ドラマ「マイダイアリー」第5話の感想
※駄文が長文になっていることをあらかじめお断りしておきます。
■「くつ下と居場所」
週もまた野球中継のため、放送時間が1時間繰り下げ。
定時の10時15分なら、なんとかリアルタム視聴が可能だが、1位時間遅れとなるとちょっと無理なので、先週と同様、早寝早起きをして、翌日の早朝に録画を見た。
似顔絵の次のアイテムはくつ下だったが、劇中に登場するアイテムとしてこのくつ下を選択したこと、くつ下の使い方については今ひとつと感じた。
前回の似顔絵というアイテムの使い方が非常にうまかっただけに、「他人と違うこと」ことの象徴として「左右が違うくつ下を履くこと」というのは、若干無理があったような気もする。
無理繰りいいこと言わせようという違和感のあるセリフは今回も少なかったものの、くつ下というアイテムに絡めて登場人物の気持ち、感情をセリフ、行動で示そうとした試みは、成功しているとは言いがたい。
くつ下をお題にして、何が言いたいのか、何をしようとしているのかということがうまく伝わってこない。
前回第4話の愛莉メインの回がとてもよかったので、今回の第5話はちょっと残念。
ドラマを見て広海(と広海に対する優希)のセリフ、行動が腑に落ちないのだ。
毎回そんなに無理して日常的なアイテムを登場させなくともいいと思うのだが、このドラマは、アイテム縛りでもかかっているのだろうか。
■広海は何に悩んでいるのか
今回はいよいよ広海の回。
前回の愛莉の話は、愛莉の悩み、感情の動きがストンと腑に落ちてきたが、今回はかなり難解、かなりモヤモヤした感じが残る。
ドラマ開始前から予告されていた広海のギフテッドであるがゆえの葛藤、他人にはほぼ理解されないだろうその悩みは、想定の斜め上の設定だった。
特に、これまで散々前振りのあった広海が帰国した理由が意外というか、想定外。
子供の頃にギフテッドだった人が成長したら「ただの人」になって、留学先のアメリカから戻ってきたという設定かな、と思っていたら、広海がずっと取り組んできた数学の問題を先に解かれてしまって「燃え尽きたから」というものだった。
「ギフテッド」というテーマがテーマなので、このテーマをドラマで扱うについて取材は十分しているだろうから、広海の帰国の理由は、フィクションではなく実話をベースにしているのではないかと思う。
自分がずっと取り組んできた問題を自分以外の他人に先に解かれてしまったということによって、広海が自分の数学の才能に限界を感じたかという点ははっきり示されていない。
おそらく、広海自身も分かっていないかもしれない。
ただ、ずっと数学一筋で生きてきた広海にとって、初めて経験する大きな挫折で、そこから「逃げてきた」というのは間違いないだろう。
帰国した後の広海にまつわる問題の方は、想像に難くない。
中学生のときにアメリカに留学して数学一筋だった彼が、7年ぶりぐらいに日本へ帰国したら日本と「世の中」への適合に難儀するのは目に見えている。
さらに、同学年の友人は就職を考える時期なのに、バイトすらしたことがなく、ずっと親に頼ってばかりもいられないので、これからどう生活していくかという現実的な問題が迫ってくる。
その問題を見せるために、ギフテッドの幼なじみを広海の「鏡」として登場させているのは、いいと思う。
しかし、その幼なじみを登場させても、広海の心の動きが見えてこないというか、見ている側がピンとこない。
広海がギフテッドの子供たちを支援する財団のパーティーで、同じギフテッドで幼なじみの克弥に会ったが、その久しぶりに会った幼なじみに、普通ならちょっと立ち直れないほど仕打ちを受ける。
○自分の仕事のネタ探しにギフテッド支援団体のパーティーに参加。
○自分の幼なじみである広海が帰国していることを事前に調べており、取材のために靴下まで替えて広海に接近。
○自分の仕事のために広海に接近したのを広海に知られても、帰国した広海の状況を自分の置かれた状況と同じだと思い込んで開き直った態度になる。
