記事に「#ネタバレ」タグがついています
記事の中で映画、ゲーム、漫画などのネタバレが含まれているかもしれません。気になるかたは注意してお読みください。
見出し画像

ドラマ「マイダイアリー」第9話(最終話)の感想

■「傘と“きせき”の黄金比」

ドラマ「マイダイアリー」がついに最終話を迎えた。
最終回にして、放送開始時刻が最も遅く午後11時30分から。
もう完全に深夜ドラマじゃないですか。
しかも、放送終了がすでに月曜日になってからで、日曜日のうちに終了しなかった日曜ドラマになってしまった。
第8話が終了するまで、このドラマが全9回であることは、あるものを見れば分かったことに気づいていなかった。
それは、このドラマのグッズのうち、クリアファイルとシール。
それらには、各話のキーアイテムのイラストがあったのだが、それが9つあった。
最初がもちろんポップコーンで、7番目がフィルムカメラ、8番目がリボンのかかったギフト、そして9番目、最後が五角形の傘だった。
あー、全くチェックしていなかった。
傘は第2話目に登場していたが、この時キーアイテムは、ばんそうこうだった。
最終話は、予想どおりふわっとした終わり方だったが、想定よりもハッピーエンド度合いが強かった。
このドラマを、モラトリアムの終焉を描いたものとする意見があったが、個人的には、いままでありそうでなかったモラトリアムの終わりの部分を丁寧に描いたドラマだったのかな、という気がしている。

■伏線回収と「循環」

今回は、未回収だった伏線の回収をする回でもあった。
まだ開けていない卒業式の写真の入った封筒の「開封の儀」はあったし、まだ1枚も撮っていないフィルムカメラは、ラストシーンで優希が広海の顔のアップの写真を撮っていた。
トムさんが連絡先の電話番号を優希に教えてくれたんだから、優希は1回くらいはトムさんに電話をかけるんだろうなと思っていたら、やはりここでというタイミングで電話をかけた。
ただ、トムさんが優希の部屋を訪ねて来た上に、「雨に唄えば」を踊るとは思っていなかったが。
優希がなんでトムさんに遺骨のことを話したのかが、ずっと気になっていたのだが、結局明かされないままドラマは終わってしまった。
そういえば、番宣用のスチル写真で、高校生の回想シーンと思われるのセーラー服を着た優希の写真がネットに上がっていたのだが、そのシーンはカットになってしまったようで、「霊媒探偵城塚翡翠」以来のセーラー服を見ることはできなかった。

伏線回収ということとはちょっと違うが、初回に出てきたことが最終回に繋がったシーンがかなりあった。
○広海と虎之介が初めて会ったときの約束「困ったときにちょっとだけ助けてもらえばいい」について、最終回で虎之介が広海にお願いした。
○優希と広海が初めて会ったとき広海が書いていた数式の意味を優希が最終回で知る。
○初回では「やさしさの交換」だったものが、最終回では「やさしさの循環」になる。
○初回冒頭での切ない別れのキスシーンが、最終回のラストシーンで喜びに満ちたキスシーンに変わる。
そして、「私はふと人生の日記を読み返したくなった」で始まっていたこのドラマは、「私はふと人生の日記の続きを書きたくなった」で終わる。
でも、最後に登場したマイダイアリーが、愛莉が勤めている文具メーカーで開発中のマイダイアリーだとは気づかなかった(脚本家が自分のブログでネタばらしをしていた)。
初回が最終回に繋がる循環。
循環しながら進んでいく「人生はトルネードポテト」っていうことでいいんですよね。
しかし、他でもない最終回に水に関する「循環」が描かれるというのも偶然なんですよね。
もし、これが本当に偶然ならば、このドラマの脚本家がお正月に「おかえりモネ」を見たら、相当驚くことになるのではと愚考いたします。

