸信介、星野直樹、椎名悦三郎が異なる部門・時期に勤務した。

満州重工業開発株式会社

1937年に設立された国策会社。

鮎川義介が経営に関与した。

満州国の重化学工業開発を担当した。

商工省・軍需省

日本の産業、物資、生産、軍需行政を担当した官庁。

岸信介、椎名悦三郎が勤務した。

自由党

吉田茂が率いた保守政党。

岸信介は1953年に入党した。

日本民主党

1954年に結成された保守政党。

岸信介は幹事長を務めた。

自由民主党

1955年、自由党と日本民主党の合同によって結成された。

岸信介と椎名悦三郎は党と政府の役職を務めた。

日本船舶振興会

1962年に設立された公益法人。

笹川良一が初代会長を務めた。

モーターボート競走の交付金を財源として公益助成を行った。

中小企業政治連盟

鮎川義介が結成に関与した政治団体。

中小企業の組織化と政策要求に関与した。

財界

戦後の企業、経済団体、政策金融、産業政策に関わる経営者・団体の領域。

星野直樹、鮎川義介、児玉誉士夫らは、それぞれ異なる形で企業・財界関係者と接点を持った。


接点

満州国行政

満州国国務院

星野直樹

岸信介

椎名悦三郎

敗戦

戦犯裁判・公職追放

企業・政党・政府


満州国産業

日産コンツェルン

鮎川義介

満州重工業開発株式会社

敗戦・財閥解体

中小企業振興・参議院


物資調達

海軍航空本部

児玉機関

児玉誉士夫

戦犯容疑・釈放

右翼・政財界人脈


右翼政治

国粋大衆党

笹川良一

戦犯容疑・釈放

モーターボート競走

日本船舶振興会

公益事業・反共活動


政界復帰

公職追放

追放解除

政党加入・選挙

自由民主党

内閣


人物別移動

岸信介

政党・政府


椎名悦三郎

企業・政党・政府


星野直樹

企業経営


鮎川義介

中小企業団体・参議院


児玉誉士夫

右翼・政財界の非公式人脈


笹川良一

財団・公益事業・反共運動


検証ポイント

確認済み

  • 岸信介は満州国の産業行政に関与した。

  • 星野直樹は満州国国務院総務長官を務めた。

  • 椎名悦三郎は満州国政府と商工省・軍需省に勤務した。

  • 鮎川義介は満州重工業開発株式会社の設立と経営に関与した。

  • 児玉誉士夫は海軍関係の物資調達活動に関与した。

  • 笹川良一は戦前の右翼・政治活動に関与した。

  • 岸信介、児玉誉士夫、笹川良一、鮎川義介はA級戦犯容疑者として拘束された。

  • 岸信介、児玉誉士夫、笹川良一、鮎川義介は極東国際軍事裁判で起訴されなかった。

  • 星野直樹は極東国際軍事裁判で終身禁錮判決を受けた。

  • 戦犯裁判、公職追放、財閥解体は別の制度であった。

  • 椎名悦三郎は1947年に公職追放を受け、1951年に追放解除となった。

  • 岸信介は追放解除後、自由党、日本民主党、自由民主党を経て首相となった。

  • 椎名悦三郎は追放解除後、衆議院議員、閣僚、自由民主党副総裁を務めた。

  • 鮎川義介は追放解除後、参議院議員と中小企業団体の活動に関与した。

  • 星野直樹は仮釈放・赦免後、企業経営に関与した。

  • 児玉誉士夫は戦後、右翼・政財界の非公式な接点を形成した。

  • 笹川良一は日本船舶振興会と反共運動に関与した。

  • 満州国政府と満州重工業開発株式会社は敗戦によって消滅・活動終了となった。

  • 満州国に関係した人物全員が、同じ組織へ移ったわけではない。

追加検証

  • 各人物の逮捕命令書と戦犯容疑の内容。

  • 岸信介、児玉誉士夫、笹川良一、鮎川義介が起訴されなかった決定過程。

  • 各人物の釈放日と釈放命令。

  • 岸信介と鮎川義介の公職追放指定理由と解除日。

  • 星野直樹の仮釈放条件と赦免手続。

  • 椎名悦三郎の追放中の企業活動。

  • 満州国勤務者が所属した戦後企業・官庁・政党の一覧。

  • 岸信介、星野直樹、椎名悦三郎、鮎川義介の戦後の会合・書簡。

  • 満州重工業開発株式会社の役員・技術者の戦後就職先。

  • 満州国国務院職員の戦後官庁・企業への移動。

  • 児玉機関が保有した物資と資金の敗戦後の処理。

  • 児玉誉士夫とGHQ・G2・CIAの接触記録。

  • 笹川良一と岸信介、児玉誉士夫の戦後の会合記録。

  • 日本船舶振興会と反共団体の組織・会計上の分離。

  • 鮎川義介の中小企業政策と戦前の企業経営経験の関係。

  • 星野直樹が関与した戦後企業と役職の時系列。

  • 満州国経験者による政策提言、回顧録、研究会の活動。

  • 戦後の自由民主党内で満州国経験者が占めた役職と人数。

  • 人的関係と政策上の継承を区別するための一次資料。

仮説