ここまでは、自分の生活のために幼なじみの広海のことさえ利用しようとしている完全に「悪い人」。
10時さんのひとこと「社会人になるってね、生きてるふりがうまくなるってことだよ」という言葉が頭をよぎる。
まあ、ホテルのロビーのようなところで、電話しながらくつ下を履き替える奴がいるかというところは、克弥がまだ社会人慣れしていないというところで納得しておこう。
かつてギフテッドで「神童」と呼ばれた人は、それは単に成長の速度が他のこどもより若干早かっただけで、「大人」になったら「ただの人」。
「ただの人」になっても、ギフテッドとして「他とは違う道」を歩んできたため、他の子供のように「大人」になるための経験がないから、「ただの人」にすらなかなかなれずに苦労している。
そんな克弥は、現在の広海の鏡だ。
自分の生活のために、幼なじみの広海を「売ろう」として広海に近づき、そのことが広海にバレると、開き直って「おまえも社会に馴染む努力をしろ」と分かったようなことをいうかつて広海と同じようにギフテッドだった克弥の姿は、広海の目にはどう映っただろう。
ただ、克弥の「仕打ち」に対して、広海のネガティブな感情はあまり見えてこない。
その後の広海の行動、発言からすると、
ギフテッドだった過去の自分に見切りをつけ、家族のために働いている克弥に対して、親の仕送りに頼っている学生で、仕送りなしでは壊れた洗濯機を買い換えることもできない自分にふがいなさを感じた。
ということになるのだろうか。
友人たちは当たり前のようにバイトをしているのに、自分はバイトをしようと発想さえなく、広海は克弥の言葉にハッとさせられたというのも理解できる。
それで、虎之介の力を借りて、人生初のバイトに挑戦するが、自分では治ったと思っていた「持病」が直っておらず、自分の「持病」のためにバイトはうまくいかなかった。
バイトしてみたいという広海のバイトに付き合っているだけで十分やさしいのに、自分が勧めたホテルのパーティーのバイトで広海がうまくいかなかったことに対して、あんなふうに落ち込めるなんて、虎之介はやさしすぎる。
ホテルのバイトから戻ってきて、ファミレスに来たときの虎之介の表情が秀逸だ。
広海がホテルでどうなったのかということが映像はおろか、セリフでもほとんど語られていないが、虎之介の表情を見ただけで、相当大変なことになってしまったことが分かる。
いつも明るい虎之介が初めて見せる表情で、自分の勧めた仕事で、広海が傷ついてしまったこと、そのことに責任を感じている自分に広海から「ごめんね、巻き込んじゃって」と謝られたことにショックを受けているのが痛いぐらいに伝わってくる。
優希が、バイトがうまくいかなかった広海を心配してあちこち探し回り、平静を装う広海に対して「強がんな」と、珍しくちょっと怒り気味で強い言葉になって、広海に対してはいつもより感情がちょっとだけ高ぶっている。
優希が言わなそうな言葉を優希に言わせることで、広海に対する気持ちの変化を表している。
広海のことを本気で心配したり、怒ってくれたりする友人たちをもって、広海は幸せ者だよ。
広海の生まれて初めてのバイトがうまくいかなかった原因、かつストーリーを展開させるきっかけとなる広海の「障害」、つまり人や物が無秩序に動いている限定された空間の中にいるのが苦手という設定については、ちょっと納得できないところがある。
この「障害」も取材の結果なのかもしれないし、実際にある「障害」なのかもしれないが、今もその「障害」が直っていないことに気づくのが、バイト先のホテルのパーティー会場が初めてというのは不自然すぎる。
三鷹市周辺に住んでいる(愛莉が優希宛てに送った郵便の宛先が三鷹市)広海は、帰国してから東京近郊の空港や駅を使っていないのか。
混み合っている駅構内こそ、広海の「障害」の症状が出てしまう状況だと思うのだが、バイト先のホテルに行くのに電車を使わなかったのだろうか。