■優希の表情と涙

最終回は、後半になるにつれて、優希がかわいらしく感じるのは、辛い気持ちもうれしい気持ちも表情に表れているからだろうか。
前回の最後のシーンの表情を失った優希とは大きく違う。
メイクも大きくは変わっていないのに、表情を取り戻すような演技を意識しているのだろう。
泣きの演技については、前回最高出力を出しているので、今回は控えめだが、控えめで正解だと思う。
いつものファミレスで心情を吐露するシーンでの優希の涙は、ずっと溜め込んでいた自分のほんとうの気持ちをやっと信頼できる友人たちに言えたという安堵感が伝わる涙だった。
切なすぎる涙は前回で十分。
今回はハッピーエンドになるための涙だ。
溜めていた涙がぽろぽろとこぼれ落ち、後悔と苦しさが滲む表情の作りはさすが清原プロという印象を受けた。

■五角形の「黄金比」
「傘と“きせき”の黄金比」というサブタイトルがつけられた最終話。
優希と広海のふたりだけでは修復できなかった関係を3人の協力を得て修復したことは、五角形に隠された「黄金比」によるものということになるのだろう。
優希と広海のどちらかが、もう少しだけ大人であるか、もう少しだけ冷静であったならば、今回のようなことにはなっていないので、優希が就職したとはいえ、トムさんが言うように「まだまだ子供だなあ」ということになるが、このふたりがいったん離れて自分にとって相手はどういう存在なのかを見つめ直す時間が必要だったということなのだろう。 
現実ではありえないほど「やさしい」5人の物語だけに、大学を卒業してから3人のアシストでハッピーエンドを迎えるという結末で終わったのは、このドラマの「日常系ファンタジー」(脚本家命名)という世界観でまとめるという観点からはよかったと思う。
これでアンハッピーエンドだったら、視聴者から総スカンの袋叩きになっていただろう。

理解しようと思えばある程度は理解できたはずの数学について、優希が理解しようとするシーンがあったのは、最初から諦めないで相手に歩み寄ろうという姿勢が見えて、とてもよいシーンだと思う。
優希と広海が最初に出会った桜の木の下で、広海が書いていたのはフィボナッチ数列の一般項という設定だったが、これはドラマ開始前の予告で、ちらっと登場しており、これがドラマの何らの寓意になっているのでは、という考察がこの時点で出ていた。
それが今回、「黄金比」というキーワードで五角形の黄金比(辺と対角線の比率)と関連付けられ、5人の関係の中に隠れている黄金比、それこそがまさに「きせき」であると語られることになる。
5人でなければ、この5人でなければ成り立たない「きせき」のような出来事という非常に綺麗な展開になっているのはいいのだが、なんだか見終わった後の満足感はそれほどでもなく、ふわっとした感じのまま終わってしまった。
その理由を考えてみたが、優希と広海のふたりが最終的に出した結論そのものは妥当だが(優希とは遠距離恋愛になってしまうけど広海はアメリカに行くことにしたという、普通なら広海にアメリカからのオファーがあった時点で、ふたりだけで出せていた結論にようやく辿り着いたという話なのだが)、それに至る過程において自分自身の気持ちへの向き合い方が不十分で、なぜこんなこじれた状態からその結論に辿り着いたのがかよく分からないからかなと思う。

■広海の気持ち

前回、よく分からない理由で優希から別れを切り出されて、自分が優希に嘘をついていたことに負い目を感じていたのか、それを受け入れてしまった広海。
今回の結論から言うと、3か月間いろいろ考えて広海がやったことと言えば、
○アメリカに行くことを決めて、そのサポートを喜田教授にお願いした
○優希に自分の気持ちをしたためた手紙を書いた
という2つだけだ。
手紙を送ってからの優希の反応がよかったので、「遠距離恋愛になるけど、寂しい思いさせないから、もう一度付き合って」と改めて告白したら、優希が受け入れてくれたということになる。
今回の一件が、広海の優希に対する気持ちをじっくり考えるきっかけになったというのはいいことだと思うが、なぜ広海が
 距離が離れても、僕は優希のことひとりにさせない
 だから、これからもう一度生きていっていだだけないでしょうか?
ということを言おうと思ったのか、そのあたりがはっきりしない。
広海は「距離が離れても、僕は優希のことひとりにさせない」というが、その方法に具体性がない上に、そもそも、自分がひとりぼっちになりたくなくて、優希のことを「口実」に優希に嘘までついたのは広海の方で、広海がアメリカに渡り、優希と離ればなれになって、自分自身がさびしくならない保証がどこにあるのだろうか。
5人の関係がそれを広海に保証してくれるということなら、そういうふうに広海が思った理由を知りたいが、そこはドラマの中で明確には描かれておらず、曖昧なままだった。
元々ひとりで過ごしていた人がずっとひとりなのと、ふたりで、みんなでいることの温もりを知ってしまった後で、ひとりで過ごすのは意味合いが全く違う。
そんなに急に人の気持ちが変わって、さみしさ耐性が強くなるとは思えないのだが、広海は優希との関係を復活させることに気を取られて、そのことに意識が向いていないのではないかと思う。