  • 満州国で形成された行政・産業人脈は、単一の組織として戦後へ移らず、政党、官庁、企業、財団へ分散した可能性がある。

  • 満州国の産業統制や計画行政を経験した官僚が、戦後の通商産業政策や企業経営に参加した可能性がある。

  • 公職追放解除によって、戦前・戦中の行政経験を持つ人物が戦後政治へ再参加する経路が開かれた可能性がある。

  • 岸信介と椎名悦三郎は、満州国と戦時経済行政での関係を、戦後の自由民主党と内閣で継続した可能性がある。

  • 鮎川義介は、戦前の大企業集団経営から中小企業の組織化へ活動対象を変更した可能性がある。

  • 星野直樹は、政治・行政への復帰ではなく、企業経営を通じて戦後経済へ参加した可能性がある。

  • 児玉誉士夫と笹川良一は、官僚制度ではなく、非公式な政治人脈、公益法人、反共団体を通じて活動した可能性がある。

  • 満州国経験の継承を確認するには、人物の所属だけでなく、政策文書、役員名簿、資金、会合、書簡を時系列で追跡する必要がある。

  • 同じ人物が戦前と戦後の双方に存在することだけでは、制度や政策がそのまま継承されたことを確認できない可能性がある。

  • 戦前の人脈、占領政策、冷戦、選挙、企業再編が重なり、人物ごとに異なる戦後経路が形成された可能性がある。


注釈・出典

一次資料

  • 満州国政府公報

  • 満州国国務院関係資料

  • 満州重工業開発株式会社定款・営業報告書

  • 岸信介関係文書

  • 星野直樹関係資料

  • 椎名悦三郎関係文書

  • 鮎川義介関係文書

  • 児玉誉士夫関係文書

  • 笹川良一関係資料

  • 極東国際軍事裁判判決書

  • GHQ・SCAP戦犯容疑者関係文書

  • 公職追放指定者名簿

  • 公職追放解除関係文書

  • 自由党関係資料

  • 日本民主党結党関係資料

  • 自由民主党結党関係資料

  • 日本船舶振興会事業報告書

  • 中小企業政治連盟関係資料

  • ロッキード事件公判記録

公的資料

  • 国立国会図書館「近代日本人の肖像 岸信介」

  • 国立国会図書館「近代日本人の肖像 鮎川義介」

  • 国立国会図書館「近代日本人の肖像 椎名悦三郎」

  • 国立国会図書館「岸信介関係文書」

  • 国立国会図書館「鮎川義介関係文書」

  • 国立国会図書館「椎名悦三郎関係文書」

  • アジア歴史資料センター「植民地官僚経歴図 星野直樹」

  • アジア歴史資料センター「植民地官僚経歴図 椎名悦三郎」

  • 国立公文書館

  • 外務省外交史料館

  • 国会会議録検索システム

  • 日本財団公開資料

  • 裁判所司法統計・事件記録関係資料

  • アメリカ国立公文書記録管理局

二次資料

  • 岸信介『岸信介回顧録』

  • 星野直樹『見果てぬ夢』

  • 鮎川義介関係伝記

  • 椎名悦三郎追悼録刊行会編『記録椎名悦三郎』

  • 原彬久『岸信介』

  • 小林英夫『満州と自民党』

  • 山室信一『キメラ―満洲国の肖像』

  • 満州国官僚研究

  • 満州重工業開発株式会社研究

  • 公職追放・追放解除研究

  • 戦後右翼研究

  • 戦後企業経営者研究

  • 保守合同・自由民主党成立史研究

関連法令

  • 公職に関する就職禁止、退職等に関する勅令

  • 持株会社整理委員会令

  • 過度経済力集中排除法

  • 日本国との平和条約

  • モーターボート競走法

  • 政治資金規正法

  • 中小企業団体の組織に関する法律

  • 中小企業団体中央会関係法令

  • 外国為替及び外国貿易管理法

注釈

  • 本調査で扱う人物のうち、岸信介、星野直樹、椎名悦三郎、鮎川義介は満州国の行政または産業開発へ直接関与した。

  • 児玉誉士夫は海軍関係の物資調達、笹川良一は日本国内の右翼・政治活動を主な戦前経歴としており、満州国官僚には含めない。

  • A級戦犯容疑者として拘束されたこと、極東国際軍事裁判で起訴されたこと、公職追放を受けたことは、それぞれ別の事実である。

  • 岸信介、児玉誉士夫、笹川良一、鮎川義介は起訴されずに釈放された。

  • 星野直樹は極東国際軍事裁判で有罪判決を受けた。

  • 戦前・戦中の人物が戦後に活動したことだけで、戦前の制度が変更なく継承されたとは記載しない。

  • 人物間の交友、同一政党への所属、企業役員、資金提供、反共団体への参加は分けて確認する。

  • 本調査の「満州人脈」は、満州国に関与した人物と、その周辺の戦時物資調達・右翼関係者を調査上まとめた呼称であり、正式な組織名ではない。

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