広海が初めてのバイトでかなり緊張していたからという言い訳には、説得力がない。
こういう設定上のほころびというのは、このドラマにはあまりなかったのだが、この点はかなり気になって、その後のシーンにあまり集中できなかった。
このドラマは、日常の中の感情を積み重ねていくドラマなので、その土台となる設定のほころびは特に気になる。
広海の「障害」の設定は、ほんとうに必要だったのか、「障害」の設定にするにしても、他の設定はなかったのか、甚だ疑問に感じる。
ストーリーを展開させるのにこういう「障害」や病気の設定をすること自体を毛嫌いする人も多いが、その設定をいかに登場人物の行動や感情につなげていくかの方が大事だと思っている。
問題の点は、その前提でつまずいてしまった感じだ。
■公園での会話
初めてのバイトがうまくいかなかったことで、広海が洗濯機を買うお金を工面する方法は克弥のインタビューを受けることしかなくなったのだが、広海はインタビューを受ける稼働か迷っている。
あれだけの「仕打ち」をした克弥に会いたくないというのではなく、ギフテッドだった過去の自分に見切りをつけ、先に進もうしている克弥と、時間が止まったまま宙ぶらりんの状態で先に進めない自分を比較してしまい気後れしている。
そんな自分のことを「かっこ悪い」と言う広海。
まあ、ここまではいいのだが、これに対する優希の反応がよくわからない。
「だめだったかもしれないけど、それは過去の自分に向き合っただけだよ」
これはいいのだが、
「インタビュー受けて、新しい洗濯機買って、その洗濯機でくつ下洗って、
きれいなくつ下であしたを生きられたら、もったいなくらいのおつり来るんじゃないかな」
なんで?
「消えた天才」というテーマで自分の過去を話すことを、「自分の人生の話をたった数万で売るのが嫌で、インタビュー受けるの躊躇してる」と思う広海の感覚の方が普通だと思うのだが、優希は広海がインタビューを受けることを後押しする。
広海がインタビューを受けることによって、うまくいかなかった初めてのバイトの代わりに、自分で初めて収入を得ることで広海に自信をつけさせたいと思ったのだろうか。
しかも、これを洗濯機とくつ下に例えているので、ますますピンとこない。
■克弥のインタビュー
優希の後押しもあり、取材を受けることにした広海に話したいことがあると言われ、自分の「仕打ち」を責められると思って身構える克弥だが、広海は、財団で左右違いのくつ下を履く克弥に出会って、財団で過ごした時間が自分の居場所だったと克弥に感謝の言葉をいう。
優希のアドバイスを受けたとはいえ、克弥の取材を受けた上に、結婚して子供ができたという克弥に赤ん坊のくつ下を2足渡すというところには、違和感はない。
広海の人物像について、これまでの話で積み重ねがあるから、よい思い出のある克弥に利用された状況でも、広海なら「仕打ち」に対して「やさしさ」で返すようなこともあるかもしれないと思えるからだ。
「人の2倍金を使って…」と憎まれ口を叩いているが、自分の生活のためとはいえ
幼なじみの広海に自分がしていることに負い目があるのに、これをされたら自分なら泣いちゃうな、あまりの広海のやさしさに。
そして、同時に広海のこれからを心配する。
やさしすぎる広海は、このままで「生きていける」のかと。
■広海の居場所
夜景を見ながらアイスを食べるところからコンビニ前でのくつ下を交換するまでの広海と優希の会話は、難解で、禅問答のような印象さえ受ける。
「ふたつでひとつ、くつ下といっしょ」
「誰かと生きるって、ふたりでひとつ、くつ下と一緒」
「僕は、たぶん、ときどき無意識に相手とは違うくつ下を履いちゃう」
「でも、ふたりでひとつだから、あの人たち変だねって、相手の方もゆび指さされる。そういうのがこわいから」
「変かどうかは誰かに決められるものじゃない、自分で決めるものだよ」
「それに、自分のくつ下の片方を誰かが持ってるって思ったら、