■優希の気持ち

優希の方は、どうだろう。
優希は、最初自分の本当の気持ちを3人に話していない。
自分の役目の話をして、愛莉にはっきりと否定されてしまうが、その場で自分の本当の気持ちを話せるまでの気持ち、考えの整理がついていない。
優希が本当の気持ちを話していないことを愛莉たちに見透かされて、5人の思い出のファミレスで自分の心情を吐露する。
そこで語られることは、優希の本当の気持ちなのは間違いないが、本当の気持ちの全て語っているようには思えない。
楓が広海にプレゼントした自作の数学の問題を広海がすごく楽しそうに解いているのを見て、なぜ自分が「私は広海をこんなに楽しそうな顔にしてあげられないんだなって思った」のかその理由は語られていない。
「嘘までつかせて、広海が正直でいられる場所さえ作ってあげられない」と思った理由についても同じだ。
まして「広海のこと、嫌いになるなんて無理だから、だったら嫌われるようなこと言おう」と思ったことについては、なんぜそんなに跳躍した発想になったのかのその理由は聞きたくなる。
さらに、優希が「暴走」した最大の原因と思われる怖れ、広海が優希の隣にいる未来が「あったはずの広海の可能性を奪うこと」によって成り立つかもしれないことに対してのどうしようもない怖れを感じたことについては、触れられてすらいない。
ふたりの関係だけでなく、5人の関係も優希自身が「全部壊しちゃった」ことについて、「自分が、自分に苦しい」状態になっていることをようやく吐露できたのはよかったのだが、優希があのときに感じた怖れとその根底にあった嫉妬という自分の負の感情に触れていない、無意識のうちに避けていることで、優希の言葉がやや綺麗事に感じてられてしまった。
例えば、数学の問題というギフトを贈ったのが女性ではなく男性だとしても、例えば、楓ほど数学以外の部分では圧倒的な存在でなかったとしても、数学の問題について広海と楽しそうに話をしたのは同じだと思うが、それでも優希は「私は広海をこんなに楽しそうな顔にしてあげられないんだなって思った」だろうか。
優希が全項目で勝てる気がしない圧倒的な楓が相手でなければ、広海の嘘が分かってからといって、優希は同じように「嘘までつかせて、広海が正直でいられる場所さえ作ってあげられないんだなって思った」だろうか。

ここでは、愛莉は優希に「なぜそう思ったのか」ということは聞いていないし、「それは違うんじゃない」ということは言っていない。
賢い愛莉のことだから、ようやく自分の本当の気持ちを話す気になった優希の話を遮らず、全部聞こう、優希の気持ちに寄り添おうと思ったのだろう。
優希の性格からして
「私は広海をこんなに楽しそうな顔にしてあげられない」
「嘘までつかせて、広海が正直でいられる場所さえ作ってあげられない」
と思うのはまあ仕方ないとして、
「広海のこと嫌いになるなんて無理だから、だったら嫌われるようなこと言おう」
という飛躍しすぎた発想はさすがに理解できなかったのではないか。
優希が本当に辛そうにしている、自分が広海にしてしまったことを本当に後悔しているというのが十分分かったので、このふたりを何とかしようと思う気持ちが先立ったのだろう。
しかし、こんな状況でなければ、なぜそう思ったのか聞きたいところだと思う。
(視聴者と違って、愛莉たちは楓に遭遇した優希を見ていないのだから)
その自作の問題を広海にプレゼントした人が、ミニスカートを履いた優希たちと同い年の女性で、広海が数学では敵わないというほどの天才だということが分かれば、優希の性格を熟知し、勘のいい愛莉なら、優希がそう思った、そう思ってしまった理由を察することができただろう。
優希が「暴走」する前に、なぜ愛莉やまひるに相談しなかったのかをいぶかしがるコメントも多かったが、優希は自分が負の感情(特に嫉妬)を持っていることを他人に知られることを無意識のうちに避けたということになるのだろうか。
(今回も優希は楓のことについて、はっきりとした言及を避けている。)