なんか『ある』って実感わかない?」
「いやのものに取り込まれそうになった時に、こんな状況だけど
そういえば私のくつ下の片方、今あの人の家にあるんだよなって思ったら
自分ちゃんと『ある』って気しない?」
「徳永君がちゃんと『ある』って、私知ってるから」
ここで言いたいことは何となくは理解できるものの、腑に落ちない。
「自分がある」とは、「自分に居場所がある」ということなのだろうか。
言いたいことの表現が先に立ってしまって、その表現で伝えなければならない広海と優希の感情、思いが置いてけぼりになってしまっているような印象を受ける。
広海としては、自分が「普通」ではないことそのものに問題を感じてはおらず、そのことで広海と一緒に生きる人まで「変な人」と思われること、それがいたたまれないので他人と距離を置く、そうした状況にいる自分に居場所がないと感じていることが問題なのだろう。
「『消えた』っていうなら、どこかにいたっていうことで、僕はどこに居たんだろう」という広海のセリフに集約されているような気がする。
「居場所がない」と感じている広海に対する「やさしい」優希のアプローチとその結果が、このドラマの主題のひとつになっていると思う。
優希の答えは、互いのくつ下の交換による共有。
自分のくつ下を自分以外の誰かが持っている。
その誰かが自分のくつ下を履くことはないかもしれないけれど、持っていてくれる。
自分のくつ下を持っている自分以外の誰かは、自分が「ある」ことを知っていると言ってくれている。
「くつ下の交換」の寓意をしばらく考えてみたが、自分としては正直よく分からない。
単に「徳永君はひとりじゃない。私がついている」ということを回りくどく言っているだけなのかもしれないが、これを優希から言われた広海が納得しているようなので、まあいいか。
立ち止まってしまった、時間が止まってしまった広海の時計をまた動かすのは大変なのだろう。
その時計を動かす手助けを優希はしようとしている。
優希の「肩車」で広海は自分の問題を乗り越えて、止まった時計を動かすことが出来るのか。
■愛莉の決断
愛莉が自分の進路に悩んでいるというのは、ちょっと意外な設定だったが、このドラマのテーマのひとつが「大人になること」だったのを思い出した。
実際、就職をどうするかというのは「大人になる」ために決断しなければならない重要な選択。
愛莉に職業選択においても「人と違う人生」を選択しようとするきっかけになったのは、前回の似顔絵というか優希の件なのは間違いないのだろう。
職業選択において「人と違う人生」を選択しようとする愛莉が不安に思ったのは、優希とまひるとの関係が変わってしまうのではないか、自分の「居場所」がなくなってしまうのではないかというのは、納得できる。
普通に考えると、つぶしのきかない教育学部生が大学3年生の春休み直前に、教員にならない選択をする(しかも何になりたいかすら分かってない状態で)のは相当勇気がいる。
これから教員以外の就活をするのも大変だが、両親とも教員で当然愛莉が教員になるものだと思っている両親への説得の方も大変そうだ。
その決断をしてからの困難は容易に想像できるから(優希に対する想いも含めて)、愛莉にはその困難に立ち向かうために、「居場所」が必要だったのだろう。
「やさしい」まひると優希の答えは同じ。
「私たちの3年間って、そんなにやわじゃないよ」
「見守っているよ、愛莉のこと」
「ずっといるよ、ちゃんと。愛莉が戻ってこられる場所に、わたしたち」
ファミレスで3人が話すシーンの愛莉役の見上愛の演技はとてもよかった。
いつもは割と冷静で、冗談めかした話し方をする愛莉だが、この時は話す前から感情が自然と込み上げてしまって、うまく言葉がつなげないという場面を、とても自然に演じている。
愛莉の話に対して、まひろならこういうふうな反応になるだろうというところそのままだったが、ふんわり、おっとりしたまひろが使いそうもない「やわ」という言葉を使って、愛莉との関係、愛莉に対する想いの深さを表したところもよかった。
愛莉の泣き顔につられて泣いてしまったまひるに対して、優希は目に涙を浮かべるが、泣くと言うところまでは至らない、いつもの「やさしい」優希。
「泣き」の演技に定評がある清原果耶にここまで泣かせていないのは、次回の優希の回までとっておいている感じが半端ない。
「やさしい」優希の心が大きく動かされるのは、やはり母のことについてということになりそうだ。
このシーンの最後で、ちょっと涙目になっている優希を見て「ねえ、優希、ちょっとぉ」とまひろが言うところは、吉川愛のアドリブっぽいと感じた。
セリフは台本どおりなのだろうが、目を潤ませる程度のはずだった優希役の清原果耶が泣きそうになっているのを見て(たぶん見上愛の演技にぐっときて)、まひる役の吉川愛がちょっと驚いた反応になったというところかなと思う。
最後の清原果耶の顔は、ここで涙をこぼす予定ではない優希の目から涙がこぼれないよう必死に耐えているように見える。
(ここで優希がここで涙をこぼしたら、たぶんNG)
このシーンを見て、この3人の女優陣はすごいと改めて感じた。
■まひるの「尊い」という感情
まひるが、自分の身近にいる虎之介に対して「好きとかそういうんじゃなく、ただただ尊い」はなんとなくは理解できる。
何をもって「好き」だというのか、男女が「付き合う」ってどういう状態か、人によって違うんじゃないか。
ひとそれぞれの「好き」の形、まひろの「好き」の提示。
まひるの虎之介を見る表情は好きな人を見る顔ではなく、まさに「尊い」ものを見る顔になっていて、さすがです。
それにも増して、まひるの新しい推しが虎之介だと分かったときの、優希が「好きなの?」とまひるに聞く表情、清原果耶の顔芸が最高です。
半年ぶりの5人揃ったパーティーで、お玉をマイク代わりで話し出す虎之介に対して、笑顔で拍手をするまひるの態度は、まさに「推し」に対するものだった。
愛莉の「またか」みたいな顔と対照的で面白い。
■優希と広海の関係
優希はおっとりしたキャラクターのように見えて、こうしたい、特に人に「やさしく」したいと思ったときは、かなり行動的だ。
5人でいるのに、3人が寝てしまったら、広海に「ふたりで抜けだそう」と言うシーンは、かなりドキドキする。
優希がそう言ったのは広海と話したいが寝てしまった3人を起こすと悪いので外に行こうという意味にすぎず、ふたりでアイスを食べてしゃべっているだけだが、優希のキャラクター的には合わないセリフがいきなり出てくるので、見ている方はドキッとする。
ここまでは、広海に対して優希の方が積極的で、いろいろな誘い(家庭教師、遊園地、インドカレー)をかけているが、最初のサメの映画は例外的として、広海は基本的に受けで、広海の方から優希を誘ったりすることはない。
就職を控えた優希と進路が定まっていない広海の関係性が今後どう変化していくのか。
学生のときに付き合い始めたカップルが、就職を機にすれ違いが出てきて別れてしまうという話はよくあり、坂元裕二脚本の映画「花束みたいな恋をした」が思い出されるが、このドラマでは、優希と広海が別れてその後の話が中心になりそうな気がする。
広海に対して「優希を泣かせたら承知しない」と言っていた愛莉が東京に戻ってくる。
初回の冒頭で優希を泣かせてしまった広海に対して、愛莉はどうするのか。
そのあたりで、今回出てきた「くつ下の交換」の寓意が効いてくるのでしょう、たぶん。
■次回はついに優希の回
今回第5話の予告を見たときにいろいろと気になっていたことが、ドラマの最後のシーンで分かってしまった。
トムさんが優希の遺灰のことを知っていたのも驚きだったが(トムさんがそのことを知った経緯が気になるが)、優希がこの遺灰のことを父と姉に話していないという設定にかなり驚いた。
これを見たときに、優希の回は相当ヘヴィーになりそうだと憂鬱になったが、現在の場面に戻って、遺灰の入っていた小瓶に遺灰はなく、その代わりに黄色い花が飾られていて、ちょっとほっとした。