■「将来に対する唯ぼんやりとした不安」

その後、広海が(一応)自発的意思でアメリカに行くことになり、広海が優希の隣にいる未来が「あったはずの広海の可能性を奪うこと」によって成り立つことは当面回避されたので、それを怖れる必要もなくなったというのは理解できる。
結果的に自分は広海の背中を押せた(仲間の力も借りて)、そして広海との仲も修復できた(仲間の力を借りて)ことに安心してしまい、これからふたりが遭遇するであろう日本とアメリカでの遠距離恋愛において、ふたりがこれから「一緒に生きていこう」としているのに、お互いが物理的な意味で隣にいないことになるという矛盾を内包していること、物理的に隣いられないことのさびしさに気づいていないだけのような気もする。
しかも、広海が向かおうとしているのは楓のいるアメリカだ。
楓がカリフォルニアにいるとは限らないが、楓が広海と同じ国にいるということ自体が広海と離ればなれになってしまった優希にはチクチクと堪えてくるかもしれないなんてことは、自分の負の気持ちに正面から向き合っていない優希には思いも寄らないことだろう。
いくら五角形の黄金比が「きせき」だったとしても、物理的な壁を乗り越えられるほどのサポートはしてくれないと思うが、それをここでいうのは野暮なんだろう。
ただ、優希と広海の将来を考えたときに、「唯ぼんやりとした不安」を感じざる得ない最終話の展開になっていることが、最終話を見終わったときの満足感を削いでいるのだろうなと思った。

■まひると虎之介

そう、素直に、正直に話せばいいんだよ。
でも、これも愛莉の「事情聴取」のおかげか。
本当に愛莉が5人の中で一番まともだよ、口は悪いが。
優希と広海も、まひると虎之介くらい素直に、なぜ自分が嘘をついたのかを相手に話せばよかったのにと思う。
まひると虎之介については、ふたりの育ちの違いがこれからの交際に支障になりそうだと感じてしまっている自分がいる。

■「日常系ファンタジー」で描くモラトリアムの終焉

このドラマは、殺伐とした、世知辛い、慌ただしい現実世界に対するせめてもの抵抗を示したファンタジーなのかもしれない。
就職はしたが、まだ「ともだち」「仲間」というモラトリアムが終わらない「やさしい」世界だ。
最終話では「ひとりじゃないよ」ということがいいたかった、とこのドラマの脚本家が言っていた。
その脚本家は、このドラマを表して、現実世界ではあり得ない「やさしいひと」ばかりが登場する「日常系ファンタジー」とも言っていた。
自分の言いたいことをいう手段として、現実ではありえないような人ばかりが登場する「ファンタジー」を描いているのに、それが日常を扱うものであるがゆえにファンタジーとしてのリアリティではなく、「日常」としてのリアリティを求められる矛盾。
フィクションは、現実にはないものを想像力の限界まで描くことができる。
それが「手段としての」フィクションの良さだと思うが、フィクションとしてのリアリティを欠き、訴えようとするものが見る側に伝わらなかったら元も子もない。
このドラマの最終話で「ひとりじゃないよ」という脚本家の思いが、どこまで伝わっただろうか。
見る者に「こんなことは実際にはありえない」と感じさせても、「けど、こんなことあったらいいな」と思わせたら作り手の勝ちだと思うが、自分は優希と広海のふたり、このふたりほどではないがまひると虎之介のふたり、この二組の未来に脆弱さと不安を感じてしまった。

この5人に関しては就職そのものではなく、5人がそれぞれ自分のことで忙しくなって「やさしさの循環」がうまく機能しなくなったとき、この5人にとってのモラトリアムが終わることになるのだろう。
この5人のモラトリアムの終焉を描いた物語を見てみたい。
モラトリアムの終焉という、もうすでに擦られまくった題材を、ドラマチックな出来事が全く起こらないこのドラマの「日常系ファンタジー」という世界観で見せてほしい気持ちがしている。


いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集