次回は、予想どおり優希の話で、サブタイトルは「手と本当のきもち」。
今回第5話の予告編を見たときに思ったサブタイトルに関する心配は、杞憂に終わってよかった。
第5話の放送では、通常ドラマ本編の後にある次回の予告編がなかったので(いつもあるマイフォトダイアリーも。ドラマの尺の関係でカットになったのか)、You Tubeで確認した。
その後、いつものようにTVerで解説放送版を見たのだが、いつもは本編が終わってCMが入ったところで視聴をやめていたので気づかなかったが、そのCMの後に次回の予告編、しかも60秒のロングバージョンがあった。
第6話ぐらいまで大学3年生の話かなという予想に反して、次回は大学4年生の夏の話だった。
「何も起こらない」ことが特徴のドラマだったが、予告編を見た限りではこれまでで一番ドラマチックな感じになりそう。
内容のヘヴィーさについては、ある意味予想どおり。
肉親が自分の若いときに亡くなるっていうだけでかなり重いのだが、そのことによって唯一のきょうだいの姉との関係がギクシャクしているなんて、最も身近な人間関係だけに、そうなった場合は一番ヘヴィーなことになる(現実にも多い)。
ロングバージョンの予告編には、姉が帰った後で、優希が「私やっちゃった」とつぶやいて、トムさんに慰められているシーンがあるが、優希は姉に対して何を「やっちゃった」のかめちゃくちゃ気になる。
友人に対しては、ほぼ完璧な対応を続けている優希だが、実の姉に対して、しかも亡くなった母がらみとなると別なんだね。
優希の実家は銭湯なんだ。
ひとりもの思いにふけるのは、やはり浜辺か。
どこの海だろうと思ったら、ロングバージョンの予告編の最後で優希の「ここ浜松なんですけど」というセリフがあって、優希の実家が浜松で、優希が静岡県人設定だということが分かった。
とすると、優希は、母が亡くなったこととで、地元を離れて東京の大学に進学して、ひとり暮らしってとこかな。
そして、問題の遺灰。
予想どおり、優希の母は散骨葬だった模様だが、優希さん、散骨する遺灰をもって帰っちゃダメなんだよ。
今までは、ちょっと天然で、おだやかで、やさしい顔しか見せていなかった優希が、ついに自分の秘めた感情を露わにする。
「何も分かってないよ、お姉ちゃんはお母さんのこと」とこのドラマにしては珍しくストレートなセリフ(このドラマのセリフは、ナックルボールが多すぎる。)
今まで表情を抑えて優希を演じてきた清原果耶にとって腕の見せ所だ。
夏休みだからといっても、4人揃って浜松の優希の実家まで行った理由が「散歩」というのが、このドラマっぽい。
このシーン、今までになくベタな感じの画になっているが、それもいいんじゃないか。
家族間でギスギスしているところはあまり見たくないが、それに対する「癒やし」をどう提示してくれるのか気になるし、若干心配でもある。
このドラマの音楽を担当している小山絵里奈さんが「第6話が本当にいい回」と投稿していたので、期待は高まる。
これで第6話がいいということになると、5人のうち女性メインの話(第3話、第4話、第6話)はいいが、男性メインの回(第2話、第5話)はイマイチということになってしまうな(あくまで自分の中では)。
残りは、おそらくあと2回。
第7回は、大学を卒業するまでの話かな。
卒業が近づくにつれて、5人の関係が変わっていくのだろう(特に優希と広海)。
そして、最終回は、優希の大学生時代の振り返り、「人生の日記」の読み返しが終わって、就職後の話になるだろう。
愛莉が東京に戻ってきて、5人で会うことになる、という展開が予想されるが、この辺で「人生の日記」の伏線を回収してもらわないと困る。
そして、「人生はトルネードポテト」ということになるのかな。
たぶん、はっきりした終わり方にはならないと思うが、主人公である優希の気持ちの整理はきちんと納得できる形で提示してもらいたい。

